人生のリアリズム

私達は時々こんなことを言う。「それは絵に描いた餅だよ」「現実はそんなきれいごとではない」「夢のようなことばかり言って、地に足がついていない」「現実は厳しい、理想ではメシは食えない」。私達は日々を生きている。瞑想の修行をしている禅僧も今日食べる米を買うために托鉢に出る。生活していくためにはどのような人であれ、働かなければならないというのがこの世の現実だ。今日を生きる、今を生きる、それが基本であろう。ここで一つの反省がある。自分は今日を生きているだろうか、また今、ここで生きているだろうか。その日を精一杯生きていけば、その積み重ねの結果として、新しい可能性が開けてくる、と私達は信じているが、その前提は「今日を生きる」だ。「明日のことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」というイエスの言葉はこの間の消息を伝えているのではないか。私達は経済成長という言葉に夢を託し、いつの間にか未来に向けて前のめりになってはいないだろうか。デフレ経済、あるいは成熟経済と言われる。

この時期に私達ができることは、自分達の現在をしっかり見つめ、ここに到る迄の過去をきちんと確認し、そこに今につながる意味の流れを確認することではないかと私には思われる。それを十分にやった上で未来に向けて一歩を踏み出していきたい。現実主義、保守主義、理想主義は恐らく底流ではつながっているはずだ。