「無私の日本人」再読

仙台藩から利息をとり、宿場の吉岡宿を守った「穀田屋十三郎」を再読した。その中で江戸時代の利子について触れた個所がある。

「江戸時代は利子の高い社会であり、-年利は1割が相場であったから、いったん利子をとられる側にまわれば、財政は地獄の有様となる」

1000両借りたら年利、利足金は100両という計算になる。ところでこのように高い利子はどのような経済メカニズムで決まっていたのであろうか。あるいは誰が決めていたのであろうか。当時は現代のような日本銀行もなかった。

「こうして安永三年(1774年)から、吉岡宿では暮れに、お上にさしあげた金千両の利金、百両全額がきっちりくばられるようになった。そのおかげもあり、吉岡宿は潤い、幕末にいたるまで、人口が減ることはなかった」

なお吉岡宿の場合、金千両はお上への預け金ではなく差上金であり、戻ってこなくて良い、但し未来永劫毎年利足金を1割仙台藩は吉岡宿に払うと言う仕組みを穀田屋と菅原屋は考えたことになる。これはまさに命がけのビジネスモデルだったと言うしかない。