消費オンリーから生産者へ
私達は余りに消費者になっている。消費させる、そのためにお金を使わせる、それが経済成長につながる、という図式に慣らされてしまっているようだ。それで私達の経済生活は消費、つまりこれだけ毎月支出がある。その分だけ稼がなければいけない、という計算順序、発想になる。問題は2つある。一つは支出の中身だ。毎月の固定費はとにかく、無駄使いもあるのではないか。特に現代のようにストレスフルの仕事、生活では気分転換のために使うお金、この場合は変動費的傾向が強いのだろうが、この部分の支出も少ないないだろう。ストレスの度合いと消費行動はリンクしているのではないだろうか。もう一つの問題は人間が本来持っている能動的性格、生産への思いだ。どんなことであれ、自分が生産的仕事をしていると思うことができれば、人は充実感、達成感を持つことができるはずだ。やや牽強付会の感を禁じえないが、最近野菜づくりのブームが広がっているのは、2つの面があるのではないかと感じている。やはり生活の中で大事なことは安心・安全なものを食べているか、つまり生活の基になる食べる、ということに対する関心の強さと同時にどんなに小さなことでもいいから生産したい、という欲求が出ているのではないか。
私の場合、毎日家で食べる野菜を市民農園で自給自足する事を目指しているが、農作業が大変でも辛いとか止めたいと思ったことは一度もない。それは一重に生産活動に携わっているという充実感からだと感じている。生産活動は何もモノの生産だけには限られない。
半分自分史の積もりで書いている時代小説も私にとっては生産活動だ。読書だけでは時間の消費、知識・情報の吸収だけで終ってしまうが、自分で書くということは精神的な生産活動となる。
これからの時代は今まで受身あるいは消費者の立場に結果的に縛り付けられていた人々が生産者としての立場、能力を発揮していく時代になるのではないか。
消費者から生産者へ、それが共有、共創を特徴とする成熟社会を創り上げるのではないか、秋空の朝の爽やか風に吹かれながら思ったことだ。