タウン・マネジメントとコミュニティ・マネジメント

 

プレジデント7月29日号、「企業の活路」で森ビルが取り上げられている。森ビルの歴史の中で特筆すべきは「共同建築」という考え方だ。これは前社長森稔氏がつくり上げた型だった。地権者と共同で建てるのであれば森ビルそのものは建築用地の全てを持たなくて良いので、それだけ金銭的負担は軽くなるが、一方地権者の協力を取り付けるためには説得のために多大の時間を必要とする。当時森ビルは街の区画をオフイスビルに作り替えていた。私がサラリーマン生活を始めた昭和49年頃、森ビルは「次々とナンバービル」を建設・運営していた。当時森ビルは新興勢力ではあったが、何か2流の不動産会社というイメージがあった。取引先が森ビルに入っていた。訪問して気になったのは天井の低さだった。会社の不動産部の同僚が「森ビルは天井を低くして、その分階を増やして、その分家賃収入を多くとっている」と教えてくれた。しかし、今回「企業の活路」を読んでいて、

ひょっとしたら別の事情もあったのではないかと気付かされた。「あの頃はまだきちんとした冷暖房設備のあるオフイスビルも少なく、『ナンバービル』は、他と比べて非常に効率的なものでした」(執行役員御厨宏靖氏)。エアコンの効果を高めるためにも、天井を低くしたのではないか。現在7&Iと勢力を2分しているイオンも昔、「連邦経営」を標榜していたことを思い出す。100%株式を取得して買収してしまうのではなく、一定の株数に抑えて、相手の相対的自主性も尊重する、というやり方だ。「連邦経営」とは「共同経営」でもあったのではないか。しかし、共同と言っても連邦と言っても、優れた、時代を先取りしたコンセプトがなければ、前に進むことはできない。森ビルは「ヴァーティカル・ガーデンシティ」というコンセプトを打ち出した。これは職、住、遊、商、学、憩、文化、交流などの都市機能を縦に重ね合わせた超高層コンパクトシティだった。森前社長が目指したのは「貸しビルづくりから街づくりへ」だった。その集大成が「六本木ヒルズ」の開発となる。17年を要した再開発事業だった。この再開発のポイントを私の関心領域に引き寄せて整理すると以下のようになる。

1.ビルを中心としたエリア街に賑わいを作り出すための森ビル独自のタウン・マネジメントの手法だ。六本木ヒルズには毎年4000万人の人が集まってくる。共同建築に参画している地元の地権者の多くは商売を営んでいる。商売がうまくいくかどうか、それはまずもって集客力にある。

2.タウン・マネジメントの目的は持続的な、街の活性化のための仕掛けづくりだ。このために「文化都心」をコンセプトにした「ブランドブック」をオフイスを除くテナントに配り、研修を受けさせている。「ヒルズのXX」として、ホテル、ブティック、オフイス、レストランは街全体の魅力を高めるために協業する、という考え方だ。

3.街を活性化させるイベントの費用を、通路や広場ビジョンなどの共用施設の広告費でまかない、店舗には負担をかけないという手法をとった。街のスペースのメディア化だ。

4.最後にこれからの東京の姿を、森ビルは東京の磁力を高める国際的な未来都市としてイメージしている。

 

さて、森ビルのビジネスモデルの成功から、私達は何を学ぶことができるだろうか。都市部で屋上菜園ガーデンを展開している弊社として、移植したいのは以下の部分だ。

1.街には持続的な「賑わい」が欠かせない。特に多くの店舗が積極的の街づくりに参加するような「場」と仕掛けが鍵を握る。屋上菜園についても街の人々、店舗と「共同栽培」ができないだろうか。そこでは普通の日のコミュニティが形成される。

.街の活性化のために自然のカレンダーをベースにした四季毎の祭りを企画・開催する。日本人のDNAの中には「祭」に対する本能的期待感がある。コミュニティ参加への希求もあることだろう。屋上菜園でも収穫祭などの大イベントだけではなく、野菜毎、果樹毎の収穫祭をそれこそ毎月のように開催することができる。「ハレ」の日のコミュ二ティには外国人も含めて新しい人々も、多数参加できる。

日本人がコミュニティを形成する場合、2つの中心があると言われている。それは自然と人だ。人だけでは日本的コミュニティは安定しない。屋上菜園ガーデンは日本型コミュニティが新しいかたちをまとって復活する場となる。

3.森ビルが「街のメディア化」に成功したように「屋上菜園ガーデンのスペースのメディア化」を実現したい。広告主を広く集めることができれば、イベントの企画・実施も一層充実した、魅力的なものになる。

4.東京は過密と絵に描いたような街だ。パリもベルリンも人口は約300万人。それに対し、東京は1300万人。人口が多くなれば、知的な集積、知的な交流、つまり知の生産性が飛躍的に向上するとも言われているが、一方人間関係の疎遠化、無縁社会化も進んでいる。これが東京の国際都市としての発展のアキレス腱になる恐れは十分にある。大平元総理は「田園都市構想」の実現を目指し、道半ばで仆れた。21世紀の現在においてこの構想を再検討したいと思う。屋上菜園ガーデンは未来の東京のために、それ独自の内容で貢献できるのではないかと思う。

5.目指すはタウン・マネジメントの中の、その一部としての日本的コミュニティ・マネ  

  ジメントだ。