屋上菜園物語 Ⅱ 第21話 「紫蘇とマインドフルネス」

花岡伸二は畑のベンチに座った。2時間しゃがんだままずっと雑草を抜いていた。梅雨の晴れ間、畑に来てみると、2週間前、抜いた畝間に雑草がまた生い茂っている。ヤレヤレという気持ちになるが、一方で最近は「なんという生命力だろう」と雑草がいじらしくさえ思える。以前は雑草を見ると、正直イライラしたものだが、最近はそんなこともなく、無心な気持ちで除草できるようになった。雑草を1本1本抜きながら、何も考えていないか、何か考えている自分がいる。今日考えていたことは畑の雑草ならぬ自分の心の中の雑草のことだった。つまり雑念。畑の雑草はこのようにして抜くことができるが、雑念はどのようにしたら抜けるか。齢をとるにつれて取り越し苦労なのだろうが、あれこれ気になることが増えていく。しゃがんだ姿勢の作業は疲れる、立ち上がって背中を伸ばし、伸二は夕暮れの空を見上げ、思わず深呼吸した。夕陽が美しい。

腕時計を見ると午後6時30分。まだ明るいが夕暮れ時になっている。川に沿って農地が続いている。川面と野を渡る風が吹いてきた。暫くその風に身を任せ、作業でほてった身体を冷ました。思わず「気持ちいい」。

自然の涼気は言葉にできない。生き返るようだ。疲れも抜けていく。「できることならずっとこのままいたい・・・」。そして時には畑の風景を見ながら、涼しい風に吹かれながら、穏やかな気持ちのまま、天国に引き上げられたいとさえ思う。そんなことになれば家族が大変だろうが、そんな願いを持つのも75歳を超えたためだろうか。しかし、自分の人生を完成させるためにもまだまだ生きていかなければならない。もう一踏ん張りも二踏ん張りもして、悔いがないようにしたい。

伸二は最近畑に遊びに来る藤田さん家族のことを思い出していた。ご主人も奥さんも40代前半、子供が1人いる。ご主人はIT企業に勤めている。伸二の神田の事務所の屋上に菜園がある。そこで開催した菜園講座がキッカケになって親しくなった。今年の3月から月に2回ほど畑に車で来ている。畑は駅からちょっと遠いところにあるのでやはり車を使うことになる。藤田さんのご主人は口数の多い方ではない。2週間前、畑に来て作業を手伝ってもらった時、ご主人の藤田さんは嬉しそうにこう言った。

「畑にくると元気が出ます。何か開放的な気持ちになれるんです。」

ところが1週間前に来た時は、元気が無かった。休憩時間に皆でベンチに座ってアイスコーヒーを飲んでいる時、藤田さんの奥さんが伸二に、ちょっと言いにくそうにこう言った。

「最近主人が今の仕事を辞めたいと言っているんです」

その言葉をきっかけにして藤田さんが伸二に自分の思いを伝えた。

「今の仕事を辞めてカフェをやりたいんです。・・・花岡さん、働くってどういうことなんでしょう?毎日毎日パソコンの画面ばかり見ていると、どうしようもなくそんな思いが突き上げてくるんです。頭も、心も身体も全部使って人を相手にやる仕事が本当の仕事ではないか、そんな思いが頭の中を過ります」

伸二はそれにはすぐには答えず、夕暮れの雲の流れを見ていた。何故か雲は過去から未来に流れていくような感じがした。そして呟いた。

「本当の仕事・・・ですか」

伸二は自分が現役で仕事をしていた時を思い起していた。「自分は本当の仕事をしただろうか。本当の仕事とは・・・自分はしてこなかったかもしれない」

伸二は空を見ながら言った。

「そうですか、今そういうことを考えているんですね。40代というのはそういうことを考える時期なのかもしれません。そういえば自分もそうだったかもしれないな」

藤田さんは伸二の返事に少し励まされたのか、続けて言葉をつないだ。

「前の会社をリストラされた時、暫く家にいて、これからどうしようかと考えていた時、毎日行くところがないというのは厳しいもんだとつくづく感じました。自分の居場所がない。早く働きたいと思いました。幸い友人の関係で人工知能関係の仕事をしている今の会社に再就職することができたので、その時は正直ホッとしました」

畑での会話は間がとれるからいい。向き合って話すのではなく、ベンチに座って畑の風景を見ながらゆっくり話すことができる。伸二は流れる雲を見ながら、藤田さんの話を聞いていた。

藤田さん「次は自分が好きな、自分を活かせる、打ち込める仕事につきたいと思っているんです。ご存知のように今は会社に一生勤めるという時代ではなくなっています。キャリアを磨いてより良い仕事につく、という時代ですから」

藤田さんの奥さんはお子さんと一緒に家内と一緒にトマトの収穫をしている。時々こちらを見ている。

伸二は藤田さんには顔を向けず、雲の流れを見ながら、言った。

「本当の仕事。自分を活かせる仕事・・・。そのような気持ちになれて良かったですね。それが仕事に取り組む正しい姿勢のように思います。私たちが就職した時代は、一流大学を出て、一流会社に勤める、それが目標になっていました。私の場合は一流会社ではありませんでしたが、一流半ぐらいの会社に就職することができました。早く仕事に慣れよう、そんな気持ちで精一杯でした。ある時期、人材教育の会社からウチに来ないかと誘われました。私もどこかで自分らしい仕事をしたいと思い始めていたんですね。でもやっぱり大きな会社を離れることはできなかった。自分の能力に自信も無かった。・・・昔の時代の話です。そして自分は会社員に向いていないという違和感がたえずありました。かと言って何に向いているかもわからない。・・・今は働き方が昔とは大きく変わってきています。私の経験などあまりご参考にならないと思いますが、雲の流れを見ているとなぜか昔のことを思い出します。そして私たちはどこに向かって流れていくのだろうか、と」

藤田さんも雲の流れを見ていた。

藤田さん「私の思いをご理解くださり、ありがとうございます。長いことパソコンの前に座り続けてきたためか、無性に人を相手の仕事がしたいと思っているんです。」

伸二「その気持ちは分かるような気がします。人を相手の仕事はそれはそれで

大変でしょうが、仕事人生のどこかでやはり人を相手にする仕事は必修科目だと思いますね」

藤田さん「必修科目とはどのような意味なんでしょうか」

伸二「人を相手にする場合、共感力が求められます。相手の立場を理解する力、相手の気持ち・感情をくみ取る力、そして相手が自分に何を求めているかを洞察する力は仕事の世界で生きていくためにはどうしても必要ということで私は必修科目と考えています」

藤田さん「言葉としては分かりますが、今の自分に言われるような共感力がどの程度あるか。心配です」

伸二「共感力は自分の中に作り上げていくものです。日々の心がけが大事です。

私は野菜栽培を通じて野菜から共感力を教えてもらっています。野菜は人間のように言葉は使えません。想像力を働かせることになります。ただ共感力の前にその基礎的部分である『本当の自分を知る』ことが一番大事ではないかと、最近ますます思うようになりました。」

藤田さん「『本当の自分を知る』ですね。花岡さんはそれをどのようにしているんですか。もし差支えなければ教えて頂けますか」

伸二「お役に立つかどうかわかりませんが、私は本当の自分を知るために2つの

ことをしています。1つはジャーナリングです。毎日書いている日記にジャーナリングの箇所を設けています。ジャーナリングとは一言で表現すれば「書く瞑想」です。何も考えずにとにかく書く。自分の無意識に書かせる、と言ったらいいでしょうか。書くことで思ってもみなかった自分の潜在的思いが、そしていろいろな顔を持った自分が浮かび上がってきます。このジャーナリングの内容は自分だけのものです。他人に見せるものではありません。そしてジャーナリングで浮かび上がってきたことに対して良い悪いの評価はしません。そのまま受けとめます。もう一つは自分の中のもう二人との対話です。一人は賢明なもう一人の自分、あとのもう一人は人生を楽しんでいるもう一人の自分です。私は夜寝る前にこの2人に今日一日のことを話します。こんなことがあった、こんな風に思った、などと。報告する私は「今、ここを生きている自分」です。寝る前に日記を書き、布団に横になったら3人の対話です。そしていつの間にか眠っています。対話が思うように進まない日もありますが、あまり気にしないことにしています」

藤田さん「ジャーナリングという言葉は初めて聞きました。花岡さんはどのようにしてジャーナリングを知ったんですか」

伸二「私は以前から日記を書く習慣がありました。自分の悩み、不安定な気持ちを日記に書きつけました。今自分はこんなことで悩んでいる、不安定な気持ちでいる。一種のストレスですね。どこかに自己憐憫的なところもありました。でも書くことによって落ち着くことができました。でもそれは自分が意識していることを書いていたんですね。だから考え、考え、そして書いていました。また瞑想しても雑念が次から次へと湧いてきて無念無想の境地には入れません。ある時本屋でジャーナリングについて書かれた本を見つけました。立ち読みして「これこそ自分が探していた本だ」と直感し、購入しました。読みながら嬉しくなりました。何も考えずに書くことによって私の場合は無意識の世界に入ることができつつあります。ジャーナリングで書いているうちに、思ってもみなかったことが次から次へと出てきます。うれしい発見もありました。自分の会社にはフロンティアという名前がついていますが、最近ジャーナリングをしている時に自分にとってのフロンティアの意味が「そういうことだったんだ」という思いで腑に落ちました。希望と覚悟が与えられました。

私はこれからもずっとジャーナリングを続けていくつもりです。今迄自分を変えようとして沢山の自己啓発書を読んできましたが、やはり無意識の世界の自分も含めて自分の本来の姿を見る、見続けていくことが大事だと思います。そしていつの間にか変わっている、少しづつですが変わり続けている自分にある日ある時気付く。中途半端な人生を送ってきた私ですが、ここに来てやっと自分の生き方が見えてきたように感じます。これは正直うれしい体験でした。」

藤田さん「そうですか。私も自分の生き方を知りたいと思っているんです。ジャーナリングのやり方を教えていただけますか」

伸二「わかりました。次回来られた時にその本をお貸しします。これからジャーナリングの友として一緒にやっていきましょう」

藤田さん「それから自分の中の3人の対話についても教えてください」

伸二「ジャーナリングを習得された後、3人の対話についても説明しましょう。一つ一つ、ですね。最近私は人間が人生を完成させるためには、自分を知ること、人を知ること、そして自然を知ることが大事だと思っています。この知るというのは最終的には大きな存在に触れる、ということです」

藤田さん「大きな存在・・・」

急に雲の動きが速くなってきた。風も吹いてきた。

話が一段落してから伸二は畑のあちらこちらで大きく成長している紫蘇を指さし、言った。

「あそこにこんもりと緑のかたまりがありますね。紫蘇です。種を播いた記憶が

ないんですが、畑のあちこちに紫蘇のかたまりがあります。種を播いた記憶がありませんから、肥料を与えた記憶もありません。それなのに畑のあちこちで紫蘇は元気に成長しています。本当に逞しい野菜です。他の野菜のように世話をされなくても大丈夫、と言っているようです。紫蘇は雑草に近いのかもしれませんね。

私は紫蘇を見ていると人に関心を持ってもらわなくても育つ、特に世話をしてもらわなくても大丈夫という生き方を見て、人間の生き方を考える上で、教えられることがあります。他の人から関心を特にもたれなくても、助けてもらわなくても生き抜き、そして結果的に人の役に立つ、という生き方です。紫蘇は大きな自然の中にもある大いなる力によって生かされていることを知っているのではないでしょうか。」

藤田さん「紫蘇を見直しました。そうでありながら、結果的に役に立つ、というのはどういうことでしょうか」

伸二「紫蘇にはβ-カロチン、ビタミンE、ビタミンK、カリウム、カルシウムが豊富に含まれています。また紫蘇の実油にはα-リノレン酸が含まれていて、老化防止に効果があると言われています」

藤田さん「紫蘇は薬味的使われ方をすることがほとんどですので、食べるとしても少量ですね。」

伸二「確かにそうですね。ところが最近わが家では紫蘇を沢山食べていますよ。

餃子の具として使ったり、お刺身の魚を紫蘇で巻いて食べたりしています。なかなかイケますよ」

                *

ある満月の夜、北千住のビルの屋上菜園でトマトと紫蘇が会話をしていた。

トマトは今日の午前に屋上菜園に定植されたが泣きべそをかいていた。

「昨日まで普通の畑にいました。それが今日、このビルの屋上菜園に連れてこられて植えられました。こんなに薄い土で、風が強いところでこれから生きていかなければならないと思うと悲しくなります。元の畑に戻りたい。・・・紫蘇さんは前からここにいるんですね。どうしたらこの屋上菜園で生きていけますか?」

紫蘇は答えた。

「私も最初種で播かれた時は土は薄いし、太陽光で土は熱くなるし、おまけに世話をしてくれる人は週1回しかこないし、生きていけるか正直不安でした。トマトさん、トマトさんは人があれこれと世話をしてくれますが、私たちは殆ど世話をしてもらえません。だから人に依存しないで、できる限り自分の力で生きていく、と決めました。そう思い定めるまでちょっと時間がかかりましたが、覚悟ができました。・・・ところがある日飛んできたモンシロチョウさんがこんなことを教えてくれました。

「紫蘇さんは野菜さんたちが屋上を吹く風で傷めつけられないように、野菜さんたちを守るようにして防風林のように並んでいるんですね」

屋上菜園で以前のように地域の子供たち、家族が来て種を播き、苗を植え、収穫する光景がまた見られるようになってほしい。都会の子供たちは野菜が育つ姿を見る機会が少ない。野菜がそれぞれ成長する姿を見て、何かを感じてほしい。野菜に触れ、ブドウに触れて笑顔一杯の子供たち。

紫蘇はあたかも喜ぶかのように夜風の中でゆっくり揺れている。

                              (了)