必要な会議と不必要な会議 そしてこれからの会議

以前私自身経験したことだが、ある団体の役員をしていた時、余りにも会議が多いので会議を減らそうと提案したことがあった。総論は賛成だが、会議を減らして問題が出てこないか、そのための会議をやろう、となってガックリきたことがある。

さて会議に出るのが楽しくてたまらないという人がどれだけいるだろうか。恐らく多くの人達が会議に出るのは億劫だ、時間の無駄だと感じているのではないか。であれば止めればいいのに止められない。それは何故だろうか。上意下達という言葉がある。このような会議には正直出席したくない。それにつけても何故会議をするのか。以前は情報の共有、意思統一のためという答が一般的ではなかったか。さらには経営陣としては現場の社員の話を会議の席で聞いて、現状を把握したいという思いもあるだろう。

ところで最近では会議は知的イノベーションの機会でもある、との考え方が広がってきている。人と人、そのコミュニケーションの中から新しいアイデアが生まれ、それがイノベーションにつながっていくという、問題解決力と創造力を生み出す場として会議が見直されてきている。会議も経験知と形式知の「共同化の現場」「創造の坩堝」ということになる。人間の集団では縦の部分ではコミュニケーションが取りやすいが横のコミュニケーションは難しくなっていく。その意味で横串を刺すような会議はやはり必要だろう。縦串と横串はそれぞれ目的も異なる。

それにつけても昆虫の蟻とかミツバチの集団労働?見ているとお互い打ち合わせのようなことはしているようだが、会議のようなものは開いていないようだ。どのようにして全体的な連係を図っているのだろうか。