生きがいを見つける難しさ

生きがいを見つけるのは難しい。定年退職者の男性が何もすることがなくて、ぼんやりテレビを見ていたり、パチンコをしたり、図書館で本を読んだりして、時間を潰している。お父さんのそんな姿を心配した娘さんが生活のハリを持ってもらうために絵を描くことを勧める記事が載っていた。退職後暫くは好きなゴルフをやり、ゴルフ三昧だったが、それにも飽きて次の趣味を探していると私の知人から聞いたことがある。現在は人生80年から90年の時代に入っている。医療の進歩と食べ物の高栄養化が背景にあると言われる。ということは65歳で定年退職した場合、残りが15年から25年あることになる。特に男性は社会的価値、存在感がないと「自分は生きていていいのだろうか」と思うところがある。趣味の世界だけで生き甲斐を持つことができれば、それはそれで良いと思うが、やはりどこかで社会とつながり、社会に役立っているという実感が欲しい、という声も少なからずある。ただ自分の人生の生き甲斐は人から教えてもらう性質のものではなく、結局は自分で探すしかないものだと、思う。私自身、自分の生き甲斐を見つける迄、紆余曲折した。というか漂流した。どうやら流れついた島が私の生き甲斐の場所のようだ。まだ島の渚にいる。これから島の中央に向っていく。さてそう考えると生き甲斐とは何かが自分を待っている。その何かに出遭えた時、私の人生は・・・・のためだったと言えるのかもしれない。やなせたかしさんはこう言った。絶望の隣に希望がそっと座っている。生き甲斐を見つけるのは簡単なことではない。挫折、絶望を乗り越えてところに自分の本当の人生が待っている。シンガーソングライターのスガシカオがプログレスの最後で呼びかけている。「あと一歩だけ、前に進もう」蹲っていないで立ち上がり、前に向って一歩を踏み出す。その一歩が次ぎの一歩につながる。人生はその一歩一歩の積み重ねなのかもしれない。