ハンナ・アーレントの映画
私は若い頃、ジェルジ・ルカーチに傾倒していた。学生時代、本屋でルカーチの「歴史と階級意識」を読み、それから文字通りルカーチにのめり込んでいった。私が惹かれたのは「物象化論」だった。それまでマルクス、エンゲルスの本、つまりマルクス主義の本を読んでいたが、その中でも経済学・哲学草稿を愛読していた。草稿の「疎外論」は当時多くの若者の心を捉えていた。当時の私は疎外論の次の段階を求めていたように思う。ルカーチの物象化論は私の期待に叶うものだった。「物象化とプロレタリアートの意識」は何度も読み返し、学部の卒論のテーマは「物象化と全体性」だった。「歴史の階級意識」を中心にして、遡って「魂と形式」「小説の理論」、下って「歴史と階級意識」以降に書かれた「リアリズム論」「実存主義かマルクス主義か」などを読んだ。確か「リアリズム論」の中だったと記憶しているが、表現主義を巡ってルカーチとアーレントの論争が往復書簡の形で収められていた。ルカーチはアーレントに対して、論争の相手ではあるが、親愛の情をにじませていたように感じた。当時の私はマルクス主義的立場に立っていたので、アーレントに対してはブルジョア的との意識を持っていた。その後、時代も変り、私も変っていった。変っていかざるをえなかった。最近そのアーレントの生涯を描いたドイツの映画「ハンナ・アーレント」が日本で異例のヒットを記録している。上映している岩波ホールは連日の行列とのこと。人々が共感しているのは「大勢と異なる意見を発表し、脅迫や中傷を受けても声を上げ続け、主張を曲がることがなかった」生き方だ。
アーレントは西洋的なヒューマニズム、人間性に対する過剰な期待を一旦解体した上で、全体主義に通じる思考の均質化・同一化を防ぐ手立てを追及した哲学者と言われている。アーレントの「複数性」は今の私たちにとってもビビッドな意味を持っているのではないか。シニアになって若い時の自分の思想を見直し、もっと広い視野で物事を、深く考えることができるというのは正直嬉しいことだ。ハンナ・アーレントはそのキッカケを与えてくれた。