「夕昏に青空あり」と李商隠

手元に岩波書店の中国詩人選集15「李商隠」がある。高橋和巳注だ。この本は父の本棚の中にあったものを遺品整理の時、持って帰ってきた。父はどのような思いでこの本を買い、また読んだことだろう。私が李商隠を初めて知ったのは確か大学生の時だった。それは高橋和巳の本でだったように記憶している。「我が心石ならず」だっただろうか。

高橋和巳の小説「邪宗門」を持って東ヨーロッパの旅に出たことを思い出す。私は李商隠のことは良く知らないが、彼の詩、「楽遊原」の心象風景に引かれる。私も時々そのような心境になる。以下は高橋和巳の訳だ。

 

晩に向んとして意適わず

車を駆りて古原に登る

夕陽 無限に好し

只だ是れ 黄昏に近し

 

畑作業を終えて片付けをしている時、夕焼けの美しさに思わず手を止めて、見いってしまう。「夕陽 無限に好し」空はいましも夕焼けに染まり、落日は言い知れぬ光に輝いている。

李商隠は遊園地で夕陽を眺めている。私は畑で夕陽を眺める。

働いた後の夕陽は、労働の疲れを癒してくれるようだ。夕陽の後、夕闇が迫ってくる間、つかの間の一時(ひととき)の青空の美しさにも目を引かれる。

人生も是非そうありたいものだ。