故郷喪失・農業から産業へ
私達の多くの者にとって故郷は田舎だ。故郷は遠くにありて想うもの、という言葉があるが、私達は田舎を出て都会にやってきた。田舎では働いても働いても楽になれない、貧しさに耐え切れず、豊かさを求めて都会にやってきた。戦後のGHQによる農地解放の結果、今迄小作農だった農民が小地主になった。しかし家族単位の生産活動であったため、経営革新の面でも生産性の面でも、大きな限界を抱えることになった。農家の次男、三男は田舎では自分の居場所がなく、都会に出てきて産業社会の中で生きることとなった。それが日本の奇跡の戦後復興、高度経済成長の原動力になったのかもしれない。専門的能力を身につけ、職業人として生きなければならなかった。私の父は栃木県の出身だ。都会で生きることの大変さを子供達に背中で教えてくれた。田舎出での都会人の夢は「故郷に錦を飾る」だったが、誰もが飾れるわけではない。夢叶わず、失意の人生を送った人は数知れないだろう。「帰りたくても帰れない。帰れなくても帰りたい」。田舎には母がいた。杉本まさとの「吾亦紅」を聞きながら、母の墓に線香を手向けるために、やっとの思いで故郷に帰ってくる後ろめたさ、しかしもう田舎では誰も自分を迎えてはくれない寂しさを感じる。私達は都会で豊かさを求めて、それこそ「会社人間」になって働いてきた。その結果、豊かになっただろうか。また幸せになっただろうか。一番大きなダメージを受けているのは家族と地縁だろう。それが取り返しのつかないまで来ていないことを願うばかりだ。