山を元の森に戻す取組み

今日の午後、高尾にある霊園にお墓参りに行った。私の両親が眠っている墓だ。霊園についてみると向い側の山肌の木が全て伐採されている。最初は墓地の区画が足りなくなって区画の拡張のために山肌を露出させ、これから区画づくりのための工事をするのかと思った。墓参りを終えて、バスの乗り場迄戻ってきたが、発車時刻までまだ10分以上あったので、近くの休憩所に行ってお茶を飲むことにした。自動給茶器から紙コップにお茶を入れて飲んでいた時、壁に張ってあるポスターに目が留まった。そのポスターのタイトルは「高尾の山を元の森に戻す取組み」となっていて、現在は針葉樹(杉の木)がほとんどの山を、広葉樹主体の森に戻す方法が描かれていた。頂上と裾野は広葉樹、中腹は針葉樹という具合だ。現在は伐採した杉の販路開拓キャンペーンをやっているようだ。高尾の杉は品質がいいらしい。私のとんだ早とちりだった。休憩所に佛教情報誌の「Mudita」が置いてあったので1部頂戴して読んだ。「人間の分別をはずしてみよう」「お迎えは死ぬ準備ができたよと家族に優しく伝えるメッセージ」が掲載されていた。前の文章からは人間の分別には限界があり、もっと高いレベルで物事を眺める大切さを、後の文章からは仙台の医師岡部健氏の「お迎え」についての調査結果が紹介されていた。岡部さんは宗派を超えた「臨床宗教師」の活動の基礎を造った方だ。死に行く人々の心のケアーの重要性を岡部氏は訴えていた。この佛教情報誌をたまたま手に取ったお陰で久しぶりに岡部氏の働きについて思い出すことができた。死は恐れを持って考えられることが多い。それは死後の刑罰などがイメージされるからだろう。死と向き合い、死の意味、死の価値をきちんと理解する時代が来ているのかもしれない。