休むこと、立ち止まることの大切さ

毎日がアッという間に過ぎていく。何かいつも気せわしく、人の話もゆっくり聞けない。そして疲れて床につき、一日が終る。このままではいけない、どこかおかしいと思いながら立ち止まることができず、次の予定地へと向う。それでいていつも何か名状しがたい不安が付きまとう。自分は一体何をしているのか、自分がしていることは意味があることなのか、自分が本当にすべきことなのか・・・。命が時間なら、自分に残された時間は少なくなっている。限りある命なのだ。

最近私は休むこと、立ち止まることの大切さを教えられた。青空を見上げながら、「自分にとって大切なことは何か」と自分に問いかける。簡単な問いではない。すぐに答えが出てくる問いでもない。問いの目的は自分を立ち止まらせることだ。問いに対する答えは一つとは限らないだろう。

流される生き方、衝動に突き動かされる生き方の対極に「観想的生き方」がある。最近禅について書かれた本が良く読まれているとのことだ。人々は観想的生き方の回復を求めているのかもしれない。沈黙と静けさを日々の生活と仕事の中で短い時間でも持ちたいと思う。