屋上菜園物語 Ⅱ 第25話 「コミュニティファーム」

 

 (1)野菜栽培に救われた経験

緑川は都市部での屋上菜園の普及活動に過去14年間取り組んできた。屋上菜園を個人向け、業務向けに分類し、最初は個人向け、途中から業務向けの普及活動に力を入れてきた。

しかし、新型コロナウイルスの拡大に伴い、北千住の商業ビルの芝生と木、そして菜園で緑化された屋上の一般開放が中止となった。以前は買い物の後、屋上に上がってきて緑化されたポケットパークのようなところで一息入れる。都会の真ん中に居ながら田園風景を楽しめる、そして地元の人達を対象にした収穫イベントの開催。イチゴ、サツマイモ・・・。

今年の5月から始まった屋上の一般開放の中止が現在に到っている。緑川たちの一般社団法人の栽培作業は通常通り続いてはいるが、おそらくコロナウイルスに効くワクチンの投与が始まり、効果が確認できる来年夏迄、屋上が一般開放されるのは難しいのではないか。ということで、屋上菜園で収穫された野菜は隣接しているところにある保育園と商業ビルの社員の皆さんに渡している。

もう一つ、御茶ノ水にある保険会社の屋上菜園は貸出菜園で地域貢献という趣旨のために地域の人々に貸し出されている農園だ。こちらは3密を避けるという条件で利用者の栽培活動が続いている。ある高齢の利用者は「家にずっといると気持ちがおかしくなってくる。この屋上菜園に来るために外出して、野菜に触れるのが何よりの気分転換になっている」と言っていたのが印象的だった。

 

それにしても現在の新型コロナウイルスは今後拡大する恐れがあり、予断を許さない状況になっている。最悪のケースになるが屋上菜園の一時的閉鎖をいうことがあるかもしれない。緑川はいたずらに悲観的になることは避けて、ここは一旦立ち止まって、もう一度冷静に屋上菜園の意味あるいは価値を、近未来を視野に入れながら、見つめ直す良い機会と考えることにした。

 

今思っていることは一つのことだ。息子の事故死、自分が経営していた会社の自主廃業後、心の中にぽっかりと大きな穴が開いて、すっかり生きる目的、事業を再開する意欲を失い、虚ろになっていた時期があった。そんな自分を小さな市民農園の野菜たちが救ってくれたのだ。その貸出菜園は家の近くにあり、幸い抽選で当たった。小さな市民農園に通い続けた。面積は10㎡前後。野菜づくりは初めての経験で、今から考えるといい加減な栽培作業をしていたが、それでも野菜たちは実をつけてくれた。もし野菜栽培をしていなかったら、ウツ病になっていたかもしれない。さらには人生に生きる目的を見いだせないまま、自死の道を選んでいたかもしれないとさえ思う。野菜たちの生きる姿を見ながら、どれほど励まされたことだろうか。野菜栽培の楽しさが分かり始めたころ、ある方の紹介で、茨城県の八千代町で畑を貸してくださる農家と知り合いになり、その方の畑の一部を借りて本格的に野菜栽培を始めることになった。折角やるんだったら野菜の有機的栽培に取り組んでみようということで1/4反ほどの面積で有機的野菜栽培に取り組んだ。毎週土曜日、自宅を7時半頃車で出発し、荒川、利根川を渡って八千代町の畑に通った。現在の年齢ではとても無理だが、当時はまだ60歳をちょっと越した頃で、体力的にもなんとかやり続けることできた。

虫たちが私の畑は農薬を使っていないので、「安全・安心」と思ったのか、虫たちが集まるようになって、周囲の農家から苦情が出るようになり、3年後八千代町での栽培は諦め、引き上げた。その後家の近くの農家から畑を借りて6年ほどそこで野菜を栽培していたが、その畑が住宅地になるということで引き払い、武蔵野線近くの畑に移動してきて、現在に到っている。この畑は以前は水田だったが農家が稲作を諦め、土地改良ということで建設残土を入れて畑にしたものだ。借りた当初は赤土のため野菜の育ちが良くなかったが、毎年沢山の腐葉土を入れ、貝化石石灰、牛ふんを入れてきた結果だろう、現在はフカフカの土になっている。この畑を緑川は武蔵野線の近くにあるので「武蔵野農園」と名付けている。緑川は野菜栽培については自己流であり、専門家ではないが、何よりも野菜の生きる姿から、生きる力をもらっている。

野菜栽培を通じて、緑川は救われた、そして今も救われている。野菜栽培を通じてこの人生を生きるヒントももらっている。

そして一方で都市部の屋上で屋上菜園事業も続けている。こちらはかれこれ始めてから14年が経った。屋上菜園事業は緑川にとってこの時代から与えられた天命と言うか使命となった。緑川の使命は社会の片隅のその片隅の一隅を照らすまさに小さな光だが、天から与えられた使命と受け止めている。

緑川は晩秋の早朝、青空を流れる雲を眺めながら、改めて使命という言葉を、「一隅を照らす」という最澄の言葉を噛み締めた。

 

(2)屋上菜園について。学生のインタビュー              

 

ある日、メールがあり、M大学の政治経済学部の学生S君が卒業論文として都市部の屋上菜園を取り上げることにしたいので、協力してほしいとのことだった。

緑川たちが栽培作業・指導をしている菜園を2日間かけて見学してもらってからインタビューとなった。場所は北千住駅の商業ビルの屋上菜園で、野菜を見ながらのインタビューだ。

 

―まず基本的な質問ですが、なぜビルの屋上で有機的な野菜栽培を始めようと思ったのですか?

 

私自身、ささやかですが、畑を家の近くで借りて野菜づくりをしています。家は埼玉県志木市でまだ周囲には畑が沢山あります。ところが東京など都心では一部の区は別にして野菜を栽培できるような場所は殆どありません。都市部ではマンションのベランダで野菜栽培をしている住民も多くいますので、野菜づくりをしてみたいという人は多いのではないでしょうか。それならビルの屋上は使えないか、屋上なら家賃も発生しないし、何よりも太陽の光が良く当たる。屋上であれば野菜につきものの病害虫も少ない。それなら素人でも野菜栽培の基本を学べば有機的栽培ができるのでは、と考えたんです。

 

―そこに目をつけられたのですね。ところで屋上に菜園を設置する場合、どんなことに気をつけたらいいのでしょうか。

 

まず土の問題です。ビルの屋上には荷重条件というのがあります。屋上に何かを設置したり、置く場合には180㎏/m2以下となっています。ところが、日本は地震の多い国ですから建築基準の他に地震力荷重というもっと厳しい条件があります。60㎏/m2です。これは1m2あたり載せられる重さは60㎏以下ということです。土の比重を1とすると60㎏の場合、土の深さは6cmとなります。

通常の畑の土は比重が1.6前後ですから、60㎏/㎡で計算すると土の厚さ(深さ)は3.75cmとなります。この深さでは野菜はとても育ちません。そのため比重の少ない計量土壌を使います。

屋上の荷重条件は屋上全体の面積を使って計算します。屋上菜園を設置する場合は屋上の使用可能面積と日照条件が分かれば、どこに菜園をどのようなレイアウトで設置したら良いかを決めることができます。

私たちは比重0.7の土を使って15cmの土厚で葉物野菜、実物野菜、根物野菜を栽培しています。

 

―そこがまず露地の菜園と言うか畑と大きく違う点ですね。他に気をつけることは何でしょうか。

 

あとは風ですね。屋上は地上に比べて風が強く吹きます。布とかシートが飛ばないように注意します。特に台風の時は飛びそうなものは全部片づけます。

 

―まだ他に注意することはありますか。

土と風に注意して頂ければ、あとは小さな問題です。

 

―緑川さんが屋上菜園で目指していることはなんですか。

それは私が経験したことですが、野菜を栽培する人が野菜から元気を、もっと言えば生きる力をもらってほしい、これが第一です。二番目は季節の変化を、自然の移り変わりを感じてほしい。都会で生活し、仕事をしているとどうしても季節の変化に鈍感になります。私は人間も自然の一部、自然の中で生かされていると思っています。自然から離れているといつかおかしくなる。そして三番目は屋上菜園では仲間と一緒に作業をしてほしい。一緒に作業することによって仲間になり、ひいてはそれがコミュニティになっていく。都会に住む人は孤独になりがちと言われていますが、野菜栽培を通じて普段着のコミュニティが生まれていくといいと思っています。

 

―ところで屋上菜園は都会で増えているんでしょうか。

それほど増えていないように思えます。屋上菜園と言った場合、プラスチックのプランターも加えると増えていると思われますが、一定規模の施工を伴う屋上菜園はそれほど増えていないのではないでしょうか。キチンと調べたことがないので正確なことは言えませんが・・・。10年前屋上菜園ブームの時期がありました。私のところにもあちこちから問い合わせ、引き合い、見積依頼がありましたが、実現したのはごくわずかでした。一番大きかった問題は栽培管理でした。緑化の場合は造園業者に年何回か手入れを頼むということになりますが、野菜栽培はそれこそ毎週の世話が必要です。とてもそこまでの栽培管理費は払えない、かといって自分達で野菜栽培をするといっても知識も技術もない。ということで業務関係はそれほど増えなかったと思います。一方個人でご自分の家の屋上とかテラスで個人的に栽培している方は大勢いるでしょうが、途中で飽きてしまったり、栽培作業が大変になって辞めてしまうということがありますね。

 

―屋上菜園は事業として成り立っていますか。

私たちの屋上菜園に限定して言いますと。まだ成り立っているとは言えないですね。残念ですが、持ち出しが続いています。事業としては2つの分野があります。まず個人向け。この場合は例えば屋上菜園クラブのようなものを作って会員になって頂き、会費を払って頂く。もう一つは法人向けです。ただ法人の場合は屋上菜園が会社にとってどのようなメリットをどの程度実現できるかを問題にします。現在2つの法人の屋上菜園を管理・運営していますが、このあたりが大きな課題です。つまり屋上菜園はどのような価値を生み出しているか、その価値とは具体的にはどのような内容のものか、ということです。

私たちが考えている価値と相手方の法人が受け止めている価値との間にギャップがある可能性があります。野菜を屋上で栽培しているというだけでは限界があります。なにかしらの付加価値を付けていく必要があります。もっと言うと

法人に評価して頂ける魅力的な価値を付け加えられるかどうかが屋上菜園を続けられるかどうかの鍵を握っているのではないかと思っています。いわゆる経済的・社会的利益を明確にする必要がありますが、それをどのような方法で提示できるか、力不足もあり、残念ですが、まだそこまで検討が進んでいないというのが現状です。

それに比べ老人ホームの場合は入居者の皆さん、職員の皆さんと一緒に作業をしたり、収穫したり、セミナー・ワークショップをして喜んで頂けるので、あまり難しいことを考える必要はないのかもしれません。もっとも屋上菜園があることが入居率の向上につながるということがあるかもしれませんが、まずは直接的効果が重要だと思います。

私たちの社団法人は前期大口の寄附があって黒字になりましたが、通常の収支では赤字となっています。ここ1~2年が事業として成り立つか、最終的な判断をしなければならない時期に差し掛かっています。

今後老人ホームに屋上菜園を普及させていくことができれば屋上菜園は事業として成り立つ可能性が強くなっていくと期待していますが、現在の新型コロナウイルス問題で普及活動が思うようにできないのがもどかしいですね。

 

―屋上菜園の今後の見通しをお聞かせいただけますか。

 

今後はニーズが特に強くある老人ホームで屋上菜園が増えていくのではないかと期待しています。野菜栽培、収穫それに伴うプログラム、ワークショップも開発することで、東京23区で老人ホームでの屋上に菜園が増えていくのではないでしょうか。商業ビルの屋上、事務所ビルの屋上菜園は社員の皆さんのための福利厚生施設として位置付けて頂ければと思います。それぞれの野菜の収穫期に社員の皆さんが収穫する、社員の皆さんの嬉しそうな声が聞こえてきそうです。これからの時代、企業にとって社員のための福利厚生はますます重要になってくると思います。パソコンに1人で向かう時間が多い現在だからこそ、そんな時間があるといいと思います。屋上菜園をぐるっと囲む形でテーブルを並べ、ランチタイムはそこでお弁当を野菜、果樹を見ながら食べる、というのもいいですね。場合によってはちょっと収穫してランチに添える。

 

―緑川さんは最近屋上菜園だけでなく、地上の畑の菜園、「コミュニティファーム」の実現に向けても動いていると伺いましたが、「コミュニティファーム」とはどんなファームなんでしょうか、また屋上菜園とどのようにつながっていくのでしょうか。

 

最近、私たち夫婦が二人でやってきた武蔵野農園に作業と収穫のために、来てくださる人が増えてきました。新型コロナウイルス問題が長引き、テレワークの人たちが気分転換も兼ねているのでしょう、農作業をしてくれます。夫婦2人で1/3反の畑で農作業をしていますが、齢をとるにつれて作業が段々きつくなってきました。私たちの友人、知人の皆さんが武蔵野農園に来て一緒に作業し、収穫作業に携わってくださることを本当に嬉しく思っています。武蔵野農園は広いので、3時間、4時間という作業時間になります。ということでお昼を挟んでの農作業もあります。作業して、お昼を一緒に食べておしゃべりもする、という感じでしょうか。露地の畑ではスコップ、鍬を持った作業があります。かなりの肉体労働になることもありますが、快い疲れで夜はぐっすり眠ることができます。

屋上菜園は狭い面積の畑ですから大体一日長くても1時間、通常は30分以内の農作業です。屋上菜園は建物の屋上にありますので、直ぐにいくことができます。屋上菜園で有機的栽培のコツを掴んで、もっと広い地上の畑で有機の野菜作りをしたいという人もいることでしょう。武蔵野農園は埼玉県ですが、池袋駅から電車で20分、徒歩20分のところにあります。

武蔵野農園での野菜の有機的栽培に強い関心を持ってくださっても実際に農園に来ることができるのは1週間に1回ぐらいかもしれませんね。それでいいと思います。でも屋上に、あるいはベランダに菜園を設置すればそれこそ毎日野菜作りを楽しむことができます。露地の農園で栽培した野菜の苗を屋上菜園で植付けることができます。苗をホームセンターで買う必要がなくなりますね。今年の秋、武蔵野農園ではイチゴの苗を300本以上植付けました。最近ではイチゴの苗をホームセンターで買おうとすると1本200円以上になりますから300本ですと6万円という計算になります。武蔵野農園で育てた苗を屋上菜園で植え付けることができれば経費節減になります。武蔵野農園に来られた方たちがお互いの屋上菜園、ベランダ菜園について写真を見せ合う・・・そんなこともできるようになります。野菜栽培にとってこのような交流は、特に農作業を続けるための重要なモチベーションアップにつながります。農作業は1人でやっていると大変ですが、皆さんと交流しながらやるとこれほど楽しいことはありません。これは私の実感です。

 

―今日はザックバランにお話してくださり、ありがとうございました。これからもまたいろいろお伺いすることがあると思いますが、よろしくお願いします。

 

どうぞ遠慮なくお問い合わせください。ひょっとするとこの新型コロナウイルスをキッカケにして、農作業に関心を持つ人が増えるかもしれませんよ。

 

(3)コミュニティファーム始まる

緑川は奥さんと一緒に現在の武蔵野農園を皆で栽培するコミュニティ農園にしていくための準備を進めてきた。武蔵野農園の面積を考慮して、まず10名でこの農園の運営をしていくことにした。基本作業日は土曜日と日曜日。

緑川と奥さんは週に3回、武蔵野農園に行き、作業をする。そして毎月毎週の土日の作業予定を8名のメンバーにメールで連絡し、当日参加できるメンバーで分担を決めて作業をする。つまり協同作業。区画を分けて自分の区画での栽培作業はないことにした。当日収穫できる野菜を全員で収穫して参加したメンバーで分け合う。決めごとは出来るだけ少なくした。

 

当日の作業時間を決めて作業をし、休息時間にはお茶を飲み、お昼を一緒に食べて、田園風景を楽しみながらおしゃべり。

種苗、資材費として1人あたり年間2万円をコミュニティファームに納める。

このコミュニテイ・ファームは緑川夫妻が責任者となっているが、野菜栽培については地元の農家を顧問として迎え、その野菜の栽培指導をしてもらうこととしている。やはり土地柄というものもある。

将来は畑の一部を使ってフィットネス、マインドフルネスのトレーニングもできればと考えて、企画中だ。

小さな子供連れの家族もいるので畑の片隅に折り畳み式の仮設トイレを設置した。

コミュニティ農園で経験を積み、さらに本格的に野菜づくりをしたいと思うメンバーは提携している地方に農作業応援という形で行くことができる。

これからは都市生活の良さと田舎生活の良さをバランス良く組み合わせていくことが大事だ。新しい、未来を築く今迄なかったコミュニティづくりが求められている。その実現のためにもう一踏ん張りしよう、花を咲かせ、実をつけていこう、緑川はそう自分に言い聞かせた。

(第25話 了)

 

 

屋上菜園物語 Ⅱ 第24話 「人生、楽しく生きる」

 

坂本恭平から風祭伸之に電話があった。久しぶりに会いたいとのことだった。新型コロナウイルス問題があり、室内ではなく外で、しかも気持ち良く話せる場所ということで、「農園で会おう」ということになった。伸之の農園は武蔵野線の高架鉄道の近くにあり、面積はおおよそ400㎡。農園の片隅に簡単な飲食ができるテーブルと椅子が置いてある。周囲も貸出農園で数名の市民が野菜づくりを楽しんでいる。

 

ある晴れた日の午後2時、伸行は最寄りの駅まで坂本を迎えに行った。駅から畑迄は徒歩で約20分。近況を話し合っているうちに畑についた。

 

恭平「広々としている。360度見渡せる。気持ちいい。空がこんなに広いなんて忘れていた。」

伸之「たまにはお越しください。(笑い)見事な夕焼けも見られますよ」

 

伸之は今日の作業の予定を恭平に説明した。

「今日は畝を2本作ってもらえるかな。そこにマルチングシートを張って玉ねぎの苗を植え付ける。堆肥と元肥は2週間以上前に入れてあるから。マルチは2人でやった方が早いから2人でやろう。作業が終わったらサトイモとサツマイモを、試し掘りという感じで収穫しよう。」

「OK,了解」

それから2時間、2人は作業に集中した。

伸之は腐葉土をつくるための枠づくりをした。長さ360cm奥行き90cm高さ90cmの大きなものだ。栽培している畑の面積が増えてきている。隣の区画のTさんは脳梗塞後遺症で以前の面積での栽培は出来なくなった。「半分やってもらえませんか」ということで50㎡程譲り受けた。

伸之は有機的栽培で野菜を育てている。腐葉土は欠かせない。もう1ヶ所を合わせて2ヶ所の畑の面積を合わせると500㎡ぐらいになる。今の堆肥枠を拡張する。追加分は雨戸とかベニヤのパネルをリサイクルという形で使うことにした。切り替えし作業があるので、支柱を打ち込み、板を両側から支えて、必要な時は板を外せるようにしておく。

毎年近くの中央公園から枯葉をもらってくる。昨年は大きなビニールの袋で20袋以上貰ってきた。今年は60袋以上になるかもしれない。車で何度も往復することになる。それが大変だ。

作業に区切りがついたのを見計らって一服することにした。かれこれ2時間経っていた。畑にいるとなぜか時間が早く過ぎる。

伸之がポットから2つの紙コップにコーヒーを注いだ。一口飲んだ後、木製のテーブルに紙コップを置いて、伸之が言う。

伸之「今日は坂本と『人生を楽しく生きる』について話合いたいと思ってるんだ」

恭平「そうか。・・・始めに聞くけど、どうして人生を楽しく生きることについて俺と話合いたいと思ったんだい。」

伸之「俺からみると坂本はいつも穏やかで、笑顔も多いし、人生を楽しんでいる、というように見えるんだ。俺は昔ほどではないけど、落ち込むことも、精神的に不安定になることも結構あって、いまだにそれで悩んでいる。齢をとれば良くなるんじゃないかと期待していたんだけどそうではなかった」

恭平「風祭は真面目なんだよ。俺のことをいつも穏やかで、笑顔も多いと言ってくれたが俺も落ち込んだり、自分の人生には一体どんな意味があるのかと悩んだりすることもあるんだ。最近は人生はなるようになると思っている。楽観的に考えるようにしている。」

伸之「坂本にはそれができるんだ。ちょっとうらやましいな。自分にはそれができない。性格なんだろうな、」

恭平「風祭にもできるよ。そう考えるようにするんだ。最近ウエルビーイング(幸せ)について新聞の記事を読んだり、本を読んだりして、ウエルビーイングがこれからの生き方だと思った。ウエルビーイングの考え方で自分が特に共感を感じたのは<自己肯定感>だったんだ。自分はずっと自己否定感を持ってきた。仕事も振り返ってみると失敗ばかりだった。人間関係も上手に築くことができなかった。」

ベンチとテーブルの横の畝ではサニーレタスが若葉を伸ばしてきている。伸之は視線を上げて大空を流れる雲を見ながら坂本の話を聞いていた。

伸之「最近楽しいと感じたことが無いんだ。言った本人がこんなことを言ったら実も蓋もないけど、「楽しい」というのはどんな感じなんだろう」

恭平「自分が経験したことで、一つだけ言えることがある。それは人生の楽しさはどんなにささやかでも自分が人間として成長する、そのことが確かな実感として自分にも感じられるところにあるんじゃないかな。旅行に行って楽しい経験をしたとか、親しい仲間で集まって宴会をして楽しかったとか、それもいいけど、本当の楽しさは自分が人間として成長することができた、そしてそれが人生の最後迄続く。人間として成長するというのは本当に難しいと思う。成長できたと思ってもいつの間にか、元に戻っている。その繰り返しの中で人は成長していくんじゃないかな。ただ成長にはある種の痛み、反省が欠かせない、それがちょっと厳しいところだ。そしてもう一つは自分の殻から出て、人と繋がる、さらには自然と繋がる。その中で<共に>という意識が生きる楽しみになっていくんじゃないかと最近気がついたんだ。」

そう言ってから坂本は手帳を取りだし、ポケットに入っている紙を取り出し、伸之に見せた。1本の木が手書きで描いてある。木の幹から枝が出ている。

伸之「これは何の絵なの?」

恭平「人生の木、の絵なんだ。自分の人生を振り返ってみる時、今迄は子供の時からの人生を山谷で描いていた。自分の人生には山と言えるような成功、目立ったことはなかったから正確に描くとすると平地と谷、ということになるんだろうけど、生まれてから(左側から線を描くんだけど)どうも折れ線グラフではしっくりこない、という感じがしていたんだ。・・・人生ってやはり積み重ねだと思うし、出来事がつながっていると感じるし、それから多くの人達によっても支えられている。そんなことを紙にいたずら描きをしているうちにできた絵なんだ。描いてみて改めて思ったんだ、成長していく中で、なんと多くの枝が折れていたことか、と。それでも上へ上へと伸びている。時々手帳から取り出してみているんだ。気がついたことがあったら書き加えている」

伸之「分かりやすそうな絵だね。見せてもらっていい?」

恭平「風祭さんには特別にお見せします。オレの人生の木のイメージを参考に風祭も描いてみるといい。A4の紙を縦に使って、左側に自分の年代を10歳刻みで書いていく。10代から70代まで。それから真ん中に1本の木を描き、年齢毎に枝を左右に描いていく。左側は自分の生活の枝、右側は自分の仕事の枝、という感じで。自分は20代の左側に2浪、という枝とその上に大学入学という枝を描いた。右側には就職という枝。就職という枝は40代半ば迄伸びている。・・・そして70代。左側の人生の方はウエルビーイングの枝、まだ細い枝だけど、描いている。右側には自分の人生のライフワークの枝を2本描いている。老人ホームに屋上菜園を普及することと、第二の故郷を地方創生のためにつくること。どこまで枝が伸びるか分からないけど、折れないように伸ばしていきたいと思っている。」

伸之「木の上の70代のところに花が咲いているね、それから実になっているものもある」

恭平「自分の人生の本当の花を咲かせるのはこれからだと思っている。自分は大器でなくて小器だけど晩成できたらうれしいね。人生の楽しみは未来にもある。風祭さん、人生の木は時々眺めてみると自分を、距離を置いて客観的に見ることができる。それを親しい友人と人生について語り合う時、この人生の木の絵があるともっと深く、楽しく、自分の心を開くことができるし、それこそ人生を共に生きることができる。」

2人の傍の畝にはサニーレタス、チンゲンサイ、もう一つの畝にはホウレンソウが若葉を伸ばしている。サニーレタスが2人に声を掛けてきた。

「大事なお話に口を挟むようで申し訳ありませんが、木の枝だけでなく、土の中の根にも目を向けて頂けますか。根がしっかり伸びて土の中の養分を吸収しないと木は大きくなれませんし、枝を伸ばすこともできません。この人生の木の絵の中で土は何を意味しているんでしょうか。私たちは根が土から栄養分と水分を吸収して、茎、葉、芽に送っています。土の上は太陽の光が溢れ、明るいですが、土の下には光がなく、暗闇です。私たち植物は光と闇の2つの世界の間で生きています」

2人は突然の問いかけにびっくりして、サニーレタスを見た。サニーレタスは微風に葉を揺らしている。

坂本はサニーレタスに向かって答えた。

「正確な答えになるかどうか、分からないけど、今答えるとするとそれは自分の人生経験ではないかと思います。体験は時間の中で分解されて経験になっていく。その経験が根が吸収する栄養分になるのではないか。私たち人間にとって根に相当するものは考えだったり、意思だったり、感情かもしれない。・・・これでサニーレタスさんのご質問に答えたことになりますか」

サニーレタス「ありがとうございました。良く分かりました。人も私たちと似ていますね」

坂本「また何かありましたら、遠慮なく聞いてください」

坂本は風祭の方を向いて、付け加えるように言った。

「土の中には自分の人生の意味とか役割をつくる経験が蓄積されている。それは自分の中、内面のことだから他の人には見えないし、分からない」

風祭「そうか。自分の内面のことというと、意識している部分と無意識の部分があると言われているが、それが土の世界なんだ。野菜栽培の場合、土を耕したり、天地替えをしたりするけど、人間の場合、それは瞑想だったり、ジャーナリングだったり、カウンセリングだったりするんだ。」

坂本「話がちょっと難しい方向に行ってしまったけど、元に戻して、人生を楽しむ、ということについてブレストを続けていきたいね。いいかい?」

風祭「人生を楽しむためには、どんなに小さく、ささやかでもいいので、人間として成長したことを実感できること、もう一つは自分の人生の木を客観的に眺めて何かに気付き、発見すること。ここまで来たけど、まだあるんじゃないかな。坂本がさっき言っていた自己肯定感も人生を楽しむことではないかな。自分を否定していたら人生を楽しむどころではないも。」

今度はホウレンソウが声を掛けてきた。

「人間の世界は大変ですね。私たちには自己否定感という気持ちはありません。元気に成長して時期がきたら収穫していただく、そして皆さんの健康のお役に立つ。私たちは私たちの特長を大事にしながら自己肯定感を持って畑で頑張っていますよ。」

坂本「3つ目は自己肯定感が人生に楽しみを与えてくれる。ところが自分のような失敗だらけの人生を送ってきた者にはこの自己肯定感を持つというのが、本当に難しい。今朝も俺って本当にダメな人間だな、生きている価値なんかない、なんて思って落ち込んでいたんだ。こんなことを言えるのは風祭、お前にだけだ。最近はこんな風になった時のルールを自分なりに決めている。時間を決めて悩む。そして区切りをつけて後は引きずらない。3分間ルール。2分間は悩む。自分と同じような問題で悩んでいる人がいる。自分はその辛さも知らなければいけない。しかし、3分経ったらスイッチを自己肯定感に切り替える。これは一種の精神的トレーニングにもなるんだ」

風祭「俺の場合はスイッチの切り替えに10分ぐらいはかかりそうだ。俺の方からいいかな。人生を楽しむための4つ目は感謝する、だ。感謝すること、大きなことも小さなことも。最近自分は日記に感謝したことを必ず毎日一つは見つけて書きつけている。昨日感謝したことは、これから自分が取り組むテーマが見つかったことなんだ。まだ何かは言えないが、これで行こうと決めることができた。感謝が人生を楽しむための4つ目のポイントでいいかな。

坂本「同感!いいよ。第5番目はさっきもちょっと触れたが<共に>ということ。今日風祭の畑に来て、風祭と一緒に作業をし、話し、ブレストをした。共に時間を過ごした。そして俺は風祭と久しぶりに会って元気を貰った。うれしく、楽しい時を過ごさせて貰っている。次回会う時には風祭と俺の人生の木を2本並べて話をしたいね。」

風祭「了解したよ。自分は坂本とこの人生を一緒に生きていると思っている。今もそうだが、これからもこの人生を互いに伴走者として走っていきたい。」

坂本「これからもよろしくお願いします。(笑い)

 

夕空の太陽が夕陽となって大空の雲をオレンジ色に染め始めた。巣に帰る鳥たちの編隊が空を横切っていく。夕があり、朝がある。

旧約聖書創世記には「神は、その大空を天と名付けられた。こうして夕があり、朝があった。第二日」とある。なぜ朝があり、夕がある、ではないのか。夕が先に来る意味を風祭は考え続けている。そして思ったことは夕は感謝、朝は希望。感謝を持って一日を終えることによって希望の朝を迎えることができるのではないか、と。

 

坂本はマンションのベランダで植物を育てている。キャスター付きの木枠の箱の中に観葉植物の鉢、ハーブの鉢、多肉植物の鉢、花の鉢、野菜の鉢を置いて、育てている。

そのキャスター付きの木枠を午後2時頃、木枠を室内に移動して仕事をしている書斎のところに持ってくる。午後はやはり疲れが出てくるので、気分転換のための植物がほしい。室内に入れてもコバエなどが飛ばないようにした特別な鉢にしてある。毎日植物に触れていると思わず話かけたくなる。<共に>生きる。本物の、命を持った植物と一緒に生きる。

 

(第24話 了)

屋上菜園物語 Ⅱ 第23話  「老人ホーム カラオケ会」

 

今日は2週間に1回のカラオケ会。食堂兼集会室の大きなディスプレイを見ながら皆で歌う。以前元気な時は仲間を誘ってカラオケカフェに通ったものだ。

普通カラオケカフェでは自分の好きな歌を選んで歌い、仲間は自分の歌いたい歌を探しながらそれを聞いているというスタイルだ。そのやり方を老人ホームでやると時間がかかりすぎるし、また待っている人達も時間を持て余すことになる。ということで職員が皆の希望を聞いた上で歌を選んで皆で歌うというやり方をとっている。

夕食前の午後4時半から6時迄、1時間半、皆で歌って過ごす。

 

今迄はそれぞれ歌詞がプリントしてある本を見ながら歌ってきたが、今月からそれだけではなくナレーションというかイントロの後、皆で歌うというように趣向が変わった。このナレーションは屋上菜園の栽培を担当しているAさんが作ったとのこと。Aさんは既に50曲ほどのイントロを作っている。以前屋上の菜園で一緒に作業をした時、そんな話をしていた。

Aさん「昔、玉置宏さんという司会者が歌の前にイントロを語っていましたよね。

 それで歌手もスッと歌に入れたんではないでしょうか。今はそういう司会者 はいませんね。平成、令和の歌はイントロを必要としないのかもしれません」

 

入居者の皆さんは三々五々集まっていた。皆4時前に席についた。

職員のKさんが皆さんに声をかけた。

「皆さん、それではこれからカラオケ会を始めます。まず 今日歌いたい歌、手を挙げて仰ってください。一応8曲迄としますね」

次々と手が上がった。老人ホームの入居者の皆さんは大体70歳以上だ。ということで選ぶのは昭和の歌だ。

「リンゴの歌」「昭和枯れすすき」「悲しい酒」「チャンチキおけさ」「浪曲子守歌」「涙を抱いた渡り鳥」「恋心」「長崎の鐘」

 

Kさん「『昭和枯れすすき』はイントロ集にはまだ載っていませんので、Aさんに作ってくださるようお願いしておきます。それでは10月のカラオケ会の始まり、始まり~」

Kさんが前口上を言う。「真珠貝のように自分のこころの中に埋め込まれた小さな玉。人の世で生きていく時、私たちが流す涙、苦しみが小さな玉を少しづつ大きくしていきます。それがわが心の歌・・・。それでは出して頂いた順番で歌います。途中で少し休憩を入れますね。3曲歌った後に。」

Kさんは少し声を変えて、イントロを語り始めた。まず「リンゴの歌」

「ああ あの時の貧しさが 懐かしい 空はぽっかり青空で 砂糖菓子みたいな雲が浮かんでいた 街には進駐軍 パンパンなんて呼ばれてた おねえさんたちは なんだか外国のリンゴみたいだった

 おいらはそうさ国産リンゴ あの娘(こ)は可愛い紅玉リンゴ」

皆さんが歌い終わった後、Kさんは少し間を置いて、

 「『昭和枯れすすき』はまだイントロがありませんので、イントロなしで歌いますね。私の両親はこの歌が好きでした。かなり暗い歌なので若い時の私にはちょっとしっくりきませんでしたが、中年になった今、なんとなく分かるような気がしてきました。両親の人生も苦労の連続でした。それでは「昭和枯れすすき」を歌います。」

「昭和枯れすすき」を歌いながら、涙を拭っている婦人がいる。

Kさん「次の「悲しい酒」を歌った後で、お茶を飲みながら、短く休憩の時間をとります。よろしいでしょうか」

皆さん「いいです」

Kさんがイントロ。

「今夜は工場の片隅で 寝ずの番です 独りです 日記のペンをふと止めて 

 テレビを見たら ひばりさん 涙を流して歌ってる  悲しい酒です 私も

 一緒に歌います 私の人生杯も悲しい酒で 溢れてる 泣けるうちは泣けば

 いい そしたら元気が湧いてくる」

段々調子が出てきたのだろう。入居者の皆さんは元気に大きな声で歌っている。

Kさん「それではこれから5分間お茶を飲みながら近くの人とお話ください。

 

あるグループの入居者の婦人が言う。「昭和の歌はあの時代の人生を歌っているような気がするの。私は既に主人を亡くしていますが、「昭和枯れすすき」の3番に、この俺を捨てろ、というのがありますが、主人が私にそう言ったことがあります。こんな俺の人生に付き合わせて申し訳ないと思っている。違う男性と一緒になったらお前ももっと幸せになれたはずだ、って。私、その時言いました。もっと早く言ってくれれば良かったのに。もう手遅れです、と。もっと主人に優しくしてあげればと思うこともありましたが、自分の性格なんでしょう、それがなかなかできなくて・・・」

同じグループの男性がそれに応答した。「昭和の男性の人生は仕事中心で仕事で挫折したり、失敗した時、それを支えてくれる場が無かったように思います。

家には仕事を持ちこみたくないので、また家族に余計な心配をかけたくないのでついつい居酒屋に寄って一杯二杯と飲んで帰宅する、ということになります。酔って帰ると奥さんに嫌味を言われる、そんなことの繰り返しだったように思いますね。」

婦人が答える。「でも夫婦なんだから仕事の辛さを話してくれれば、聞きましたよ。黙っていたら分からないでしょ。」

5分経った。Kさんが呼び掛ける。

「それでは続けます」

次は「チャンチキおけさ」です。

「独りでいるのがたまらなく 木賃宿を後にして 思わず駆けた 裏通り

こころに灯ともすよな 屋台のランプに つい惹かれ 腰を下ろした

オレ一人 熱燗一本頼んだら なんだか少しホッとして 気持ちも一緒

に抜けてった 故郷(くに)じゃ いま頃雪だろう

 

人を泣かせてばかりいて どこで人生間違えた

 

ある男性の入居者は指でテーブルの端を軽く叩きながら歌っていた。「三波春夫、なつかしいなあ」という声も聞こえてきた。

 

Kさん「そういえば最近屋台ってみませんね。昔は屋台のおでん屋なんかをよく

 見かけましたが、今はどうなんでしょう。ある所にはあるんでしょうが。

それでは次は浪曲子守唄。イントロはこうです。

土方土方というけれど 好きでなったわけじゃない 流れ流れの暮らしから 足を洗おうと思ったが その日暮らしが染みついた

オレには所詮無理だった 今じゃ子連れの作業員

お前が学校(ガッコ)に上がる迄 とうちゃん 一生懸命働くよ

ほらほらそう泣くな

 

こっちまで泣けてくらあなあ

 

ある男性の入居者が突然立ち上がった。そして歌っている。最後まで立って歌っていた。

Kさん「次は「涙を抱いた渡り鳥」です。この歌を歌ったらまた休憩しましょう。

 辛い育ちを笑顔に隠し 村の小さな演芸場 声を張り上げ歌います

 あなたのこころに届くよう 思いを込めて歌います

 島から島へ 連絡船の渡り鳥 いつしか生きる悲しみを

 乙女ごころに知りました 知りすぎるほどに知りました

 

あるグループの中での会話。男性の入居者が言う。「どれもいい歌だ。いろいろなことを思い出す。思い出したくないことまで思い出すね。私は瀬戸内海の小さな島の出身なんだが、島の斜面一面ミカンを栽培していた。小学生だったんだが収獲期には朝から夕方迄摘果作業に駆り出された。平地ならともかく斜面での作業は本当に辛かった。その島にも演芸場があり、時々歌手が来て歌っていたな。」

別の男性の入居者が「私は朝起きた時、無性に寂しく、悲しくなることがよくあります。とても生々しい気持ちでどうしようもないんです。そして生きていることに心細さを感じるんです。いつもは我慢しているんですが、今日は思い切ってお話しました。皆さんの中でそういう方はいませんか。私だけなんでしょうか。歌とは関係ない話で申し訳ありません」

同じグループの女性が言った。「私もそういう気持ちになることがあります。最近こう考えるようにしています。齢をとることはいいことだ。なぜなら物事をもっと深く、広く考えることができる。そして物事をもっと深く、広く感じることができる。時に、考えたことを、感じたことを一人で支え切れなくなることがあります。一緒に支えてくれる友が必要です。その意味では何かの深いご縁で私たちはこの老人ホームにいます。友になる人が与えられている、私はそんなふうに考えています。」

Kさんが皆さんに声をかける。

「それでは、今日最後の2曲を歌いましょう。「恋心」「長崎の鐘」です。まず

 「恋心」。イントロはこうです。ちょっと長いですよ。シャンソンです。

ミラボー橋の下をセーヌは流れ

私たちの青春も

私たちの恋も

小さな舟のように 流れていった

もう恋なんてしないと誓った筈なのに

恋なんてむなしくはかないものと

知った筈なのに

なぜか今度こそ本当の恋に生きたい

恋に死にたい

セーヌの流れをみつめながら そう思う私は

愚かでしょうか

 

マビオン通りに枯葉が舞っています

あの人と会った小さなレストランに

灯が点っています

 

あるグループの男性の入居者が言った。「シャンソンと言えば、私は銀座の銀巴里に行ったことがある。当時シャンソンはモダンジャズもそうだったけど若者の間で流行っていた。大学からの帰り道、渋谷の「シャンソンドパリ」に入り浸っていたね。」

 

Kさんがちょっと声を張り上げて皆さんに告げた。

「それでは今日最後の歌を歌います。「長崎の鐘」です。

 

 神も仏もあるものか 神に背を向けて去った人も

いつしか 一人二人と 教会に帰ってきました

 

長崎の鐘よ 鳴れ鳴れ 

鳴り響け

 

悲しみのため 平和のために

 

入居者の皆さんの声が一段と高くなった。途中から鳴き声が聞こえてきた。

ある入居者の婦人が言った。「私は長崎の出身です。爆心地から離れた防空壕の中に居ましたので被爆は免れることができました。でも私の親戚、友人の多くが亡くなりました。その悲しみを抱えながらずっと生きてきました。」

 

ある入居者の男性が言った。「私も長崎です。両親を原爆で失い、幼い頃は孤児院に収容され、父母の愛を知らないまま生きてきました。幸いあるクリスチャンのご夫婦が私を引き取ってくださり、高校、大学迄出させてもらいました。高校の教師になり、社会科を教えてきました。そしてある時、アメリカの軍人カメラマンが撮った、背中に亡くなった兄弟を背負って火葬場の前に立っている少年の写真を見ました。カメラマンの話によればその少年は兄弟を背中から降ろして火葬にした後、一度も後を振り返ることなく立ち去っていったとのことでした。私はその写真を自分の部屋の小さな額に入れ、いつも見ています。その少年のその後の人生はどのようだったでしょうか。一生懸命生きていったと私は思っています。ある意味では私はその少年と一緒に今迄の人生を、またこれからの人生を生きていくのだと思います」

 

その話を聞いた後、誰からともなく、「もう一度『長崎の鐘』を歌おう、と声がかかった。

ディスプレイの音量を少し上げて皆で合唱した。中には指を組んで合掌している人もいる。

職員の一人の高齢者傾聴スペシャリストが最後にこんなことを言った。

「歌はこの世の人々だけのものではないと私は思っています。この世で私たちが歌う時、その歌声は次元を超えてあの世、天国にも届いていると私は信じています。あの世にカラオケ会があるかどうか、分かりませんが、地上と天上で声を合わせて歌っている・・・そんなふうに私は思っています。歌は私たちに確かな希望を与えてくれます。そう信じてこれからも明るく日々を送ってください。それでは最後に皆で声を上げましょう。

「ハッピー カラオケ会」

              

老人ホームの屋上菜園では入居者が集まってダイコンの間引きをしている。

「間引き菜も美味しいのよ」話合っている声が元気だ。11月にはサツマイモ、ジャガイモを収獲する。入居者の皆さんは特にサツマイモを楽しみにしている。

11月にはサラダ菜の本格的収穫が始まる。果物では9月のブドウに続いてキンカンが収穫できる。

 

               *

 

屋上の野菜たちが話している。

サツマイモ「この老人ホームの入居者の皆さんは最近以前にも増して明るくなったような気がする。元気な気持ちで屋上菜園に来てくれているね」

キンカン「サツマイモさんもそう思うかい。そうだとうれしいな」

サツマイモ「ぼくたちが屋上で成長していく姿を見て元気になり、そして収穫の喜びを感じて貰えたら、それはぼくたちにとって本望だと思う。屋上菜園はぼくたちにとって決して楽できる環境ではないけど、それだけやりがいがある。そんなふうに思っているんだ」

 

東京下町の空を夕焼けが真っ赤に染めている。

 

(第23話 了)

屋上菜園物語 Ⅱ 第22話 「スーパーフードードカフェ&ショップ」

 

 ここ神田のあるカフェ。午前11時になるとモリンガの木がカフェの入り口のところに運ばれてくる。モリンガは移動式の木枠でできた菜園セットの中で高さ1メートルぐらいまで成長している。午前11時までビルの屋上菜園で太陽の光を浴びている。出番は午前11時からだ。モリンガの葉は人間に必要な栄養素を90種類以上含むが、もう一つの擢んでた大きな特徴は二酸化炭素(CO2)を一般の木の約30倍吸収し、酸素に変える空気浄化能力を持っていることだ。正に奇跡の木だ。

以下は「スーパーフードードカフェ&ショップ」の素晴らしい可能性に賭けた人達の事業のスタートを記した物語である。

                *

 杉浦は夕方の京浜東北線に乗って神田から浦和に向かっていた。座席に座り、少し身体を斜めにして進行方向の流れていく風景を眺めるともなしに眺めていた。マンション、アパートの建物が多い。そして高層マンションも増えている。ベランダに洗濯物が干してあるのが見える。それぞれの家族の生活が営まれているのだ。それを見ていると杉浦はなぜか不思議な気持ちになる。なんとも言いようのない気持ちなのだ。感情的にはどこか寂しい。この寂しさはどこから来るのだろうか。この寂しさはどこか時代の深い孤立感を滲ませているようだ。しかし皆この東京ビル砂漠で、営々と生活を築いている。一人暮らしの人もいるだろう。この気持ちを的確に表現する言葉を杉浦は電車の中で探し続けていた。杉浦はなんとも言えない寂しさと向き合うために仕事を続けているのかもしれない。そんなふうにも思った。おそらくそうだろう。しかしそれだけでもない。他にも何かあるはずだ。

 浦和では山川に会う。久しぶりだ。山川は山梨県南部で農家をしている。スパーフードを専門に畑で栽培している、ちょっと珍しい農家だ。杉浦が山川に会ったのは5年前だった。それ以来屋上緑化用の土壌資材の製造を山川に委託してきた。その中には屋上菜園用木枠セットも入っている。山川は山の間伐材、竹の利用・商品化にも取り組んでいる。それをキチンとしなければ山は荒れていく、それを何とか食い止めたいというのが山川の口癖だ。

山川は若い時、海外青年協力隊の一員としてフィリッピンで灌漑工事を担当していた。その時モリンガを知ったと話してくれたことがある。モリンガは一般の家庭が生垣的に栽培し、食用にしている、フイリッピン人にとってはごく身近な植物とのことだった。

山川の農園ではモリンガの他にスーパーフード的野菜、植物を栽培している。

モリンガの他にエゴマ、もち麦、ビーツ、雲南百薬、ケール、秋ウコン(ターメリック)、マルベリー、ヘンプシード。山川は収穫して市場に卸すという通常のやり方ではなく、自分の農園を観光農園、収穫農園としても運営している。必要があれば近くの旅館か民宿に泊まってもらう。栄養士、料理研究家と組んで、農園で勉強会、料理会も始めた。こちらの方は主に山川の奥さんが担当しているようだ。ただ現在のところ、農園からの収入では不十分なので、地元の土木工事関係の会社の下で農作業の合間に土木作業をしているとのことだ。出稼ぎには行かない。

 杉浦が山川と最初に会ったのは山梨県のある木材関係の会社でだった。杉浦は都市農業、都会の田園都市化というビジョンを持って、まずは東京、大阪のビルの屋上緑化・菜園化に取り組んできた。山川とウマがあったのは仕事の背景にある世界観・価値観・ミッションに通い合うものがあったからだ。杉浦と山川は30歳の年齢差がある。

杉浦は以前、山川に話したことがある。「齢の差なんて関係ないよ。仕事だからビジネスとして取り組むが、目的は金もうけだけではない。これからの社会を、日本を創るための仕事をしていこう」と。「われわれは理想主義者に見えるかもしれない。だけどそれでいい。そんなアホな人間がいてもいいじゃないか。金儲けだけでは疲れてしまう。まずミッションだ。ミッションアホ」

山川と杉浦は笑い合った。

今回の打ち合わせではスーパーフード実験店を神田に出すための具体的詰めを行うことにしている。小さく始めるというのが基本方針だが、線香花火になってはいけない。幸い杉浦のコネで神田駅から近いビルの1階を安く借りることができる。約5坪ほどのスペースにスタンド式の「スーパーフードードカフェ&ショップ」を開店する計画だ。カフェで出すものは主にスーパーフードドリンク、ショップではスーパーフードの加工食品、ポーラス構造の竹炭、大中小の屋上菜園用木枠セット。このあたりまでは今迄の4人の打ち合わせでだいたい決めている。

 浦和駅改札口を出たところで待っていると、今着いた電車から降りてきた山川が向こうから手を挙げて近づいてきた。改札を出たところで挨拶代わりの握手。

杉浦が言う。「元気そうだね」

山川「元気しか取り柄がありませんよ~。杉浦さんも元気そうですね」

杉浦「元気だけど、最近やっぱり年齢を感じるよ。疲れやすくなったも。もっとも一晩寝れば疲れは解消するので、まだまだ大丈夫とは思っている」

山川「杉浦さんは若いですよ。見た目も体力も」

その日、杉浦と山川はカフェのルノアールで、それからはイタリアンレストランで徹底的に話合った。打ち合わせが終わったのは午後9時だった。午後5時から4時間が経っていた。

話の内容は自分達の店のコンセプトを理解し、協力してくれる顧客は誰か、その顧客にジャストミートする価値提案ができるか、そしてどこまでの損失なら許容できるか、開店時間の設定、それと協力者の確保、の5点だった。

2人は杉浦が用意したビジネスモデルキャンバスに書き込んでいった。

明日は朝から実際に「カフェ&ショップ」を運営する浮城彩花と店長になる飯田綾乃と打ち合わせがある。

杉浦「今日はトコトン話し合えて良かった。それでは明日の打ち合わせもあることだし、そろそろ終わりにしませんか」

山川は武蔵浦和に実家がある。両親は健在だ。今晩は久しぶりに実家に泊まる。

杉浦は武蔵野線で山川とは武蔵浦和で別れ、新座駅で降り、自宅に戻った。

 翌日午前9時から4人の打ち合わせを始めた。神田の「カフェ&ショップ」を予定しているビル5階の会議室、大きな黒板に白い大きな紙が貼ってある。

浮城は管理栄養士として活躍している。ご主人は経営コンサルタント。二人とも50代。飯田は最近までカフェで仕事をしていたが、新型コロナウイルスのためそのカフェは閉店となった。6歳の子供がいるが、保育園に預けることができるようになったので、仕事復帰を目指している。

まずはフリーディスカッションからスタート。司会は杉浦だ。まず浮城から思い、考えを話してもらう。

浮城「私は栄養学的見地から日本人はもっと賢い食事へと考え方を切り替える時期に来ていると思います。戦後食の洋風化が進みましたが、やはり身土不二、地産地消という格言があるように国産の食材による食事、メニューをもっと大事にしなければいけないと思っています。昔の食事に帰れと言ってるわけではありませんが、最近食材の新しい機能性が注目されるようになってきました。自分の健康状態を意識しながら、薬とかサプリメントではなく、食材で身体が必要としている栄養素を摂取するということがますます重要になってきていますが、まだ皆さんの意識がそこまで十分高まっているかと言えば、必ずしもそうでないような気がします。それが残念ですね」

そう言って浮城はポストイットに「賢い食事を」と書いて黒板に貼られた白い大きな紙の余白に貼った。

杉浦に促されて飯田が発言する。

飯田「最近私の家の近くのスーパーの八百屋さんに行くと、有機野菜のコーナ ーがあるんですけど、普通の野菜に比べてやはり高いんですよね。良いとはわかっているんですけど、価格を考えて普通の野菜、それも値引き品を買ってしまいます。主婦はいつも家計のことを考えていますから。お肉とかお魚に比べ、野菜は少し軽く見られているかもしれません。有機野菜の本当の価値が分かるような説明があるといいんですけど」

浮城「最近はお店によっては有機野菜の成分表示を示したり、健康面の効果を カードにして説明するところも出てきたけど、売上向上に実際役だっているのかしら。スーパーフードカフェでも同じ問題が出てくる可能性がありそうね。」

飯田はポストイットに「有機野菜の栄養表示」と書いて大きな紙の余白に貼った。

浮城「スーパーフードの他に一部薬草も加えて、更に差別化を図りたいと思い ます。薬草というと苦いとか変わった味香りがすると皆さん思っているようですが、必ずしもそうではないわ。ちょっと大人の味香りと言ったらいいかしら、そういう薬草もあります。」

浮城は「薬草で味に深み」とポストイットに書いて大きな紙の余白に貼りながら、言葉を続けた。

「杉浦さんと山川さんには申し訳ないけど、私たちの考えをもう少し出させてね。私、思うの。スーパーフードカフェ&ショップの前に来たらお客さんがなにかワクワクするようなものがほしい、と。それとスーパーフードドリンクを欲しがるお客さんはどういう人達かしら。仕事で忙しいキャリアウーマンは朝食を簡単に済ませて職場に行く人が多いから短時間で栄養分を摂取できるスーパーフードドリンクはニーズがあると思う。30代後半から40代後半あたりかな。」

飯田「スーパーフードの場合、どこか言葉の意味があまり解らないまま独り歩 きしているような印象があります。皆さんに共通する栄養素と個々人の健康状態に合わせた栄養素の補給と2通りあるんじゃないでしょうか。後の場合はそういうアプリを開発してそれを見てもらう、というやり方がありそうですね」

浮城「確かに個別対応は必要だと思うわ。アプリの開発と併せて、私が考えているのは目的別ドリンクのメニュー化とカウンセリング。カウンセリングはメールでやってもいいけど、できれば最初はお店でやりたいな。栄養管理士としての私の出番になりそうね。きめ細かい対応がスーパーフードードカフェ&ショップの大きな特徴になるかな。」

飯田「そしてスーパーフードの食材は是非みんな国産にしてほしい。それもできれば有機的栽培。それから話を変わりますが、お店の開店時間はどうしますか。」

浮城「飯田さんのようにできるだけ子育て中の若いお母さんにお店をお任せで きればと思うの。ということで開店時間は午前11時から午後3時まで。準備もあるから飯田さんには午前10時にお店に入って頂いて、片づけもあるから午後4時には終わり、というのはどうかしら。」

女性たちの話が一区切りついたと判断して杉浦が言った。

杉浦「浮城さんが言ったように、ワクワクするようなカフェ、そしてお客さんがリピーターになって来てくれるようなカフェにしたいね」

山川も続いた。「ミッションというか、われわれの魂を込めたカフェ&ショップ。そのためにも今の日本で提供できる最高のスーパーフード食材を使ったドリンクを出そう。ウチの農場も頑張る。お客さんがワクワクするようなお店にするならまず当事者のわれわれがワクワクしないとね」

杉浦も浮城も飯田も黙って頷いた。

杉浦が皆に言った。「われわれもお客さんもワクワクするようになるためのアイデアをドンドン出し合おう。ここが勝負だ。実は黒板に貼ってある模造紙はビジネスモデルをデザインするためのシートなんだ。日本型ビジネスモデルをデザインするために私が独自に作ったもので、この1枚の紙に全て書き込んでいってほしい。」

それから1時間、4人は熱心にアイデアを出し合い、それをポストイットに書き、ビジネスモデルデザインシートのそれぞれのカテゴリースペースに貼っていった。デザインシートがポストイットで埋め尽くされた。

それを皆で眺めた。

その後でビジネスモデルデザインシートを補強する目的で、以下の4点について話合った。

  • お客さんとの関係の中で課題になることは何か最高のスーパーフードを提供し、お客さんとの信頼関係を築くこと、そしてパートナーになって頂く。
  • お客さんに対する重要な実行施策名前を覚え、前回注文内容を記録し、効果についての感想を伺う。栄養士がデータを作成し、ドリンクのメニューをつくる。そしてお客さんがお店のパソコンで自分に合ったドリンクを選べるようにする。
  • 成功するために必要な数字の指標まずやってみて2ヶ月経った時点で設定する。最初は数字は意識しない。
  • 圧倒的な優位性

国産最高のスーパーフード食材とお客さんとの確かな信頼関係。スーパーフードの食材を栽培している山川の山梨県の農場への見学ツアーも定期的に実施する。当面は半年に1回。

最後に締めくくりとして、以下の3点について話合った。

  • 今の自分達にできることは何か

スーパーフードドリンク、目玉はモリンガ、エゴマ油、豆乳、パイナップルのスムージーだ。ショップではスーパーフードの加工食品、ポーラス構造の竹炭、大中小の屋上菜園用木枠セット。

  • どこまでの損失であれば許容できるか

200万円に設定した。損失が出た場合は杉浦と浮城が折半で負担する。

  • だれが全体をコントロールするか。

杉浦と浮城の2人がコントロールを担当することになった。

 

1週間後、4人は開店前のスーパーフードカフェに集まり、ミッションと経営方針を確認した後、開店記念パーティを持った。

杉浦「今日は船に例えたら進水式だね」

浮城「いよいよ大空に向かって飛ぼうとする鳥のヒナみたい。ちょっとドキドキする」

山川「丹精こめて山梨県で育てているスーパーフード食材の東京デビューだ」

飯田「忙しいワーキングウーマンの健康を支える応援団になりたい」

ワインで乾杯した。「一歩一歩前進!」

 開店前日。

カフェの中にはモリンガの木が繁っている。ドリンクを注文したお客さんは待っている間、自由にモリンガの葉を摘まむことができる。またエゴマの葉も。

モリンガの木は山梨県の南の農園から運ばれてきたものだ。午前11時までは屋上で日光を浴びて栽培されている。そして有機栽培。エゴマは島根県川本町から送られてきた苗を屋上菜園で育てている。こちらも有機栽培。 

 

モリンガがエゴマに話しかけている。

「私たちもここのカフェの店員になって4人のチームを応援していこう。私たちが皆さんの健康に役立つことを実感してほしい。そのために身を削られてもいい。かえってうれしいくらい。屋上の仲間ともいつでも選手交代できるようにしてくれているって、杉浦さんと山川さんが言っていた」

  (第22話 了)

屋上菜園物語 Ⅱ 第21話 「紫蘇とマインドフルネス」

花岡伸二は畑のベンチに座った。2時間しゃがんだままずっと雑草を抜いていた。梅雨の晴れ間、畑に来てみると、2週間前、抜いた畝間に雑草がまた生い茂っている。ヤレヤレという気持ちになるが、一方で最近は「なんという生命力だろう」と雑草がいじらしくさえ思える。以前は雑草を見ると、正直イライラしたものだが、最近はそんなこともなく、無心な気持ちで除草できるようになった。雑草を1本1本抜きながら、何も考えていないか、何か考えている自分がいる。今日考えていたことは畑の雑草ならぬ自分の心の中の雑草のことだった。つまり雑念。畑の雑草はこのようにして抜くことができるが、雑念はどのようにしたら抜けるか。齢をとるにつれて取り越し苦労なのだろうが、あれこれ気になることが増えていく。しゃがんだ姿勢の作業は疲れる、立ち上がって背中を伸ばし、伸二は夕暮れの空を見上げ、思わず深呼吸した。夕陽が美しい。

腕時計を見ると午後6時30分。まだ明るいが夕暮れ時になっている。川に沿って農地が続いている。川面と野を渡る風が吹いてきた。暫くその風に身を任せ、作業でほてった身体を冷ました。思わず「気持ちいい」。

自然の涼気は言葉にできない。生き返るようだ。疲れも抜けていく。「できることならずっとこのままいたい・・・」。そして時には畑の風景を見ながら、涼しい風に吹かれながら、穏やかな気持ちのまま、天国に引き上げられたいとさえ思う。そんなことになれば家族が大変だろうが、そんな願いを持つのも75歳を超えたためだろうか。しかし、自分の人生を完成させるためにもまだまだ生きていかなければならない。もう一踏ん張りも二踏ん張りもして、悔いがないようにしたい。

伸二は最近畑に遊びに来る藤田さん家族のことを思い出していた。ご主人も奥さんも40代前半、子供が1人いる。ご主人はIT企業に勤めている。伸二の神田の事務所の屋上に菜園がある。そこで開催した菜園講座がキッカケになって親しくなった。今年の3月から月に2回ほど畑に車で来ている。畑は駅からちょっと遠いところにあるのでやはり車を使うことになる。藤田さんのご主人は口数の多い方ではない。2週間前、畑に来て作業を手伝ってもらった時、ご主人の藤田さんは嬉しそうにこう言った。

「畑にくると元気が出ます。何か開放的な気持ちになれるんです。」

ところが1週間前に来た時は、元気が無かった。休憩時間に皆でベンチに座ってアイスコーヒーを飲んでいる時、藤田さんの奥さんが伸二に、ちょっと言いにくそうにこう言った。

「最近主人が今の仕事を辞めたいと言っているんです」

その言葉をきっかけにして藤田さんが伸二に自分の思いを伝えた。

「今の仕事を辞めてカフェをやりたいんです。・・・花岡さん、働くってどういうことなんでしょう?毎日毎日パソコンの画面ばかり見ていると、どうしようもなくそんな思いが突き上げてくるんです。頭も、心も身体も全部使って人を相手にやる仕事が本当の仕事ではないか、そんな思いが頭の中を過ります」

伸二はそれにはすぐには答えず、夕暮れの雲の流れを見ていた。何故か雲は過去から未来に流れていくような感じがした。そして呟いた。

「本当の仕事・・・ですか」

伸二は自分が現役で仕事をしていた時を思い起していた。「自分は本当の仕事をしただろうか。本当の仕事とは・・・自分はしてこなかったかもしれない」

伸二は空を見ながら言った。

「そうですか、今そういうことを考えているんですね。40代というのはそういうことを考える時期なのかもしれません。そういえば自分もそうだったかもしれないな」

藤田さんは伸二の返事に少し励まされたのか、続けて言葉をつないだ。

「前の会社をリストラされた時、暫く家にいて、これからどうしようかと考えていた時、毎日行くところがないというのは厳しいもんだとつくづく感じました。自分の居場所がない。早く働きたいと思いました。幸い友人の関係で人工知能関係の仕事をしている今の会社に再就職することができたので、その時は正直ホッとしました」

畑での会話は間がとれるからいい。向き合って話すのではなく、ベンチに座って畑の風景を見ながらゆっくり話すことができる。伸二は流れる雲を見ながら、藤田さんの話を聞いていた。

藤田さん「次は自分が好きな、自分を活かせる、打ち込める仕事につきたいと思っているんです。ご存知のように今は会社に一生勤めるという時代ではなくなっています。キャリアを磨いてより良い仕事につく、という時代ですから」

藤田さんの奥さんはお子さんと一緒に家内と一緒にトマトの収穫をしている。時々こちらを見ている。

伸二は藤田さんには顔を向けず、雲の流れを見ながら、言った。

「本当の仕事。自分を活かせる仕事・・・。そのような気持ちになれて良かったですね。それが仕事に取り組む正しい姿勢のように思います。私たちが就職した時代は、一流大学を出て、一流会社に勤める、それが目標になっていました。私の場合は一流会社ではありませんでしたが、一流半ぐらいの会社に就職することができました。早く仕事に慣れよう、そんな気持ちで精一杯でした。ある時期、人材教育の会社からウチに来ないかと誘われました。私もどこかで自分らしい仕事をしたいと思い始めていたんですね。でもやっぱり大きな会社を離れることはできなかった。自分の能力に自信も無かった。・・・昔の時代の話です。そして自分は会社員に向いていないという違和感がたえずありました。かと言って何に向いているかもわからない。・・・今は働き方が昔とは大きく変わってきています。私の経験などあまりご参考にならないと思いますが、雲の流れを見ているとなぜか昔のことを思い出します。そして私たちはどこに向かって流れていくのだろうか、と」

藤田さんも雲の流れを見ていた。

藤田さん「私の思いをご理解くださり、ありがとうございます。長いことパソコンの前に座り続けてきたためか、無性に人を相手の仕事がしたいと思っているんです。」

伸二「その気持ちは分かるような気がします。人を相手の仕事はそれはそれで

大変でしょうが、仕事人生のどこかでやはり人を相手にする仕事は必修科目だと思いますね」

藤田さん「必修科目とはどのような意味なんでしょうか」

伸二「人を相手にする場合、共感力が求められます。相手の立場を理解する力、相手の気持ち・感情をくみ取る力、そして相手が自分に何を求めているかを洞察する力は仕事の世界で生きていくためにはどうしても必要ということで私は必修科目と考えています」

藤田さん「言葉としては分かりますが、今の自分に言われるような共感力がどの程度あるか。心配です」

伸二「共感力は自分の中に作り上げていくものです。日々の心がけが大事です。

私は野菜栽培を通じて野菜から共感力を教えてもらっています。野菜は人間のように言葉は使えません。想像力を働かせることになります。ただ共感力の前にその基礎的部分である『本当の自分を知る』ことが一番大事ではないかと、最近ますます思うようになりました。」

藤田さん「『本当の自分を知る』ですね。花岡さんはそれをどのようにしているんですか。もし差支えなければ教えて頂けますか」

伸二「お役に立つかどうかわかりませんが、私は本当の自分を知るために2つの

ことをしています。1つはジャーナリングです。毎日書いている日記にジャーナリングの箇所を設けています。ジャーナリングとは一言で表現すれば「書く瞑想」です。何も考えずにとにかく書く。自分の無意識に書かせる、と言ったらいいでしょうか。書くことで思ってもみなかった自分の潜在的思いが、そしていろいろな顔を持った自分が浮かび上がってきます。このジャーナリングの内容は自分だけのものです。他人に見せるものではありません。そしてジャーナリングで浮かび上がってきたことに対して良い悪いの評価はしません。そのまま受けとめます。もう一つは自分の中のもう二人との対話です。一人は賢明なもう一人の自分、あとのもう一人は人生を楽しんでいるもう一人の自分です。私は夜寝る前にこの2人に今日一日のことを話します。こんなことがあった、こんな風に思った、などと。報告する私は「今、ここを生きている自分」です。寝る前に日記を書き、布団に横になったら3人の対話です。そしていつの間にか眠っています。対話が思うように進まない日もありますが、あまり気にしないことにしています」

藤田さん「ジャーナリングという言葉は初めて聞きました。花岡さんはどのようにしてジャーナリングを知ったんですか」

伸二「私は以前から日記を書く習慣がありました。自分の悩み、不安定な気持ちを日記に書きつけました。今自分はこんなことで悩んでいる、不安定な気持ちでいる。一種のストレスですね。どこかに自己憐憫的なところもありました。でも書くことによって落ち着くことができました。でもそれは自分が意識していることを書いていたんですね。だから考え、考え、そして書いていました。また瞑想しても雑念が次から次へと湧いてきて無念無想の境地には入れません。ある時本屋でジャーナリングについて書かれた本を見つけました。立ち読みして「これこそ自分が探していた本だ」と直感し、購入しました。読みながら嬉しくなりました。何も考えずに書くことによって私の場合は無意識の世界に入ることができつつあります。ジャーナリングで書いているうちに、思ってもみなかったことが次から次へと出てきます。うれしい発見もありました。自分の会社にはフロンティアという名前がついていますが、最近ジャーナリングをしている時に自分にとってのフロンティアの意味が「そういうことだったんだ」という思いで腑に落ちました。希望と覚悟が与えられました。

私はこれからもずっとジャーナリングを続けていくつもりです。今迄自分を変えようとして沢山の自己啓発書を読んできましたが、やはり無意識の世界の自分も含めて自分の本来の姿を見る、見続けていくことが大事だと思います。そしていつの間にか変わっている、少しづつですが変わり続けている自分にある日ある時気付く。中途半端な人生を送ってきた私ですが、ここに来てやっと自分の生き方が見えてきたように感じます。これは正直うれしい体験でした。」

藤田さん「そうですか。私も自分の生き方を知りたいと思っているんです。ジャーナリングのやり方を教えていただけますか」

伸二「わかりました。次回来られた時にその本をお貸しします。これからジャーナリングの友として一緒にやっていきましょう」

藤田さん「それから自分の中の3人の対話についても教えてください」

伸二「ジャーナリングを習得された後、3人の対話についても説明しましょう。一つ一つ、ですね。最近私は人間が人生を完成させるためには、自分を知ること、人を知ること、そして自然を知ることが大事だと思っています。この知るというのは最終的には大きな存在に触れる、ということです」

藤田さん「大きな存在・・・」

急に雲の動きが速くなってきた。風も吹いてきた。

話が一段落してから伸二は畑のあちらこちらで大きく成長している紫蘇を指さし、言った。

「あそこにこんもりと緑のかたまりがありますね。紫蘇です。種を播いた記憶が

ないんですが、畑のあちこちに紫蘇のかたまりがあります。種を播いた記憶がありませんから、肥料を与えた記憶もありません。それなのに畑のあちこちで紫蘇は元気に成長しています。本当に逞しい野菜です。他の野菜のように世話をされなくても大丈夫、と言っているようです。紫蘇は雑草に近いのかもしれませんね。

私は紫蘇を見ていると人に関心を持ってもらわなくても育つ、特に世話をしてもらわなくても大丈夫という生き方を見て、人間の生き方を考える上で、教えられることがあります。他の人から関心を特にもたれなくても、助けてもらわなくても生き抜き、そして結果的に人の役に立つ、という生き方です。紫蘇は大きな自然の中にもある大いなる力によって生かされていることを知っているのではないでしょうか。」

藤田さん「紫蘇を見直しました。そうでありながら、結果的に役に立つ、というのはどういうことでしょうか」

伸二「紫蘇にはβ-カロチン、ビタミンE、ビタミンK、カリウム、カルシウムが豊富に含まれています。また紫蘇の実油にはα-リノレン酸が含まれていて、老化防止に効果があると言われています」

藤田さん「紫蘇は薬味的使われ方をすることがほとんどですので、食べるとしても少量ですね。」

伸二「確かにそうですね。ところが最近わが家では紫蘇を沢山食べていますよ。

餃子の具として使ったり、お刺身の魚を紫蘇で巻いて食べたりしています。なかなかイケますよ」

                *

ある満月の夜、北千住のビルの屋上菜園でトマトと紫蘇が会話をしていた。

トマトは今日の午前に屋上菜園に定植されたが泣きべそをかいていた。

「昨日まで普通の畑にいました。それが今日、このビルの屋上菜園に連れてこられて植えられました。こんなに薄い土で、風が強いところでこれから生きていかなければならないと思うと悲しくなります。元の畑に戻りたい。・・・紫蘇さんは前からここにいるんですね。どうしたらこの屋上菜園で生きていけますか?」

紫蘇は答えた。

「私も最初種で播かれた時は土は薄いし、太陽光で土は熱くなるし、おまけに世話をしてくれる人は週1回しかこないし、生きていけるか正直不安でした。トマトさん、トマトさんは人があれこれと世話をしてくれますが、私たちは殆ど世話をしてもらえません。だから人に依存しないで、できる限り自分の力で生きていく、と決めました。そう思い定めるまでちょっと時間がかかりましたが、覚悟ができました。・・・ところがある日飛んできたモンシロチョウさんがこんなことを教えてくれました。

「紫蘇さんは野菜さんたちが屋上を吹く風で傷めつけられないように、野菜さんたちを守るようにして防風林のように並んでいるんですね」

屋上菜園で以前のように地域の子供たち、家族が来て種を播き、苗を植え、収穫する光景がまた見られるようになってほしい。都会の子供たちは野菜が育つ姿を見る機会が少ない。野菜がそれぞれ成長する姿を見て、何かを感じてほしい。野菜に触れ、ブドウに触れて笑顔一杯の子供たち。

紫蘇はあたかも喜ぶかのように夜風の中でゆっくり揺れている。

                              (了)