第二の故郷物語 「両親に幸せ旅行をプレゼント」➂ (1)~(5)

(1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(一日目)

女将は「地域コミュニケータ」との1時間の入念な打ち合わせを終え、玄関に飾った生け花を整えていた。そこへミニサロンカーが到着。親孝行旅行のお客様だ。早速従業員を促してお迎えする。3日前旅行計画を準備した「第二の故郷」コンシェルジェ山川さんから書類が届き、既に打ち合わせを終えている。

お部屋にご案内する前に応接ルームでご挨拶。お茶だしをした後、「第二の故郷」のサービス内容についてご説明する。特に体調管理システム、リストバンド型活動量計に関心を持ってくださった。地元の病院が、お客様の滞在中に何か体調の変化があれば、すぐ対応する体制ができている。またAEDも備えてありますよと説明すると、「それなら安心ね」と白髪の東条様の奥様が嬉しそうに言われた。そして「おいしいお茶ですこと」。

女将から今回の皆様のお付き添いをご紹介した。旅館の中は従業員が担当し、外は「地域コミュニケータ」が担当しますと簡単にご説明した。

東條様ご夫妻には「地域コミュニケータ」の坂本さんが外のお付き添い。「地域コミュニケータ」は地元の方たちだ。中には看護士、介護士の経験のある人もいる。しかも「第二の故郷」の研修を受けて試験に合格している。心強い。 

従業員にお客様をお部屋にご案内させた後、女将は部屋に顔を出し改めてご挨拶。私どもの旅館には俳句で有名な皆川先生も時々来られるんですよ、と女将は四方山話。

着替えていただいてから昼食までの時間、「地域コミュニケータ」が近くの名所までご案内する。予め選んでおいた場所に向かう。ゆっくり散歩という風情で。

(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご夫婦が散歩から戻ってきた。昼食はご夫婦の健康状態に合わせてそれぞれ調理してある。量も少なからず、多からずで丁度いい。これなら食べ残すということもない。戦後の食糧難の時期を生き抜いてきた人たち。勿体無いがすぐ口に出る。

塩分控え目だが、季節の香りを添えて、ちょっと嬉しい地元ならではのびっくり食材。

昼食の後、足湯。その後マッサージ券を使っていただき、全身マッサージ。午後3時過ぎ、地元の町に下りてみやげ物屋を歩く。子供達へのお土産を今から探しておこう、と思っているのかもしれない。茶店風の店で一休み。お茶とお菓子を頂く。

夕方、旅館に戻る。「地域コミュニケータ」の坂本さんは東条様ご夫妻に「今日はこれで失礼します。明日は9時に参ります。お薬を飲むのを忘れないでくださいね。」と挨拶して、その後旅館のスタッフに今日の報告と明日の予定の打ち合わせを済ませた後、帰宅していった。急な連絡のために連絡用携帯電話は所持して貰っている。

東条様ご夫妻には温泉に入っていただく。事前に温泉の効能について従業員がご説明する。風呂から上がってこられた。「檜風呂ってやはりいいね。檜の香りと柔らかいお湯。堪能しました」と東条さんのご主人。

さあ夕食。お部屋に料理が運ばれる。一日のハイライト。従業員が料理を持って部屋に入ってくる。

その中にご注文の懐かしい料理がある。「やあ、本当に作ってくれたんだね。これを食べると母を思い出すんだ。ありがとう」東条様のご主人は嬉しそうに箸を伸ばした。奥様からもなつかしい料理、食べてみたい料理のご注文を頂いている。奥様は、「わざわざ作ってくださり、嬉しいわー。ご馳走が沢山でどこから箸をつけたらいいか迷っちゃう」と料理を見ながらちょっとはしゃいでいる。その姿を見ている東条さんのご主人の目がやさしい。

「今日は楽しかった。こんな旅行をプレゼントしてくれた子供達に感謝だね」と東条様のご主人は奥様に顔を向けて、ご満悦だ。

食後は地元の歴史、文化をまとめたビデオを鑑賞して頂いた。

「そうそう、息子達が気にしているだろうから電話をしよう。母さん、携帯でかけてくれないか」

ご主人の後は奥様が息子さんのお嫁さんと話しているようだ。

お布団を敷き、就寝の準備をした。

お客様がぐっすりと睡眠をとられ、明朝元気に目覚められ、楽しい一日が送れますように!

(2)

(二日目)

東条様の奥様は鳥の声で目を覚ました。一瞬ここはどこかしらと思い、「ああ、そうそうお父さんと一緒に旅行に来ているんだわ」とつぶやき、傍らでまだ寝ている夫の顔を見た。

昨晩は嬉しくて3回も温泉に入ったので、ちょっと疲れたのかもしれない。「あんな嬉しそうなお父さんの顔を見たのは久し振り」。

鳥の声に誘われるようにそっと襖を開け、窓の側に寄った。「今日も良い天気。さてお父さんと一緒にどこにいこうかしら」

「昨日昼食券とマッサージ券を頂いたから今日は近くの松葉旅館に行って昼食を頂き、それから夕方はこの旅館に戻ってきて、マッサージもいいわね」東条様の奥様は漠然と今日の予定を考えていた。「昨日の「地域コミュニケータ」の坂本さんにも相談しよう、きっといいところに連れてってくれるわ。気さくでとても感じのいい人だったから」

部屋の中で「ウウーン」と伸びをしているご主人の声が聞こえた。「おはようございます。良く眠れたようね」「ウン、久し振りにぐっすり眠れたよ。さて、早速朝風呂といこう」

「ホントにお風呂が好きね」「折角温泉に来たんだ。ここの温泉は本当に気持ちがいいんだよ」

ご主人が朝風呂から上がってきて、程なく旅館の従業員から電話があった。「おはようございます。朝食は何時ごろお召し上がりになりますか」

 食事が部屋に運ばれてきた。予め注文していた朝食メニュー。小豆入り玄米粥、鮭の皮のロール、半熟の卵、白花豆の煮物、黒ゴマ豆腐、磯まきゴボウ、わかめとネギの味噌汁。

 「この旅行では好きな料理、懐かしい料理を食べさせてくれるというんで、ちょっと我侭を言わせて貰ったんだ」ご主人は食事を運んできた従業員に「ありがとう。そう、これこれ。美味しそうだ。」

ご主人の話によると小豆入りの玄米粥は出張で行った山形の旅館で食べたもので「もう一度食べてみたいと思っていたんだ。」鮭の皮のロールは北海道の天塩川の営業所にいた時、ふんだんに採れる鮭の皮の美味しさを知ったため。白花豆は北見地方の特産。磯まきゴボウ、わかめとネギの味噌汁はお袋の味で、半熟の卵、黒ゴマ豆腐、納豆は健康のために毎朝食べている、そのように説明してくださった。

「さあ、これで今日も一日元気に過ごせるよ。」「まあまあ、美味しいものを前にした子供みたいね。それでは頂きましょう」ご夫妻とも最初に味噌汁に箸をつけた。「美味しい!」「うまい!」

「ゆっくり朝ご飯が食べられるなんて、嬉しいわ。後片付けもしなくていいし。・・・私たちが結婚した時は、あなたは残業、残業で家に帰ってくるのは食事と寝るためという感じで、朝ご飯も慌しかったわ。もうあれから50年。いろいろあったわね。でも今こうしていられるなんて幸せ。子供達もそれぞれ元気にやっているし・・・。こうやってお父さんと一緒に食事できるの、後何回かしら。300回、1000回・・・」

「50年、しっかり支えてくれた、もうダメだと思ったこともあったが、お父さんなら乗り越えられるわ、と励ましてくれた。お礼を申します。心の底から感謝しています」

「何でこんな話になったのかしら」奥様はそっと目を拭っていた。

食事の片付けと入れ替わりに女将が部屋に朝の挨拶にきた。「おはようございます!

今日も元気でお健やかにお過ごしください。何かありましたらどうぞご遠慮なくお申し付けください」

「地域コミュニケータ」の坂本さんが部屋に入ってきた。「おはようございます。ご気分はいかがですか。体調はどうですか」坂本さんは親身になって尋ねている。坂本さんは30分ほど前に旅館にきて、体調管理システムのデータをチェックしていた。「これなら大丈夫、でも無理しないようにしましょう」と自分に言い聞かせた。

坂本さんは今日のスケジュールを東条様ご夫妻の要望を聞きながら打ち合わせが始まった。地元の観光マップと農家と漁村の訪問先を見ながら楽しそうに話し合っている。

予定としては、前日に決めておけば段取りしやすいのだが、高齢者の場合はその日に

なってみないと体調が分からないので、当日の体調を見て適宜予定を立てたほうが高齢者にも負担がかからない、ということを坂本さんは経験から学んでいる。

打ち合わせの結果、午前中に観光の名所を一つ見た後で、農家の高橋さんのお宅を訪問することにした。地元でないと食べられないちょっと珍しい野菜があるとのこと。

午後は観光の名所を2つ、車で行って、ゆっくり見て、それから旅館に戻り夕食。風呂に入ってからマッサージ、と決まった。

東条様のご主人は「さあ、腹ごしらえもできたから、今日は歩くぞ」と元気一杯。

奥様は「あなたに付いていきますが、疲れたら手を引いてくださいね」

午前中の観光名所は散歩がてらいける距離だが、午後の名所は歩いていくには遠すぎるので、坂本さんが旅館の車でお二人を案内する。

午前中の観光名所には散歩がてら。お二人は手ぶらだ。「地域コミュニケータ」の坂本さんがお二人の手荷物を運んでいる。お二人は時々立ち止まり、「ちょっと休みたいんですが、いいですか。」「勿論いいですよ」と坂本さん。道端の岩の上にシートを敷いてそこに座っていただく。樹木の香りが流れてくる。道端には菫の花が咲いている。川の流れの音が聞こえてきた。「もうすぐお目当ての滝かな」

坂本さんは滝の前でお二人の写真を撮る。「ご主人、奥様の肩をそっと抱いていただけますか」

写真を撮った後、坂本さんは携帯電話を使って旅館に今どこにいるか、何をしているか、特に問題はないか、これからの予定につき、報告を入れていた。

滝の見物の後、農家の高橋さんのお宅に伺った。昔ながらの農村の家。若いご夫婦が迎えてくれた。ご主人から土地のこと、農業についてお茶を頂きながら話を聞いた。「ちょっと珍しい野菜を上がってくださいな。葉ワサビなんです。なめ味噌を葉ワサビでくるんで食べると、これがなんとも言えません。お口に合うといいんですが」

鮮やかな野菜の香りが口の中に広がる。「これはここでしか味わえない地元の逸品ですな」「葉ワサビと味噌がよく合っていること」蕎麦茶を高橋さんが出してくださった。

目の前には棚田が広がっていた。あぜ道で縁取りされた幾枚もの棚田。東条様のご主人は子供の頃田舎で育ったと聞いていた。どこか遠くを見るような目で棚田とその回りに拡がる風景を眺めている。ぽつんと「懐かしいな~。ぼくの田舎にも昔は棚田が沢山あったよ。大水の後など崩れた石垣直しが大変だった。」

(3)

旅館に戻り、昼食。ご夫妻はざる蕎麦とミニ山芋汁を食べられた。

一服してから車で観光名所2箇所を回った。一つは民話の里、もう一つは平家の落人部落。旅館に戻った。少しお疲れになったようだ。「お疲れになったんじゃないですか」と聞く坂本さんに「大丈夫、大丈夫」とご主人が答えている。奥様は「疲れたわ」と言って窓の側のラタンの椅子に身体を預けるようにして座った。「お父さんたら、1人でドンドン歩いていってしまうんですもの。手を引いてください、ってお願いしたのに。坂本さんがいてくださったので助かったわ」

奥様は旅館の庭を見ていた。お茶を頂きながら、ぼんやりと庭木を眺めていると女将さんがしゃがんで何かをとっているのが見えた。近づいてきた女将さんに声をかける。「何とっていたんですか」「あら、ご覧になっていたんですか。茗荷なんですよ。今晩の夕食に添えさせていただこうと思いまして」「お財布なんか忘れていきませんよ~」「それより宿賃のお支払いを忘れないでくださいね」女将と東条様の奥様が声をたてて笑っている。「茗荷が可憐な黄色い花をつけるんですよ、私とても好きなんです」

夕食は旅館謹製の高齢者向け特別料理で、採れたての色とりどりの野菜、山菜がふんだんに使われている。天麩羅の盛り合わせ。湯葉、椎茸などの具が盛りだくさんのうどんすき。おやき。あわぜんざい。りんごジュースに玄米茶。

東条様ご夫妻は全部召し上がった。「料理は美味しいというのがまず第一だが、食べて幸せ、というのが最高だね。今晩は本当に幸せだった」ご主人が奥様に顔を向け、きみはどうだい、と言う感じで促している。「私も幸せでした。こんな心づくしのご馳走が頂けるなんて、幸せです。それに何か身体の中がスーッと爽やかになったみたい」「さっそくデトックス効果が出たんじゃないか」

夕食後、東条様ご夫妻はしばらくテレビをご覧になっていた。お二人でよく見ている番組とのこと。時間を見計らって、マッサージ室にご案内する。まず足湯に使っていただき、しばしリラックス。身体も温まってきたころ、マッサージを始める。ご主人には中国気功整体、奥様には美容整体。それぞれ50分コース。今日一日の疲れがとれることを願って。

マッサージの後は歌の時間。お二人に「心の歌」を歌っていただく趣向。ご主人からは「喜びも悲しみも幾年月」「影を慕いて」「霧にむせぶ夜」奥様からは「恋心」「蘇州夜曲」「水色のワルツ」が自分の心の歌との連絡を頂いている。

司会は「地域コミュニケータ」の坂本さん。観客は従業員でカラオケセットも担当。

坂本さんが始める。「真珠貝のようにこころの中に埋め込まれた小さな玉。人の世で生きていく時、私たちが流す涙、苦しみが小さな玉を少しづつ大きくしていきます。

そしていつしか輝きを増していきます。それが我が心の歌なのでしょう。」

それではご主人からどうぞ。

 坂本さん、ナレーションを始める。

・・・灯台守は

船に光を送り続けます

灯台守は家族だけの世界

妻は不自由な暮らしに耐え

子供達を育ててくれました

人並みの楽しみを味わわせて

やれなかった 妻よ 子よ

黙々と仕えてくれた妻よ

お前がいなかったら

俺はこの仕事を続けられなかった

妻よ お前こそ

俺という船の灯台だった・・・

それでは東條様のご主人、どうぞ。

ご主人は出だしでちょっとつまづいた。涙を拭った後で歌い始めた。坂本さんが励ますように途中まで一緒に歌った。

次は奥様、恋心です。

坂本さんのナレーション。

・・・ミラボー橋の下をセーヌは流れ

私たちの青春も

私たちの恋も

小さな舟のように

流れていった

もう恋なんてしないと誓った筈なのに

恋なんてむなしくはかないものと

知った筈なのに

なぜか今度こそ本当の恋に生きたい

恋に死にたい

セーヌの流れをみつめながら

そう思う私は

愚かでしょうか

マビヨン通りに枯葉が舞っています。

あの人と会った小さなレストランに

灯がともっています・・・

奥様は岸洋子になったかのように表情たっぷりに歌われた。

歌声と共に夜は更けていく。

ご主人も、奥様もそれぞれ3曲歌った後、歌にまつわる思い出を語り始めた。

坂本さんと従業員は相槌を打ちながら聞いている。

午後9時半。明日もありますから、お二人の歌謡ショーは盛り上がってきましたが、そろそろ幕を下ろさせていただいたいと思いますが、宜しいでしょうか。

「おやおや、こんな時間か。あまりにも楽しくて時間を忘れていたよ。長時間、お付き合い頂いてありがとう。」「本当に楽しゅうございました」

坂本さんは「明日は9時に伺います。それではゆっくりお休みください。それからお休みになる前にお薬を飲んでくださいね。」と挨拶して部屋を後にした。

「今晩東条様ご夫妻はなかなか眠れないかもしれない。寝物語にいろいろお話されるのではないかしら」坂本さんは女将に今日一日の報告書を出して家路についた。

 電気を消した暗い部屋の中でご主人の声がしている。

 早苗

 今日は楽しかった。君と一緒にこんな旅行ができるなんてまるで夢のようだ。

 ぼくは今日、今迄なんて君を大事にしてこなかったか、本当にわがままな自分勝手な

 人間だと思ったよ。・・・許してほしい。これからは少しは優しい夫になりたいと思う。ぼくと結婚して幸せだったと思ってもらえるように心がけます。

 これからもどうぞよろしく。早苗さん・・・お休みなさい。 

(4)

 (三日目)

 雨の音で東條様の奥様は目をさました。庭の木の葉を雨がやさしく叩いている音が聞こえてくる。「今日は一日雨かしら。2日間ちょっと忙しかったから、今日は旅館でゆっくりするというのもいいわね」奥様はこの2日間のことを振りかえっていた。まるで家族のように迎えてくれている女将さんと旅館の従業員の人たち、「地域コミュニケータ」の坂本さん、親切にしてくださった地元の方たちともあと1日でお別れ、何か胸にこみあげてくるものを感じる。

 「起きているのか」ご主人が頭を奥様の方に向けた。「はい、今目を覚ましたところ」

 「朝食前に近くを散歩しないか」「雨が降ってますよ」「いいじゃないか、相合傘で行こうよ」旅館の案内図の中に散策路が紹介されていた。

 東條様ご夫妻は着替えて「ちょっとそこら辺を散歩してきます。小1時間というところかな。朝食は8時にお願いします」奥様はご主人の腕にすがり、ご主人が傘をさしている。「行ってらっしゃいませ」

「若い頃、こうして2人で腕を組んで銀座を歩いたわね。デートだっていうのにあなたはいつも遅れてきたし、それに仕事の話ばかりしてたわ」

「何を話したらいいのか、分からなかったんだ」

「愛しているよ、なんて一回も言ってくださらなかったのよ」

「そんなこと思っていても、口に出せなかったよ」

「ほんとに思っていたのかしら」

「思っていたさ」

「私のこと、そんなに好きじゃないのかしら、って寂しかった。母に明彦さんはデートの時いつも仕事の話ばっかり、いやになっちゃうわ、と言ったら叱られたわ。母は「真面目で不器用な人かもしれないけど、一途なところがあるのよ、明彦さんは。これからはあなた次第よ」って言われたわ。」

「あれから45年か。長いといえば長いし、昨日のことでもあるような気もするし。長いこと本当にありがとう。でもぼくは君にとって良い夫ではなかったんじゃないかな。それほど出世もしなかったし、金持ちにもなれなかった。自分のことで精一杯という生き方をしてしまった。」

「あなたの定年退職の日、家に沢山のお花が届いたわね。その時、あなたが会社でどんな存在だったか、分かったの。嬉しかった。あなたの人間性を多くの人たちが認めてくれていたんだと」

「そんなことがあったね。でも君がお父さん、お疲れ様でした、と渡してくれた花束が一番嬉しかったよ」

「あの晩、お父さんはわたしの前に正座して、本当に長い間ありがとう、と言ってくれたわ。こんな私を支えてくれたことを感謝しています、って」

「あれから2人であちこち旅行に行ったね。会社勤めの時はどこにも連れていってあげられなかったからね。どこが一番想い出に残っている?」

「今度の旅行かしらね」

「お父さんね、私今でも思い出すと幸せな気持ちになることがあるの。あれは私が65歳を迎えた時、健康診断で乳癌の疑いがあるということで、池袋の癌研の病院で検査して貰った時、手術することになったわよね。そのことをお父さんに話したら、「大丈夫、きっと直る」と言って、私のことを一晩中抱いてくださった。あなたの身体の温もりをあの時ほど感じたことはなかったわ」

「君のことがいとおしい、心底そう思ったんだ。」

「この人生、2人でいろんな思い出をつくってきたわ。辛く、悲しいこともあったけど、あなたと2人で作ってきたのよ。他の誰とでもないわ。これからも素敵な思い出を一緒に作っていきましょうよ。私の素晴らしい、だけど時々ちょっと依怙地になる旦那様」

 雨は上がり、青空が見えてきた。木々の葉がみずみずしく光っている。

「旅館に戻る時間だよ」

「いやよ、まだ戻りたくない」

朝食の時間。東條様の奥様のご希望メニューは、牛乳、焼き芋、ゆで卵、ごはん、味噌汁、青菜の漬物、食後の果物(みかんとぶどう)。香川栄養学園園長香川綾さんの四群点数法で香川さんが自ら実践している食事で、香川さん自身90歳を過ぎても現役で活躍している。

香川さんは「三食とも大事ですが、栄養学的には朝がいちばん重要です。不足している栄養分を補充して、身体をリフレッシュさせ、一日のスタートをきる。これが自然の理にかなっています」と言っている。

東條様の奥様はこれから香川先生の食事法をご主人とご自分の健康のため始めたいと思っていたが、なかなかキッカケが掴めずにいたので、今朝の朝食に期するところがあるようだ。「牛乳、焼き芋、ゆで卵が主食なんですよ。ごはん、味噌汁は副食。ちょっと変わっているでしょ」

「昨年、私も主人も病気をしましたの。もう少し、2人で人生を、健康に過ごしたいと思いまして、高齢者の健康法を調べているうちに香川綾先生の料理法に行き着きました」

ご主人は旅館特製の朝食を食べている。グジの焼き物、味噌汁、エイひれ、岩海苔、野菜物3種。大根の葉とちりめんじゃこのおひたし。レンコンとふきとがんもどきの炊き合わせ。そして大和芋のすりおろしたもの。最後に野菜ジュース。

お二人は食事をしながら今日の予定の打ち合わせをしている。

午前中は近くの漁村にいくことにした。お昼はそこで浜鍋を頂いて、その後海辺を散歩。旅館に戻ってきてから、旅館の隣にある陶芸教室で夫婦茶碗をつくり、夕食迄の時間、ゆっくりと温泉に入る。夕食後、旅館の車で星が丘に向かい、星見物。ここは星がとてもきれいに見える場所とか。

若い時は太陽が昇り、中年期には太陽が頭上の中心に来て、老年期は素晴らしい夕焼け。太陽が沈み、夜がやってくる。日中は全く見えなかった星星が夜空に一斉に輝く。空一杯の星を眺める。これは高齢者の特権かもしれない。

星見物から戻ったら、マッサージしてもらって、後は部屋でくつろぐ。「地域コミュニケータ」の坂本さんが、明日の晩はちょっと特別なことがありますよ、と言っていた。「何かしら、楽しみだわ」

朝食後、坂本さんが来た。

「坂本さん、2人でこんな計画を立てたのよ。どうかしら。」

「とてもいいですよ~。今日は写真を沢山とりましょうね。お見受けしたところお二人

ともとても元気そうですよ」

(5)

坂本さんに案内されて車で、漁港に向かう。車で30分。汐の香りが濃くなってくる。港を散歩してから、予約しておいた割烹旅館で浜鍋を頂く。お店の人は「鯛とか、ひらめも美味しいですけど、本当に美味しいのは岩礁についた海藻を食べている小あじとか赤べらとか、そういう小魚なんですよ。都会の人たちはご存知ないかもしれませんが、養殖物とは全然違います」

「坂本さんもご一緒にいかがかしら」

「そうそう、気がつかなくて失礼しました」

昼食の後、漁師の三崎さんのお宅に伺い、お話を聞く。

「ぼくも実は漁師になりたいと思った時期があったんだ。海原を見ながら生活したい、そう思った。」小女子の佃煮と玄米茶を三崎さんの奥さんが出してくれた。

旅館に戻り、暫し昼寝。

坂本さんは午前中の出来事を携帯電話で報告している。

旅館に戻ってきてからご夫妻は早速お風呂に入った。風呂から上がり、暫く部屋でテレビを見ながら休息。

夕食は旅館の板前さんが腕を振るったおまかせの海の幸、山の幸料理。素食料理も。

板前さんから「今晩のお料理の中に野菜で作ったアワビとお刺身があります。是非お試しください。台湾では野菜中心の食事をなさる方のために「素食レストラン」もあると聞いています。」添え書きがあった。

夕食後、車で星が丘に行き煌めく星座を見た。戻ってきたら、旅館で出し物があるとのことで舞台のある部屋に向かう。旅館の舞台で地元の民謡と筝曲の演奏。地元の保存会の皆さんが長く歌い継がれてきた歌を笛の音に併せて歌う。メンバーの中に農家の高橋さんの奥さん、漁師の三崎さんの奥さんの顔が見える。リーダーらしき人がご挨拶をした。

そのあと筝が運ばれ、女将と従業員の女性達が「秋の曲」と「新高砂」を演奏した。

部屋に戻り、くつろいでいると女将が部屋に来て、恭しく2通の手紙を差し出した。

お子様達から託されたお手紙です。

長男夫婦と次男夫婦からの手紙。

お父さん、お母さん。旅行を楽しんでくださっていますか。少しでも恩返しをしたいと思い、今回の旅行をお勧めしました。無理をしないで、ゆっくり温泉にはいったり、美味しいものを満喫してください。

お父さん、お母さんの生き方をお手本にして私たち夫婦もこれからの人生を歩んで行きたいと思っています。

今迄私たちのためにしてくださった沢山のこと、ありがとうございます。これからも健康に気をつけて、私たちの前を歩き続けてください。

家に帰ってきたら、旅行の話を聞かせてくださいね。楽しみにしています。

                                   修一

                                   実枝子 

お父さん、お母さん

今頃の伊豆は木々の緑がきっと見事でしょう。温泉好きのお父さんのことを考え、兄貴と相談して今回の旅行パックを選びました。ご満足頂けていますか。

お父さんが定年で退職した後、農業を始めた時は、ちょっとびっくりしました。お父さんは半農半Xだよ。あとのXは自分のやりたい仕事、と言っていましたね。生涯現役で人生を仕上げると。

お母さん、自分の夢はお父さんの夢を叶えること、と言ってますが、お母さんご自身の夢のためにお父さんに協力して貰ってください。今迄お父さんに沢山協力してきたんですから。これからも元気で、野菜のおすそ分けもよろしくお願いします。                

                                   健次

                                   めぐみ

東條さんご夫妻は息子さんたち夫婦からの手紙を何度も読み返していた。 

山間に霧が流れ、旅館もいつしか霧の中に沈んでいく。

(四日目の朝)

今日で旅行も終わり。朝食の後、帰り支度をする。

朝食は黄檗宗の精進料理とのこと。

出発前に女将が御点前ということで、旅館の中にある茶室に案内される。

静寂の雰囲気の中、まず京都の季節の菓子を頂く。その後で女将からここでのお作法について簡単な説明の後、お点前。

その後で女将からご挨拶。

「この度は私どもの旅館にご滞在くださり、まことにありがとうございました。ささやかではございましたが、皆様が楽しく、幸せなひと時を過ごしていただけるよう、皆でお手伝いをさせて頂きました。一期一会という言葉がございます。人生はその一期一会の積み重ねとも言います。またお会いできることを楽しみにお待ちしております。

 是非、私どもの旅館にご自宅の離れのようなお気持ちでお越しください。そして「行ってらっしゃいませ」と最後に申し上げます。ありがとうございました」

 ミニサロンカーが到着した。

 玄関では車の姿が見えなくなる迄、女将と従業員、坂本さんが頭を下げていた。

(一週間後)

 東條様ご夫妻のお宅に「地域コミュニケータ」坂本さんから旅行記が送られてきた。

写真と記事の入った旅行アルバム。息子達夫婦のところに持っていって、旅の話をしよう。

行く前は計画でワクワクして、旅行中は楽しく、また旅行から帰ってきてもまた楽しめる。三回楽しめる旅行というのは本当だ。(以上)

  「第二の故郷」物語 「足を地につけて生きる」➁

社内がざわついている。バブル時代に入社した50歳以上の社員を対象に大規模なリストラが実施されるという。会社の業績は好調なので、まさかリストラはないと大方の社員は思っていたが、会社のトップの考えは甘くなかった。

50歳を過ぎた中橋次郎は心穏やかではなかった。入社して以来、ずっと営業マンとして

働いてきた。夜の付き合いもあり、帰宅時間は遅くなりがちで、夕食を家で食べるのは午後10時以降が多かった。気になっていたのは定年退職後の仕事のことだった。以前から何か資格を取りたいと思っていたが、勉強時間がなかなかとれない。仕事は食品工場向けの製造機械の販売だった。ツブシの効く仕事ではない。

妻の直子がある晩、夕食の時、心配顔で次郎に言った。

直子「今日テレビで放送していたけど、バブル時代に入社した人たちのリストラがいろんな会社で始まっているんだって。あなたの会社、大丈夫?」

次郎「実は今会社の中でリストラの噂が流れている。ひょっとするとオレも対象になるかもしれない。53歳でリストラかぁ。」

直子「リストラされたらどうするの?ウチはまだまだおカネがかかるのよ。住宅ローンもあるし・・・」

次郎は2年前から営業開発部に所属し、役職は課長だが、部下のいない課長だ。顧客との長い関係もあり、そう簡単にはリストラされるとは思っていなかったが、会社は今迄のような「足の営業」をやめてITを使った営業に転換させるという話が次郎の耳にも入ってきた。

そんな時、会社の人事部から研修についての通知が各部に配布された。営業開発部長が判を押した通知が営業から戻ってきた次郎のデスクに置いてあった。読んでみると来月千葉県いすみ市のサテライトオフィスで研修があるとのことだった。研修を担当しているのは「第二の故郷」という一般社団法人で、研修期間は1週間。全部で研修項目は5つ。研修期間は1週間。研修は午前中、午後は自由、土日は午前、午後とも自由。日曜日の昼食を食べて終了、となっている。自由時間の過ごし方の案内も添付されていた。農作業への参加もある。

農作業への参加、地元の人達との交流は「地域コミュニケータ」が担当しているとのこと。

宿泊は民宿。今回の募集人員は15名。対象は50歳以上55歳まで。

研修は以下のような構成になっていた。それぞれ専門の講師が出張して担当している。

  • マインドフルネス
  • 共感能力の形成
  • チームビルディング
  • メンタルレジリエンス

帰宅後、次郎は直子に研修に参加するので、1週間家を空けると話した。

直子「それってリストラ候補者向けの研修会じゃない?」

次郎「多分そうだろう。会社はそうかもしれないけど、オレは自分の長いサラリーマン生活を見直し、区切りをつけるために参加しようと思っている」

直子「あなたがそういう気持ちなら私はとめないけど、なんか心配だわ」

次郎「ありがとう。いずれこういう時期が来るとは感じていたんだ」

2週間後朝7時頃、次郎はいすみ市役所近くの川の土手を歩いていた。研修のための宿舎は大原駅近くにある民宿だ。古民家を改修したもので、1人1部屋。今回の参加者は全部で15名なので、3軒の民宿に分宿した。朝食は午前8時。研修会場はオープンカフェのような施設だ。大きな窓からそよ風が入り気持ちいい。

研修は午前9時に始まり、12時に終わる。午後は独りで過ごしてもいいし、講師が3時迄いるので講師と話してもいいし、またグループを作って話し合ってもいい。

次郎は研修1日目は独りで市役所の近くの竹林の多い里山のような場所をゆっくり歩き回

った。2日目は研修の後、席が隣同士だった参加者の山上さんと研修施設のカフェで共感能力について話し合った。山上さんは海外関係の仕事をしている。同じ会社だが面識はなかった。

次郎「共感は相手が感じている気持ちを自分のことのように感じることだ、と講師の先生は言ってましたが、われわれが営業で相手のニーズ、ウオンツを嗅ぎ分けるのとどこか共通するところがあるんじゃないでしょうか」

山上「そうかもしれませんね。ただ私なりの理解は営業の場合は話すことが中心になりますが共感の場合は聞くことが中心になるのではないでしょうか。そして共感の場合は同じ価値観、目標を自分事として受け止め、チームの一員として、モチベーションを高めていく、ということもありそうです。今後は後者の共感も重要になるのではと私は思っています。」

次郎は山上が真剣に共感形成について考えていることに気付き、それ以降はもっぱら聞き役に回った。

今日は3日目。メンタルレジリエンスの研修。挫折、失敗に直面してもめげずに前に進んでいくにはどうしたらいいか、がテーマとのことだ。

早朝の川の土手から山に向かって畑が広がっている。手前はダイコン畑。その先にビニールハウスがある。少し坂を上ってハウスのところに行ってみた。

「そうか、ハウスの中ではイチゴが栽培されている。イチゴは温度管理をすれば晩秋になっても実を付け、収穫できるんだ。」

次郎は今来た道を戻りながらダイコンをもう一度見た。その瞬間気付いたことがある。それは次郎には思ってみなかった気付きだった。

次郎は小さく叫んでいた。

「おれはそれなりに大きな会社で栽培されたイチゴだったんだ。温室育ちの、なんやかんや言っても会社によって守られていた存在だったんだ。ところがダイコンはどうだ。山の吹きおろしの斜面で雨風にあたりながら生きている。大地と空の間で背筋をピンと伸ばして生きている。」

次郎は思わずダイコンに言った。

「成功するか、失敗するかは二の次だ。オレも大地にしっかり足をつけて歩いていきたい」

                                   (完)

第二の故郷物語  <もっと笑顔を!>  ①

  「第二の故郷」 <もっと笑顔を!>  ①

幸子は2人の子供の母親だ。5歳の男の子と3歳の女の子がいる。夫は仕事の関係で四国の徳島に単身赴任中。家に帰ってくるのは月末の土日だけだ。山間部を流れる川の鉄橋工事の現場責任者として1年前から徳島に行っている。橋の工事が全部終わる迄2年間かかる。電話で話は毎日のようにするけれど、やはりそばに居てくれないのは寂しい。

ある日、そんな気持ちを友人の恵子に伝えた。

 

「今日はゆっくりお茶でも飲もうか」という恵子に案内されて家の近くの商店街にある

カフェに入った。中に入ると古民家風。檜の香りもする。お洒落なデザインのテーブル、椅子が置かれている。なんかホッとできる。

壁にデスプレイが設置されていて映像を小さな声のナレーション付きで流している。壁には「第二の故郷」東京ハウス 十条銀座店と書かれたポスターが貼られていた。

幸子「なんか、とってもいい感じ。最近できた店でしょ?」

恵子「そうなの。前は洋品店だったんだけどやっていけなくなって息子さん夫婦が店の1階をカフェにして2階、3階は宿泊施設にしたんだって」

幸子「恵子、壁に「第二の故郷」ってポスターが貼ってあるけど、あれって何?」

恵子「都会で生活し、仕事をしている人達が地方に行って民宿とか民泊にゆっくり滞在して

   リラックスしたり、里山を散歩したり、地元の人達と一緒に食事をしたり、農作業を

   見学したり、ちょっと手伝ったり…という感じの滞在プログラムと言ったらいいか

   しら。自然の中で自分を見つめ直したり、家族とゆっくりコミュニケーションの時を

   持ったり、自分のこれからの「心の故郷」のために何かをしたり、という感じかな。

   地元の人達のためにどうしたらお役に立てるかも考える、そんな今迄にない経験を

   させてくれるわ。滞在費用もリーズナブルよ。勿論子連れ大歓迎。」

幸子「いいな~。行ってみたい」

恵子「実は先月、行ってきたの。とても楽しかった。一番うれしかったのは今迄になく元気

   になれたこと。幸子も行ってみたら。このカフェの店長さんが説明してくれるから。

   齋藤さんっていうの」

店長の斎藤さんが詳しく説明してくれた。「第二の故郷」は会員制の団体で今回は初めてなので仮登録をして、実際に行ってみて良かったら次回正式に登録して会員になってください、とのことだった。現地では地域コミュニケータという人が滞在プログラムをこちらの希望を聞きながら立ててくれるとのこと。滞在期間中、もし病気になったら地元の病院にも案内してくれるというから安心だ。

幸子は「第二の故郷」のホームページで再確認して、思い切って「第二の故郷」を実際にやっている山梨県の南部の町に行くことにした。子供2人を連れて土曜日の午前中に北区王子のマンションを出て、新宿から甲府を経由、身延線の内船駅に向かった。内船駅には地域コミュニケータの山本さんが車で出迎えに来ていた。私たちの顔を見るなり、手を振って笑顔で迎えてくれた。

両側に山が迫っている道を走り、15分ぐらいで民宿に着いた。「山中荘」という看板がお洒落だ。玄関を入ると民宿のご主人、奥さん、息子さん、お婆さん、それに地域の人3人が出迎えてくれた。時間は午後4時を過ぎていた。

民宿のレストランで地域コミュニケータの山本さんが今晩から明日までの予定を説明してくれた。希望通りの内容だ。奥さんがこれから泊まる2階の部屋に案内してくれた。檜の香りがする部屋だ。窓を開けると一面畑が広がっている。

夕食前に川沿いの道を散歩。地域コミュニケーターの山本さんが一緒に歩いてくれる。風が気持ちいい。

6時半から夕食。席についてびっくりしたのは地域の人3人、地域コミュニケータの山本さん、それに民宿のお婆さんも一緒だった。一緒に夕食。いつもは親子3人で食事をしているのでちょっと戸惑ったが、やはり食事は賑やかな方がいい。

お婆さんは笑顔で言う。「今日は地域の人の持ち寄りの野菜も使って地元の名物料理、イノシシ鍋さ。イノシシをたんと食べて力をつけてくだされ」

夕食の後、お婆さんがこの地に伝わる民話の一つを語ってくれた。「笑う母さん山」という話だった。・・・母を病気で亡くした娘が家事の合間に野原に出て、山を見上げると、温かい風が吹いてきて木々がワサワサと音を立て、山が揺れたような感じがした。その時、山の方から声がした。「寂しい時こそ笑うのよ、悲しい時こそ笑うのよ、笑って笑って生きるのよ」・・・。そんな話だった。また地域の人3人がそれぞれ自分の持ってきたものについて話してくれた。ショウガ、ゴボウ、えごま。この土地でずっと栽培されている農産物とのことだった。

9時、子供達も眠くなってきた。民宿の温泉に家族3人で入る。広い風呂場で子供達がはしゃいでいる。

幸子は思った。「今晩は子供達もぐっすり眠れるわ。そして私も」

                   *

翌朝、幸子は自然と目が覚めた。子供達はまだスヤスヤと寝ている。2階の部屋の窓をそっと開けた。思わず声を上げそうになった。真っ青な青空。浮かぶ白い雲。「空ってこんなに大きかったんだ~」。幸子は昨晩、お婆さんが語ってくれた民話を思い出した。

「朝の空が私に向かって笑ってくれているみたい。」

幸子は改めて笑顔について考えさせられた。毎日の忙しい生活の中で、私は自然な笑顔を忘れてしまっているのかもしれない。そして声をたてて笑うことも・・・。子供達が目を覚ましたら、今朝は笑顔で「おはよう」と言ってあげよう。

今日は昨晩来て、一緒に食事をした地域の3人の畑を順番に見て回る予定だ。地域コミュニケータの山本さんが案内してくれる。お昼は民宿に戻ってきて、バーベキュー。きっと

子供達も喜んでくれるだろう。民宿の息子さんも一緒の昼食だ。そして夕方内船の駅に向かう。今回は短い滞在だけど、自然の中にいると笑顔になれることを私なりに知ることが

できた。徳島にいる主人もそんな経験をしているのかしら。

「第二の故郷」では他にも地元の人達との交流プログラムをいろいろ用意しているとのこと。今度は主人と一緒に来たい。そして帰宅したら「第二の故郷」のことを教えてくれた恵子に会ってお礼もしなくちゃ」

幸子はもう一度大空を見上げて、ウーンと深呼吸した。笑顔で一日を始める幸せ。

                                     (完)