屋上菜園物語 Ⅱ 第25話 「コミュニティファーム」

 

 (1)野菜栽培に救われた経験

緑川は都市部での屋上菜園の普及活動に過去14年間取り組んできた。屋上菜園を個人向け、業務向けに分類し、最初は個人向け、途中から業務向けの普及活動に力を入れてきた。

しかし、新型コロナウイルスの拡大に伴い、北千住の商業ビルの芝生と木、そして菜園で緑化された屋上の一般開放が中止となった。以前は買い物の後、屋上に上がってきて緑化されたポケットパークのようなところで一息入れる。都会の真ん中に居ながら田園風景を楽しめる、そして地元の人達を対象にした収穫イベントの開催。イチゴ、サツマイモ・・・。

今年の5月から始まった屋上の一般開放の中止が現在に到っている。緑川たちの一般社団法人の栽培作業は通常通り続いてはいるが、おそらくコロナウイルスに効くワクチンの投与が始まり、効果が確認できる来年夏迄、屋上が一般開放されるのは難しいのではないか。ということで、屋上菜園で収穫された野菜は隣接しているところにある保育園と商業ビルの社員の皆さんに渡している。

もう一つ、御茶ノ水にある保険会社の屋上菜園は貸出菜園で地域貢献という趣旨のために地域の人々に貸し出されている農園だ。こちらは3密を避けるという条件で利用者の栽培活動が続いている。ある高齢の利用者は「家にずっといると気持ちがおかしくなってくる。この屋上菜園に来るために外出して、野菜に触れるのが何よりの気分転換になっている」と言っていたのが印象的だった。

 

それにしても現在の新型コロナウイルスは今後拡大する恐れがあり、予断を許さない状況になっている。最悪のケースになるが屋上菜園の一時的閉鎖をいうことがあるかもしれない。緑川はいたずらに悲観的になることは避けて、ここは一旦立ち止まって、もう一度冷静に屋上菜園の意味あるいは価値を、近未来を視野に入れながら、見つめ直す良い機会と考えることにした。

 

今思っていることは一つのことだ。息子の事故死、自分が経営していた会社の自主廃業後、心の中にぽっかりと大きな穴が開いて、すっかり生きる目的、事業を再開する意欲を失い、虚ろになっていた時期があった。そんな自分を小さな市民農園の野菜たちが救ってくれたのだ。その貸出菜園は家の近くにあり、幸い抽選で当たった。小さな市民農園に通い続けた。面積は10㎡前後。野菜づくりは初めての経験で、今から考えるといい加減な栽培作業をしていたが、それでも野菜たちは実をつけてくれた。もし野菜栽培をしていなかったら、ウツ病になっていたかもしれない。さらには人生に生きる目的を見いだせないまま、自死の道を選んでいたかもしれないとさえ思う。野菜たちの生きる姿を見ながら、どれほど励まされたことだろうか。野菜栽培の楽しさが分かり始めたころ、ある方の紹介で、茨城県の八千代町で畑を貸してくださる農家と知り合いになり、その方の畑の一部を借りて本格的に野菜栽培を始めることになった。折角やるんだったら野菜の有機的栽培に取り組んでみようということで1/4反ほどの面積で有機的野菜栽培に取り組んだ。毎週土曜日、自宅を7時半頃車で出発し、荒川、利根川を渡って八千代町の畑に通った。現在の年齢ではとても無理だが、当時はまだ60歳をちょっと越した頃で、体力的にもなんとかやり続けることできた。

虫たちが私の畑は農薬を使っていないので、「安全・安心」と思ったのか、虫たちが集まるようになって、周囲の農家から苦情が出るようになり、3年後八千代町での栽培は諦め、引き上げた。その後家の近くの農家から畑を借りて6年ほどそこで野菜を栽培していたが、その畑が住宅地になるということで引き払い、武蔵野線近くの畑に移動してきて、現在に到っている。この畑は以前は水田だったが農家が稲作を諦め、土地改良ということで建設残土を入れて畑にしたものだ。借りた当初は赤土のため野菜の育ちが良くなかったが、毎年沢山の腐葉土を入れ、貝化石石灰、牛ふんを入れてきた結果だろう、現在はフカフカの土になっている。この畑を緑川は武蔵野線の近くにあるので「武蔵野農園」と名付けている。緑川は野菜栽培については自己流であり、専門家ではないが、何よりも野菜の生きる姿から、生きる力をもらっている。

野菜栽培を通じて、緑川は救われた、そして今も救われている。野菜栽培を通じてこの人生を生きるヒントももらっている。

そして一方で都市部の屋上で屋上菜園事業も続けている。こちらはかれこれ始めてから14年が経った。屋上菜園事業は緑川にとってこの時代から与えられた天命と言うか使命となった。緑川の使命は社会の片隅のその片隅の一隅を照らすまさに小さな光だが、天から与えられた使命と受け止めている。

緑川は晩秋の早朝、青空を流れる雲を眺めながら、改めて使命という言葉を、「一隅を照らす」という最澄の言葉を噛み締めた。

 

(2)屋上菜園について。学生のインタビュー              

 

ある日、メールがあり、M大学の政治経済学部の学生S君が卒業論文として都市部の屋上菜園を取り上げることにしたいので、協力してほしいとのことだった。

緑川たちが栽培作業・指導をしている菜園を2日間かけて見学してもらってからインタビューとなった。場所は北千住駅の商業ビルの屋上菜園で、野菜を見ながらのインタビューだ。

 

―まず基本的な質問ですが、なぜビルの屋上で有機的な野菜栽培を始めようと思ったのですか?

 

私自身、ささやかですが、畑を家の近くで借りて野菜づくりをしています。家は埼玉県志木市でまだ周囲には畑が沢山あります。ところが東京など都心では一部の区は別にして野菜を栽培できるような場所は殆どありません。都市部ではマンションのベランダで野菜栽培をしている住民も多くいますので、野菜づくりをしてみたいという人は多いのではないでしょうか。それならビルの屋上は使えないか、屋上なら家賃も発生しないし、何よりも太陽の光が良く当たる。屋上であれば野菜につきものの病害虫も少ない。それなら素人でも野菜栽培の基本を学べば有機的栽培ができるのでは、と考えたんです。

 

―そこに目をつけられたのですね。ところで屋上に菜園を設置する場合、どんなことに気をつけたらいいのでしょうか。

 

まず土の問題です。ビルの屋上には荷重条件というのがあります。屋上に何かを設置したり、置く場合には180㎏/m2以下となっています。ところが、日本は地震の多い国ですから建築基準の他に地震力荷重というもっと厳しい条件があります。60㎏/m2です。これは1m2あたり載せられる重さは60㎏以下ということです。土の比重を1とすると60㎏の場合、土の深さは6cmとなります。

通常の畑の土は比重が1.6前後ですから、60㎏/㎡で計算すると土の厚さ(深さ)は3.75cmとなります。この深さでは野菜はとても育ちません。そのため比重の少ない計量土壌を使います。

屋上の荷重条件は屋上全体の面積を使って計算します。屋上菜園を設置する場合は屋上の使用可能面積と日照条件が分かれば、どこに菜園をどのようなレイアウトで設置したら良いかを決めることができます。

私たちは比重0.7の土を使って15cmの土厚で葉物野菜、実物野菜、根物野菜を栽培しています。

 

―そこがまず露地の菜園と言うか畑と大きく違う点ですね。他に気をつけることは何でしょうか。

 

あとは風ですね。屋上は地上に比べて風が強く吹きます。布とかシートが飛ばないように注意します。特に台風の時は飛びそうなものは全部片づけます。

 

―まだ他に注意することはありますか。

土と風に注意して頂ければ、あとは小さな問題です。

 

―緑川さんが屋上菜園で目指していることはなんですか。

それは私が経験したことですが、野菜を栽培する人が野菜から元気を、もっと言えば生きる力をもらってほしい、これが第一です。二番目は季節の変化を、自然の移り変わりを感じてほしい。都会で生活し、仕事をしているとどうしても季節の変化に鈍感になります。私は人間も自然の一部、自然の中で生かされていると思っています。自然から離れているといつかおかしくなる。そして三番目は屋上菜園では仲間と一緒に作業をしてほしい。一緒に作業することによって仲間になり、ひいてはそれがコミュニティになっていく。都会に住む人は孤独になりがちと言われていますが、野菜栽培を通じて普段着のコミュニティが生まれていくといいと思っています。

 

―ところで屋上菜園は都会で増えているんでしょうか。

それほど増えていないように思えます。屋上菜園と言った場合、プラスチックのプランターも加えると増えていると思われますが、一定規模の施工を伴う屋上菜園はそれほど増えていないのではないでしょうか。キチンと調べたことがないので正確なことは言えませんが・・・。10年前屋上菜園ブームの時期がありました。私のところにもあちこちから問い合わせ、引き合い、見積依頼がありましたが、実現したのはごくわずかでした。一番大きかった問題は栽培管理でした。緑化の場合は造園業者に年何回か手入れを頼むということになりますが、野菜栽培はそれこそ毎週の世話が必要です。とてもそこまでの栽培管理費は払えない、かといって自分達で野菜栽培をするといっても知識も技術もない。ということで業務関係はそれほど増えなかったと思います。一方個人でご自分の家の屋上とかテラスで個人的に栽培している方は大勢いるでしょうが、途中で飽きてしまったり、栽培作業が大変になって辞めてしまうということがありますね。

 

―屋上菜園は事業として成り立っていますか。

私たちの屋上菜園に限定して言いますと。まだ成り立っているとは言えないですね。残念ですが、持ち出しが続いています。事業としては2つの分野があります。まず個人向け。この場合は例えば屋上菜園クラブのようなものを作って会員になって頂き、会費を払って頂く。もう一つは法人向けです。ただ法人の場合は屋上菜園が会社にとってどのようなメリットをどの程度実現できるかを問題にします。現在2つの法人の屋上菜園を管理・運営していますが、このあたりが大きな課題です。つまり屋上菜園はどのような価値を生み出しているか、その価値とは具体的にはどのような内容のものか、ということです。

私たちが考えている価値と相手方の法人が受け止めている価値との間にギャップがある可能性があります。野菜を屋上で栽培しているというだけでは限界があります。なにかしらの付加価値を付けていく必要があります。もっと言うと

法人に評価して頂ける魅力的な価値を付け加えられるかどうかが屋上菜園を続けられるかどうかの鍵を握っているのではないかと思っています。いわゆる経済的・社会的利益を明確にする必要がありますが、それをどのような方法で提示できるか、力不足もあり、残念ですが、まだそこまで検討が進んでいないというのが現状です。

それに比べ老人ホームの場合は入居者の皆さん、職員の皆さんと一緒に作業をしたり、収穫したり、セミナー・ワークショップをして喜んで頂けるので、あまり難しいことを考える必要はないのかもしれません。もっとも屋上菜園があることが入居率の向上につながるということがあるかもしれませんが、まずは直接的効果が重要だと思います。

私たちの社団法人は前期大口の寄附があって黒字になりましたが、通常の収支では赤字となっています。ここ1~2年が事業として成り立つか、最終的な判断をしなければならない時期に差し掛かっています。

今後老人ホームに屋上菜園を普及させていくことができれば屋上菜園は事業として成り立つ可能性が強くなっていくと期待していますが、現在の新型コロナウイルス問題で普及活動が思うようにできないのがもどかしいですね。

 

―屋上菜園の今後の見通しをお聞かせいただけますか。

 

今後はニーズが特に強くある老人ホームで屋上菜園が増えていくのではないかと期待しています。野菜栽培、収穫それに伴うプログラム、ワークショップも開発することで、東京23区で老人ホームでの屋上に菜園が増えていくのではないでしょうか。商業ビルの屋上、事務所ビルの屋上菜園は社員の皆さんのための福利厚生施設として位置付けて頂ければと思います。それぞれの野菜の収穫期に社員の皆さんが収穫する、社員の皆さんの嬉しそうな声が聞こえてきそうです。これからの時代、企業にとって社員のための福利厚生はますます重要になってくると思います。パソコンに1人で向かう時間が多い現在だからこそ、そんな時間があるといいと思います。屋上菜園をぐるっと囲む形でテーブルを並べ、ランチタイムはそこでお弁当を野菜、果樹を見ながら食べる、というのもいいですね。場合によってはちょっと収穫してランチに添える。

 

―緑川さんは最近屋上菜園だけでなく、地上の畑の菜園、「コミュニティファーム」の実現に向けても動いていると伺いましたが、「コミュニティファーム」とはどんなファームなんでしょうか、また屋上菜園とどのようにつながっていくのでしょうか。

 

最近、私たち夫婦が二人でやってきた武蔵野農園に作業と収穫のために、来てくださる人が増えてきました。新型コロナウイルス問題が長引き、テレワークの人たちが気分転換も兼ねているのでしょう、農作業をしてくれます。夫婦2人で1/3反の畑で農作業をしていますが、齢をとるにつれて作業が段々きつくなってきました。私たちの友人、知人の皆さんが武蔵野農園に来て一緒に作業し、収穫作業に携わってくださることを本当に嬉しく思っています。武蔵野農園は広いので、3時間、4時間という作業時間になります。ということでお昼を挟んでの農作業もあります。作業して、お昼を一緒に食べておしゃべりもする、という感じでしょうか。露地の畑ではスコップ、鍬を持った作業があります。かなりの肉体労働になることもありますが、快い疲れで夜はぐっすり眠ることができます。

屋上菜園は狭い面積の畑ですから大体一日長くても1時間、通常は30分以内の農作業です。屋上菜園は建物の屋上にありますので、直ぐにいくことができます。屋上菜園で有機的栽培のコツを掴んで、もっと広い地上の畑で有機の野菜作りをしたいという人もいることでしょう。武蔵野農園は埼玉県ですが、池袋駅から電車で20分、徒歩20分のところにあります。

武蔵野農園での野菜の有機的栽培に強い関心を持ってくださっても実際に農園に来ることができるのは1週間に1回ぐらいかもしれませんね。それでいいと思います。でも屋上に、あるいはベランダに菜園を設置すればそれこそ毎日野菜作りを楽しむことができます。露地の農園で栽培した野菜の苗を屋上菜園で植付けることができます。苗をホームセンターで買う必要がなくなりますね。今年の秋、武蔵野農園ではイチゴの苗を300本以上植付けました。最近ではイチゴの苗をホームセンターで買おうとすると1本200円以上になりますから300本ですと6万円という計算になります。武蔵野農園で育てた苗を屋上菜園で植え付けることができれば経費節減になります。武蔵野農園に来られた方たちがお互いの屋上菜園、ベランダ菜園について写真を見せ合う・・・そんなこともできるようになります。野菜栽培にとってこのような交流は、特に農作業を続けるための重要なモチベーションアップにつながります。農作業は1人でやっていると大変ですが、皆さんと交流しながらやるとこれほど楽しいことはありません。これは私の実感です。

 

―今日はザックバランにお話してくださり、ありがとうございました。これからもまたいろいろお伺いすることがあると思いますが、よろしくお願いします。

 

どうぞ遠慮なくお問い合わせください。ひょっとするとこの新型コロナウイルスをキッカケにして、農作業に関心を持つ人が増えるかもしれませんよ。

 

(3)コミュニティファーム始まる

緑川は奥さんと一緒に現在の武蔵野農園を皆で栽培するコミュニティ農園にしていくための準備を進めてきた。武蔵野農園の面積を考慮して、まず10名でこの農園の運営をしていくことにした。基本作業日は土曜日と日曜日。

緑川と奥さんは週に3回、武蔵野農園に行き、作業をする。そして毎月毎週の土日の作業予定を8名のメンバーにメールで連絡し、当日参加できるメンバーで分担を決めて作業をする。つまり協同作業。区画を分けて自分の区画での栽培作業はないことにした。当日収穫できる野菜を全員で収穫して参加したメンバーで分け合う。決めごとは出来るだけ少なくした。

 

当日の作業時間を決めて作業をし、休息時間にはお茶を飲み、お昼を一緒に食べて、田園風景を楽しみながらおしゃべり。

種苗、資材費として1人あたり年間2万円をコミュニティファームに納める。

このコミュニテイ・ファームは緑川夫妻が責任者となっているが、野菜栽培については地元の農家を顧問として迎え、その野菜の栽培指導をしてもらうこととしている。やはり土地柄というものもある。

将来は畑の一部を使ってフィットネス、マインドフルネスのトレーニングもできればと考えて、企画中だ。

小さな子供連れの家族もいるので畑の片隅に折り畳み式の仮設トイレを設置した。

コミュニティ農園で経験を積み、さらに本格的に野菜づくりをしたいと思うメンバーは提携している地方に農作業応援という形で行くことができる。

これからは都市生活の良さと田舎生活の良さをバランス良く組み合わせていくことが大事だ。新しい、未来を築く今迄なかったコミュニティづくりが求められている。その実現のためにもう一踏ん張りしよう、花を咲かせ、実をつけていこう、緑川はそう自分に言い聞かせた。

(第25話 了)