屋上菜園物語 Ⅱ 

第23話  老人ホーム カラオケ会

今日は2週間に1回のカラオケ会。食堂兼集会室の大きなディスプレイを見ながら皆で歌う。以前元気な時は仲間を誘ってカラオケカフェに通ったものだ。

普通カラオケカフェでは自分の好きな歌を選んで歌い、仲間は自分の歌いたい歌を探しながらそれを聞いているというスタイルだ。そのやり方を老人ホームでやると時間がかかりすぎるし、また待っている人達も時間を持て余すことになる。ということで職員が皆の希望を聞いた上で歌を選んで皆で歌うというやり方をとっている。

夕食前の午後4時半から6時迄、1時間半、皆で歌って過ごす。

 

今迄はそれぞれ歌詞がプリントしてある本を見ながら歌ってきたが、今月からそれだけではなくナレーションというかイントロの後、皆で歌うというように趣向が変わった。このナレーションは屋上菜園の栽培を担当しているAさんが作ったとのこと。Aさんは既に50曲ほどのイントロを作っている。以前屋上の菜園で一緒に作業をした時、そんな話をしていた。

Aさん「昔、玉置宏さんという司会者が歌の前にイントロを語っていましたよね。

 それで歌手もスッと歌に入れたんではないでしょうか。今はそういう司会者 はいませんね。平成、令和の歌はイントロを必要としないのかもしれません」

 

入居者の皆さんは三々五々集まっていた。皆4時前に席についた。

職員のKさんが皆さんに声をかけた。

「皆さん、それではこれからカラオケ会を始めます。まず 今日歌いたい歌、手を挙げて仰ってください。一応8曲迄としますね」

次々と手が上がった。老人ホームの入居者の皆さんは大体70歳以上だ。ということで選ぶのは昭和の歌だ。

「リンゴの歌」「昭和枯れすすき」「悲しい酒」「チャンチキおけさ」「浪曲子守歌」「涙を抱いた渡り鳥」「恋心」「長崎の鐘」

 

Kさん「『昭和枯れすすき』はイントロ集にはまだ載っていませんので、Aさんに作ってくださるようお願いしておきます。それでは10月のカラオケ会の始まり、始まり~」

Kさんが前口上を言う。「真珠貝のように自分のこころの中に埋め込まれた小さな玉。人の世で生きていく時、私たちが流す涙、苦しみが小さな玉を少しづつ大きくしていきます。それがわが心の歌・・・。それでは出して頂いた順番で歌います。途中で少し休憩を入れますね。3曲歌った後に。」

Kさんは少し声を変えて、イントロを語り始めた。まず「リンゴの歌」

「ああ あの時の貧しさが 懐かしい 空はぽっかり青空で 砂糖菓子みたいな雲が浮かんでいた 街には進駐軍 パンパンなんて呼ばれてた おねえさんたちは なんだか外国のリンゴみたいだった

 おいらはそうさ国産リンゴ あの娘(こ)は可愛い紅玉リンゴ」

皆さんが歌い終わった後、Kさんは少し間を置いて、

 「『昭和枯れすすき』はまだイントロがありませんので、イントロなしで歌いますね。私の両親はこの歌が好きでした。かなり暗い歌なので若い時の私にはちょっとしっくりきませんでしたが、中年になった今、なんとなく分かるような気がしてきました。両親の人生も苦労の連続でした。それでは「昭和枯れすすき」を歌います。」

「昭和枯れすすき」を歌いながら、涙を拭っている婦人がいる。

Kさん「次の「悲しい酒」を歌った後で、お茶を飲みながら、短く休憩の時間をとります。よろしいでしょうか」

皆さん「いいです」

Kさんがイントロ。

「今夜は工場の片隅で 寝ずの番です 独りです 日記のペンをふと止めて 

 テレビを見たら ひばりさん 涙を流して歌ってる  悲しい酒です 私も

 一緒に歌います 私の人生杯も悲しい酒で 溢れてる 泣けるうちは泣けば

 いい そしたら元気が湧いてくる」

段々調子が出てきたのだろう。入居者の皆さんは元気に大きな声で歌っている。

Kさん「それではこれから5分間お茶を飲みながら近くの人とお話ください。

 

あるグループの入居者の婦人が言う。「昭和の歌はあの時代の人生を歌っているような気がするの。私は既に主人を亡くしていますが、「昭和枯れすすき」の3番に、この俺を捨てろ、というのがありますが、主人が私にそう言ったことがあります。こんな俺の人生に付き合わせて申し訳ないと思っている。違う男性と一緒になったらお前ももっと幸せになれたはずだ、って。私、その時言いました。もっと早く言ってくれれば良かったのに。もう手遅れです、と。もっと主人に優しくしてあげればと思うこともありましたが、自分の性格なんでしょう、それがなかなかできなくて・・・」

同じグループの男性がそれに応答した。「昭和の男性の人生は仕事中心で仕事で挫折したり、失敗した時、それを支えてくれる場が無かったように思います。

家には仕事を持ちこみたくないので、また家族に余計な心配をかけたくないのでついつい居酒屋に寄って一杯二杯と飲んで帰宅する、ということになります。酔って帰ると奥さんに嫌味を言われる、そんなことの繰り返しだったように思いますね。」

婦人が答える。「でも夫婦なんだから仕事の辛さを話してくれれば、聞きましたよ。黙っていたら分からないでしょ。」

5分経った。Kさんが呼び掛ける。

「それでは続けます」

次は「チャンチキおけさ」です。

「独りでいるのがたまらなく 木賃宿を後にして 思わず駆けた 裏通り

こころに灯ともすよな 屋台のランプに つい惹かれ 腰を下ろした

オレ一人 熱燗一本頼んだら なんだか少しホッとして 気持ちも一緒

に抜けてった 故郷(くに)じゃ いま頃雪だろう

 

人を泣かせてばかりいて どこで人生間違えた

 

ある男性の入居者は指でテーブルの端を軽く叩きながら歌っていた。「三波春夫、なつかしいなあ」という声も聞こえてきた。

 

Kさん「そういえば最近屋台ってみませんね。昔は屋台のおでん屋なんかをよく

 見かけましたが、今はどうなんでしょう。ある所にはあるんでしょうが。

それでは次は浪曲子守唄。イントロはこうです。

土方土方というけれど 好きでなったわけじゃない 流れ流れの暮らしから 足を洗おうと思ったが その日暮らしが染みついた

オレには所詮無理だった 今じゃ子連れの作業員

お前が学校(ガッコ)に上がる迄 とうちゃん 一生懸命働くよ

ほらほらそう泣くな

 

こっちまで泣けてくらあなあ

 

ある男性の入居者が突然立ち上がった。そして歌っている。最後まで立って歌っていた。

Kさん「次は「涙を抱いた渡り鳥」です。この歌を歌ったらまた休憩しましょう。

 辛い育ちを笑顔に隠し 村の小さな演芸場 声を張り上げ歌います

 あなたのこころに届くよう 思いを込めて歌います

 島から島へ 連絡船の渡り鳥 いつしか生きる悲しみを

 乙女ごころに知りました 知りすぎるほどに知りました

 

あるグループの中での会話。男性の入居者が言う。「どれもいい歌だ。いろいろなことを思い出す。思い出したくないことまで思い出すね。私は瀬戸内海の小さな島の出身なんだが、島の斜面一面ミカンを栽培していた。小学生だったんだが収獲期には朝から夕方迄摘果作業に駆り出された。平地ならともかく斜面での作業は本当に辛かった。その島にも演芸場があり、時々歌手が来て歌っていたな。」

別の男性の入居者が「私は朝起きた時、無性に寂しく、悲しくなることがよくあります。とても生々しい気持ちでどうしようもないんです。そして生きていることに心細さを感じるんです。いつもは我慢しているんですが、今日は思い切ってお話しました。皆さんの中でそういう方はいませんか。私だけなんでしょうか。歌とは関係ない話で申し訳ありません」

同じグループの女性が言った。「私もそういう気持ちになることがあります。最近こう考えるようにしています。齢をとることはいいことだ。なぜなら物事をもっと深く、広く考えることができる。そして物事をもっと深く、広く感じることができる。時に、考えたことを、感じたことを一人で支え切れなくなることがあります。一緒に支えてくれる友が必要です。その意味では何かの深いご縁で私たちはこの老人ホームにいます。友になる人が与えられている、私はそんなふうに考えています。」

Kさんが皆さんに声をかける。

「それでは、今日最後の2曲を歌いましょう。「恋心」「長崎の鐘」です。まず

 「恋心」。イントロはこうです。ちょっと長いですよ。シャンソンです。

ミラボー橋の下をセーヌは流れ

私たちの青春も

私たちの恋も

小さな舟のように 流れていった

もう恋なんてしないと誓った筈なのに

恋なんてむなしくはかないものと

知った筈なのに

なぜか今度こそ本当の恋に生きたい

恋に死にたい

セーヌの流れをみつめながら そう思う私は

愚かでしょうか

 

マビオン通りに枯葉が舞っています

あの人と会った小さなレストランに

灯が点っています

 

あるグループの男性の入居者が言った。「シャンソンと言えば、私は銀座の銀巴里に行ったことがある。当時シャンソンはモダンジャズもそうだったけど若者の間で流行っていた。大学からの帰り道、渋谷の「シャンソンドパリ」に入り浸っていたね。」

 

Kさんがちょっと声を張り上げて皆さんに告げた。

「それでは今日最後の歌を歌います。「長崎の鐘」です。

 

 神も仏もあるものか 神に背を向けて去った人も

いつしか 一人二人と 教会に帰ってきました

 

長崎の鐘よ 鳴れ鳴れ 

鳴り響け

 

悲しみのため 平和のために

 

入居者の皆さんの声が一段と高くなった。途中から鳴き声が聞こえてきた。

ある入居者の婦人が言った。「私は長崎の出身です。爆心地から離れた防空壕の中に居ましたので被爆は免れることができました。でも私の親戚、友人の多くが亡くなりました。その悲しみを抱えながらずっと生きてきました。」

 

ある入居者の男性が言った。「私も長崎です。両親を原爆で失い、幼い頃は孤児院に収容され、父母の愛を知らないまま生きてきました。幸いあるクリスチャンのご夫婦が私を引き取ってくださり、高校、大学迄出させてもらいました。高校の教師になり、社会科を教えてきました。そしてある時、アメリカの軍人カメラマンが撮った、背中に亡くなった兄弟を背負って火葬場の前に立っている少年の写真を見ました。カメラマンの話によればその少年は兄弟を背中から降ろして火葬にした後、一度も後を振り返ることなく立ち去っていったとのことでした。私はその写真を自分の部屋の小さな額に入れ、いつも見ています。その少年のその後の人生はどのようだったでしょうか。一生懸命生きていったと私は思っています。ある意味では私はその少年と一緒に今迄の人生を、またこれからの人生を生きていくのだと思います」

 

その話を聞いた後、誰からともなく、「もう一度『長崎の鐘』を歌おう、と声がかかった。

ディスプレイの音量を少し上げて皆で合唱した。中には指を組んで合掌している人もいる。

職員の一人の高齢者傾聴スペシャリストが最後にこんなことを言った。

「歌はこの世の人々だけのものではないと私は思っています。この世で私たちが歌う時、その歌声は次元を超えてあの世、天国にも届いていると私は信じています。あの世にカラオケ会があるかどうか、分かりませんが、地上と天上で声を合わせて歌っている・・・そんなふうに私は思っています。歌は私たちに確かな希望を与えてくれます。そう信じてこれからも明るく日々を送ってください。それでは最後に皆で声を上げましょう。

「ハッピー カラオケ会」

              

老人ホームの屋上菜園では入居者が集まってダイコンの間引きをしている。

「間引き菜も美味しいのよ」話合っている声が元気だ。11月にはサツマイモ、ジャガイモを収獲する。入居者の皆さんは特にサツマイモを楽しみにしている。

11月にはサラダ菜の本格的収穫が始まる。果物では9月のブドウに続いてキンカンが収穫できる。

 

               *

 

屋上の野菜たちが話している。

サツマイモ「この老人ホームの入居者の皆さんは最近以前にも増して明るくなったような気がする。元気な気持ちで屋上菜園に来てくれているね」

キンカン「サツマイモさんもそう思うかい。そうだとうれしいな」

サツマイモ「ぼくたちが屋上で成長していく姿を見て元気になり、そして収穫の喜びを感じて貰えたら、それはぼくたちにとって本望だと思う。屋上菜園はぼくたちにとって決して楽できる環境ではないけど、それだけやりがいがある。そんなふうに思っているんだ」

 

東京下町の空を夕焼けが真っ赤に染めている。

 

(第23話 了)

屋上菜園物語 Ⅱ

第22話 「スーパーフードードカフェ&ショップ」

 ここ神田のあるカフェ。午前11時になるとモリンガの木がカフェの入り口のところに運ばれてくる。モリンガは移動式の木枠でできた菜園セットの中で高さ1メートルぐらいまで成長している。午前11時までビルの屋上菜園で太陽の光を浴びている。出番は午前11時からだ。モリンガの葉は人間に必要な栄養素を90種類以上含むが、もう一つの擢んでた大きな特徴は二酸化炭素(CO2)を一般の木の約30倍吸収し、酸素に変える空気浄化能力を持っていることだ。正に奇跡の木だ。

以下は「スーパーフードードカフェ&ショップ」の素晴らしい可能性に賭けた人達の事業のスタートを記した物語である。

                *

 杉浦は夕方の京浜東北線に乗って神田から浦和に向かっていた。座席に座り、少し身体を斜めにして進行方向の流れていく風景を眺めるともなしに眺めていた。マンション、アパートの建物が多い。そして高層マンションも増えている。ベランダに洗濯物が干してあるのが見える。それぞれの家族の生活が営まれているのだ。それを見ていると杉浦はなぜか不思議な気持ちになる。なんとも言いようのない気持ちなのだ。感情的にはどこか寂しい。この寂しさはどこから来るのだろうか。この寂しさはどこか時代の深い孤立感を滲ませているようだ。しかし皆この東京ビル砂漠で、営々と生活を築いている。一人暮らしの人もいるだろう。この気持ちを的確に表現する言葉を杉浦は電車の中で探し続けていた。杉浦はなんとも言えない寂しさと向き合うために仕事を続けているのかもしれない。そんなふうにも思った。おそらくそうだろう。しかしそれだけでもない。他にも何かあるはずだ。

 浦和では山川に会う。久しぶりだ。山川は山梨県南部で農家をしている。スパーフードを専門に畑で栽培している、ちょっと珍しい農家だ。杉浦が山川に会ったのは5年前だった。それ以来屋上緑化用の土壌資材の製造を山川に委託してきた。その中には屋上菜園用木枠セットも入っている。山川は山の間伐材、竹の利用・商品化にも取り組んでいる。それをキチンとしなければ山は荒れていく、それを何とか食い止めたいというのが山川の口癖だ。

山川は若い時、海外青年協力隊の一員としてフィリッピンで灌漑工事を担当していた。その時モリンガを知ったと話してくれたことがある。モリンガは一般の家庭が生垣的に栽培し、食用にしている、フイリッピン人にとってはごく身近な植物とのことだった。

山川の農園ではモリンガの他にスーパーフード的野菜、植物を栽培している。

モリンガの他にエゴマ、もち麦、ビーツ、雲南百薬、ケール、秋ウコン(ターメリック)、マルベリー、ヘンプシード。山川は収穫して市場に卸すという通常のやり方ではなく、自分の農園を観光農園、収穫農園としても運営している。必要があれば近くの旅館か民宿に泊まってもらう。栄養士、料理研究家と組んで、農園で勉強会、料理会も始めた。こちらの方は主に山川の奥さんが担当しているようだ。ただ現在のところ、農園からの収入では不十分なので、地元の土木工事関係の会社の下で農作業の合間に土木作業をしているとのことだ。出稼ぎには行かない。

 杉浦が山川と最初に会ったのは山梨県のある木材関係の会社でだった。杉浦は都市農業、都会の田園都市化というビジョンを持って、まずは東京、大阪のビルの屋上緑化・菜園化に取り組んできた。山川とウマがあったのは仕事の背景にある世界観・価値観・ミッションに通い合うものがあったからだ。杉浦と山川は30歳の年齢差がある。

杉浦は以前、山川に話したことがある。「齢の差なんて関係ないよ。仕事だからビジネスとして取り組むが、目的は金もうけだけではない。これからの社会を、日本を創るための仕事をしていこう」と。「われわれは理想主義者に見えるかもしれない。だけどそれでいい。そんなアホな人間がいてもいいじゃないか。金儲けだけでは疲れてしまう。まずミッションだ。ミッションアホ」

山川と杉浦は笑い合った。

今回の打ち合わせではスーパーフード実験店を神田に出すための具体的詰めを行うことにしている。小さく始めるというのが基本方針だが、線香花火になってはいけない。幸い杉浦のコネで神田駅から近いビルの1階を安く借りることができる。約5坪ほどのスペースにスタンド式の「スーパーフードードカフェ&ショップ」を開店する計画だ。カフェで出すものは主にスーパーフードドリンク、ショップではスーパーフードの加工食品、ポーラス構造の竹炭、大中小の屋上菜園用木枠セット。このあたりまでは今迄の4人の打ち合わせでだいたい決めている。

 浦和駅改札口を出たところで待っていると、今着いた電車から降りてきた山川が向こうから手を挙げて近づいてきた。改札を出たところで挨拶代わりの握手。

杉浦が言う。「元気そうだね」

山川「元気しか取り柄がありませんよ~。杉浦さんも元気そうですね」

杉浦「元気だけど、最近やっぱり年齢を感じるよ。疲れやすくなったも。もっとも一晩寝れば疲れは解消するので、まだまだ大丈夫とは思っている」

山川「杉浦さんは若いですよ。見た目も体力も」

その日、杉浦と山川はカフェのルノアールで、それからはイタリアンレストランで徹底的に話合った。打ち合わせが終わったのは午後9時だった。午後5時から4時間が経っていた。

話の内容は自分達の店のコンセプトを理解し、協力してくれる顧客は誰か、その顧客にジャストミートする価値提案ができるか、そしてどこまでの損失なら許容できるか、開店時間の設定、それと協力者の確保、の5点だった。

2人は杉浦が用意したビジネスモデルキャンバスに書き込んでいった。

明日は朝から実際に「カフェ&ショップ」を運営する浮城彩花と店長になる飯田綾乃と打ち合わせがある。

杉浦「今日はトコトン話し合えて良かった。それでは明日の打ち合わせもあることだし、そろそろ終わりにしませんか」

山川は武蔵浦和に実家がある。両親は健在だ。今晩は久しぶりに実家に泊まる。

杉浦は武蔵野線で山川とは武蔵浦和で別れ、新座駅で降り、自宅に戻った。

 翌日午前9時から4人の打ち合わせを始めた。神田の「カフェ&ショップ」を予定しているビル5階の会議室、大きな黒板に白い大きな紙が貼ってある。

浮城は管理栄養士として活躍している。ご主人は経営コンサルタント。二人とも50代。飯田は最近までカフェで仕事をしていたが、新型コロナウイルスのためそのカフェは閉店となった。6歳の子供がいるが、保育園に預けることができるようになったので、仕事復帰を目指している。

まずはフリーディスカッションからスタート。司会は杉浦だ。まず浮城から思い、考えを話してもらう。

浮城「私は栄養学的見地から日本人はもっと賢い食事へと考え方を切り替える時期に来ていると思います。戦後食の洋風化が進みましたが、やはり身土不二、地産地消という格言があるように国産の食材による食事、メニューをもっと大事にしなければいけないと思っています。昔の食事に帰れと言ってるわけではありませんが、最近食材の新しい機能性が注目されるようになってきました。自分の健康状態を意識しながら、薬とかサプリメントではなく、食材で身体が必要としている栄養素を摂取するということがますます重要になってきていますが、まだ皆さんの意識がそこまで十分高まっているかと言えば、必ずしもそうでないような気がします。それが残念ですね」

そう言って浮城はポストイットに「賢い食事を」と書いて黒板に貼られた白い大きな紙の余白に貼った。

杉浦に促されて飯田が発言する。

飯田「最近私の家の近くのスーパーの八百屋さんに行くと、有機野菜のコーナ ーがあるんですけど、普通の野菜に比べてやはり高いんですよね。良いとはわかっているんですけど、価格を考えて普通の野菜、それも値引き品を買ってしまいます。主婦はいつも家計のことを考えていますから。お肉とかお魚に比べ、野菜は少し軽く見られているかもしれません。有機野菜の本当の価値が分かるような説明があるといいんですけど」

浮城「最近はお店によっては有機野菜の成分表示を示したり、健康面の効果を カードにして説明するところも出てきたけど、売上向上に実際役だっているのかしら。スーパーフードカフェでも同じ問題が出てくる可能性がありそうね。」

飯田はポストイットに「有機野菜の栄養表示」と書いて大きな紙の余白に貼った。

浮城「スーパーフードの他に一部薬草も加えて、更に差別化を図りたいと思い ます。薬草というと苦いとか変わった味香りがすると皆さん思っているようですが、必ずしもそうではないわ。ちょっと大人の味香りと言ったらいいかしら、そういう薬草もあります。」

浮城は「薬草で味に深み」とポストイットに書いて大きな紙の余白に貼りながら、言葉を続けた。

「杉浦さんと山川さんには申し訳ないけど、私たちの考えをもう少し出させてね。私、思うの。スーパーフードカフェ&ショップの前に来たらお客さんがなにかワクワクするようなものがほしい、と。それとスーパーフードドリンクを欲しがるお客さんはどういう人達かしら。仕事で忙しいキャリアウーマンは朝食を簡単に済ませて職場に行く人が多いから短時間で栄養分を摂取できるスーパーフードドリンクはニーズがあると思う。30代後半から40代後半あたりかな。」

飯田「スーパーフードの場合、どこか言葉の意味があまり解らないまま独り歩 きしているような印象があります。皆さんに共通する栄養素と個々人の健康状態に合わせた栄養素の補給と2通りあるんじゃないでしょうか。後の場合はそういうアプリを開発してそれを見てもらう、というやり方がありそうですね」

浮城「確かに個別対応は必要だと思うわ。アプリの開発と併せて、私が考えているのは目的別ドリンクのメニュー化とカウンセリング。カウンセリングはメールでやってもいいけど、できれば最初はお店でやりたいな。栄養管理士としての私の出番になりそうね。きめ細かい対応がスーパーフードードカフェ&ショップの大きな特徴になるかな。」

飯田「そしてスーパーフードの食材は是非みんな国産にしてほしい。それもできれば有機的栽培。それから話を変わりますが、お店の開店時間はどうしますか。」

浮城「飯田さんのようにできるだけ子育て中の若いお母さんにお店をお任せで きればと思うの。ということで開店時間は午前11時から午後3時まで。準備もあるから飯田さんには午前10時にお店に入って頂いて、片づけもあるから午後4時には終わり、というのはどうかしら。」

女性たちの話が一区切りついたと判断して杉浦が言った。

杉浦「浮城さんが言ったように、ワクワクするようなカフェ、そしてお客さんがリピーターになって来てくれるようなカフェにしたいね」

山川も続いた。「ミッションというか、われわれの魂を込めたカフェ&ショップ。そのためにも今の日本で提供できる最高のスーパーフード食材を使ったドリンクを出そう。ウチの農場も頑張る。お客さんがワクワクするようなお店にするならまず当事者のわれわれがワクワクしないとね」

杉浦も浮城も飯田も黙って頷いた。

杉浦が皆に言った。「われわれもお客さんもワクワクするようになるためのアイデアをドンドン出し合おう。ここが勝負だ。実は黒板に貼ってある模造紙はビジネスモデルをデザインするためのシートなんだ。日本型ビジネスモデルをデザインするために私が独自に作ったもので、この1枚の紙に全て書き込んでいってほしい。」

それから1時間、4人は熱心にアイデアを出し合い、それをポストイットに書き、ビジネスモデルデザインシートのそれぞれのカテゴリースペースに貼っていった。デザインシートがポストイットで埋め尽くされた。

それを皆で眺めた。

その後でビジネスモデルデザインシートを補強する目的で、以下の4点について話合った。

  • お客さんとの関係の中で課題になることは何か最高のスーパーフードを提供し、お客さんとの信頼関係を築くこと、そしてパートナーになって頂く。
  • お客さんに対する重要な実行施策名前を覚え、前回注文内容を記録し、効果についての感想を伺う。栄養士がデータを作成し、ドリンクのメニューをつくる。そしてお客さんがお店のパソコンで自分に合ったドリンクを選べるようにする。
  • 成功するために必要な数字の指標まずやってみて2ヶ月経った時点で設定する。最初は数字は意識しない。
  • 圧倒的な優位性

国産最高のスーパーフード食材とお客さんとの確かな信頼関係。スーパーフードの食材を栽培している山川の山梨県の農場への見学ツアーも定期的に実施する。当面は半年に1回。

最後に締めくくりとして、以下の3点について話合った。

  • 今の自分達にできることは何か

スーパーフードドリンク、目玉はモリンガ、エゴマ油、豆乳、パイナップルのスムージーだ。ショップではスーパーフードの加工食品、ポーラス構造の竹炭、大中小の屋上菜園用木枠セット。

  • どこまでの損失であれば許容できるか

200万円に設定した。損失が出た場合は杉浦と浮城が折半で負担する。

  • だれが全体をコントロールするか。

杉浦と浮城の2人がコントロールを担当することになった。

 

1週間後、4人は開店前のスーパーフードカフェに集まり、ミッションと経営方針を確認した後、開店記念パーティを持った。

杉浦「今日は船に例えたら進水式だね」

浮城「いよいよ大空に向かって飛ぼうとする鳥のヒナみたい。ちょっとドキドキする」

山川「丹精こめて山梨県で育てているスーパーフード食材の東京デビューだ」

飯田「忙しいワーキングウーマンの健康を支える応援団になりたい」

ワインで乾杯した。「一歩一歩前進!」

 開店前日。

カフェの中にはモリンガの木が繁っている。ドリンクを注文したお客さんは待っている間、自由にモリンガの葉を摘まむことができる。またエゴマの葉も。

モリンガの木は山梨県の南の農園から運ばれてきたものだ。午前11時までは屋上で日光を浴びて栽培されている。そして有機栽培。エゴマは島根県川本町から送られてきた苗を屋上菜園で育てている。こちらも有機栽培。 

 

モリンガがエゴマに話しかけている。

「私たちもここのカフェの店員になって4人のチームを応援していこう。私たちが皆さんの健康に役立つことを実感してほしい。そのために身を削られてもいい。かえってうれしいくらい。屋上の仲間ともいつでも選手交代できるようにしてくれているって、杉浦さんと山川さんが言っていた」

  (第22話 了)

屋上菜園物語Ⅱ

第21話    紫蘇とマインドフルネス

花岡伸二は畑のベンチに座った。2時間しゃがんだままずっと雑草を抜いていた。梅雨の晴れ間、畑に来てみると、2週間前、抜いた畝間に雑草がまた生い茂っている。ヤレヤレという気持ちになるが、一方で最近は「なんという生命力だろう」と雑草がいじらしくさえ思える。以前は雑草を見ると、正直イライラしたものだが、最近はそんなこともなく、無心な気持ちで除草できるようになった。雑草を1本1本抜きながら、何も考えていないか、何か考えている自分がいる。今日考えていたことは畑の雑草ならぬ自分の心の中の雑草のことだった。つまり雑念。畑の雑草はこのようにして抜くことができるが、雑念はどのようにしたら抜けるか。齢をとるにつれて取り越し苦労なのだろうが、あれこれ気になることが増えていく。しゃがんだ姿勢の作業は疲れる、立ち上がって背中を伸ばし、伸二は夕暮れの空を見上げ、思わず深呼吸した。夕陽が美しい。

腕時計を見ると午後6時30分。まだ明るいが夕暮れ時になっている。川に沿って農地が続いている。川面と野を渡る風が吹いてきた。暫くその風に身を任せ、作業でほてった身体を冷ました。思わず「気持ちいい」。

自然の涼気は言葉にできない。生き返るようだ。疲れも抜けていく。「できることならずっとこのままいたい・・・」。そして時には畑の風景を見ながら、涼しい風に吹かれながら、穏やかな気持ちのまま、天国に引き上げられたいとさえ思う。そんなことになれば家族が大変だろうが、そんな願いを持つのも75歳を超えたためだろうか。しかし、自分の人生を完成させるためにもまだまだ生きていかなければならない。もう一踏ん張りも二踏ん張りもして、悔いがないようにしたい。

伸二は最近畑に遊びに来る藤田さん家族のことを思い出していた。ご主人も奥さんも40代前半、子供が1人いる。ご主人はIT企業に勤めている。伸二の神田の事務所の屋上に菜園がある。そこで開催した菜園講座がキッカケになって親しくなった。今年の3月から月に2回ほど畑に車で来ている。畑は駅からちょっと遠いところにあるのでやはり車を使うことになる。藤田さんのご主人は口数の多い方ではない。2週間前、畑に来て作業を手伝ってもらった時、ご主人の藤田さんは嬉しそうにこう言った。

「畑にくると元気が出ます。何か開放的な気持ちになれるんです。」

ところが1週間前に来た時は、元気が無かった。休憩時間に皆でベンチに座ってアイスコーヒーを飲んでいる時、藤田さんの奥さんが伸二に、ちょっと言いにくそうにこう言った。

「最近主人が今の仕事を辞めたいと言っているんです」

その言葉をきっかけにして藤田さんが伸二に自分の思いを伝えた。

「今の仕事を辞めてカフェをやりたいんです。・・・花岡さん、働くってどういうことなんでしょう?毎日毎日パソコンの画面ばかり見ていると、どうしようもなくそんな思いが突き上げてくるんです。頭も、心も身体も全部使って人を相手にやる仕事が本当の仕事ではないか、そんな思いが頭の中を過ります」

伸二はそれにはすぐには答えず、夕暮れの雲の流れを見ていた。何故か雲は過去から未来に流れていくような感じがした。そして呟いた。

「本当の仕事・・・ですか」

伸二は自分が現役で仕事をしていた時を思い起していた。「自分は本当の仕事をしただろうか。本当の仕事とは・・・自分はしてこなかったかもしれない」

伸二は空を見ながら言った。

「そうですか、今そういうことを考えているんですね。40代というのはそういうことを考える時期なのかもしれません。そういえば自分もそうだったかもしれないな」

藤田さんは伸二の返事に少し励まされたのか、続けて言葉をつないだ。

「前の会社をリストラされた時、暫く家にいて、これからどうしようかと考えていた時、毎日行くところがないというのは厳しいもんだとつくづく感じました。自分の居場所がない。早く働きたいと思いました。幸い友人の関係で人工知能関係の仕事をしている今の会社に再就職することができたので、その時は正直ホッとしました」

畑での会話は間がとれるからいい。向き合って話すのではなく、ベンチに座って畑の風景を見ながらゆっくり話すことができる。伸二は流れる雲を見ながら、藤田さんの話を聞いていた。

藤田さん「次は自分が好きな、自分を活かせる、打ち込める仕事につきたいと思っているんです。ご存知のように今は会社に一生勤めるという時代ではなくなっています。キャリアを磨いてより良い仕事につく、という時代ですから」

藤田さんの奥さんはお子さんと一緒に家内と一緒にトマトの収穫をしている。時々こちらを見ている。

伸二は藤田さんには顔を向けず、雲の流れを見ながら、言った。

「本当の仕事。自分を活かせる仕事・・・。そのような気持ちになれて良かったですね。それが仕事に取り組む正しい姿勢のように思います。私たちが就職した時代は、一流大学を出て、一流会社に勤める、それが目標になっていました。私の場合は一流会社ではありませんでしたが、一流半ぐらいの会社に就職することができました。早く仕事に慣れよう、そんな気持ちで精一杯でした。ある時期、人材教育の会社からウチに来ないかと誘われました。私もどこかで自分らしい仕事をしたいと思い始めていたんですね。でもやっぱり大きな会社を離れることはできなかった。自分の能力に自信も無かった。・・・昔の時代の話です。そして自分は会社員に向いていないという違和感がたえずありました。かと言って何に向いているかもわからない。・・・今は働き方が昔とは大きく変わってきています。私の経験などあまりご参考にならないと思いますが、雲の流れを見ているとなぜか昔のことを思い出します。そして私たちはどこに向かって流れていくのだろうか、と」

藤田さんも雲の流れを見ていた。

藤田さん「私の思いをご理解くださり、ありがとうございます。長いことパソコンの前に座り続けてきたためか、無性に人を相手の仕事がしたいと思っているんです。」

伸二「その気持ちは分かるような気がします。人を相手の仕事はそれはそれで

大変でしょうが、仕事人生のどこかでやはり人を相手にする仕事は必修科目だと思いますね」

藤田さん「必修科目とはどのような意味なんでしょうか」

伸二「人を相手にする場合、共感力が求められます。相手の立場を理解する力、相手の気持ち・感情をくみ取る力、そして相手が自分に何を求めているかを洞察する力は仕事の世界で生きていくためにはどうしても必要ということで私は必修科目と考えています」

藤田さん「言葉としては分かりますが、今の自分に言われるような共感力がどの程度あるか。心配です」

伸二「共感力は自分の中に作り上げていくものです。日々の心がけが大事です。

私は野菜栽培を通じて野菜から共感力を教えてもらっています。野菜は人間のように言葉は使えません。想像力を働かせることになります。ただ共感力の前にその基礎的部分である『本当の自分を知る』ことが一番大事ではないかと、最近ますます思うようになりました。」

藤田さん「『本当の自分を知る』ですね。花岡さんはそれをどのようにしているんですか。もし差支えなければ教えて頂けますか」

伸二「お役に立つかどうかわかりませんが、私は本当の自分を知るために2つの

ことをしています。1つはジャーナリングです。毎日書いている日記にジャーナリングの箇所を設けています。ジャーナリングとは一言で表現すれば「書く瞑想」です。何も考えずにとにかく書く。自分の無意識に書かせる、と言ったらいいでしょうか。書くことで思ってもみなかった自分の潜在的思いが、そしていろいろな顔を持った自分が浮かび上がってきます。このジャーナリングの内容は自分だけのものです。他人に見せるものではありません。そしてジャーナリングで浮かび上がってきたことに対して良い悪いの評価はしません。そのまま受けとめます。もう一つは自分の中のもう二人との対話です。一人は賢明なもう一人の自分、あとのもう一人は人生を楽しんでいるもう一人の自分です。私は夜寝る前にこの2人に今日一日のことを話します。こんなことがあった、こんな風に思った、などと。報告する私は「今、ここを生きている自分」です。寝る前に日記を書き、布団に横になったら3人の対話です。そしていつの間にか眠っています。対話が思うように進まない日もありますが、あまり気にしないことにしています」

藤田さん「ジャーナリングという言葉は初めて聞きました。花岡さんはどのようにしてジャーナリングを知ったんですか」

伸二「私は以前から日記を書く習慣がありました。自分の悩み、不安定な気持ちを日記に書きつけました。今自分はこんなことで悩んでいる、不安定な気持ちでいる。一種のストレスですね。どこかに自己憐憫的なところもありました。でも書くことによって落ち着くことができました。でもそれは自分が意識していることを書いていたんですね。だから考え、考え、そして書いていました。また瞑想しても雑念が次から次へと湧いてきて無念無想の境地には入れません。ある時本屋でジャーナリングについて書かれた本を見つけました。立ち読みして「これこそ自分が探していた本だ」と直感し、購入しました。読みながら嬉しくなりました。何も考えずに書くことによって私の場合は無意識の世界に入ることができつつあります。ジャーナリングで書いているうちに、思ってもみなかったことが次から次へと出てきます。うれしい発見もありました。自分の会社にはフロンティアという名前がついていますが、最近ジャーナリングをしている時に自分にとってのフロンティアの意味が「そういうことだったんだ」という思いで腑に落ちました。希望と覚悟が与えられました。

私はこれからもずっとジャーナリングを続けていくつもりです。今迄自分を変えようとして沢山の自己啓発書を読んできましたが、やはり無意識の世界の自分も含めて自分の本来の姿を見る、見続けていくことが大事だと思います。そしていつの間にか変わっている、少しづつですが変わり続けている自分にある日ある時気付く。中途半端な人生を送ってきた私ですが、ここに来てやっと自分の生き方が見えてきたように感じます。これは正直うれしい体験でした。」

藤田さん「そうですか。私も自分の生き方を知りたいと思っているんです。ジャーナリングのやり方を教えていただけますか」

伸二「わかりました。次回来られた時にその本をお貸しします。これからジャーナリングの友として一緒にやっていきましょう」

藤田さん「それから自分の中の3人の対話についても教えてください」

伸二「ジャーナリングを習得された後、3人の対話についても説明しましょう。一つ一つ、ですね。最近私は人間が人生を完成させるためには、自分を知ること、人を知ること、そして自然を知ることが大事だと思っています。この知るというのは最終的には大きな存在に触れる、ということです」

藤田さん「大きな存在・・・」

急に雲の動きが速くなってきた。風も吹いてきた。

話が一段落してから伸二は畑のあちらこちらで大きく成長している紫蘇を指さし、言った。

「あそこにこんもりと緑のかたまりがありますね。紫蘇です。種を播いた記憶が

ないんですが、畑のあちこちに紫蘇のかたまりがあります。種を播いた記憶がありませんから、肥料を与えた記憶もありません。それなのに畑のあちこちで紫蘇は元気に成長しています。本当に逞しい野菜です。他の野菜のように世話をされなくても大丈夫、と言っているようです。紫蘇は雑草に近いのかもしれませんね。

私は紫蘇を見ていると人に関心を持ってもらわなくても育つ、特に世話をしてもらわなくても大丈夫という生き方を見て、人間の生き方を考える上で、教えられることがあります。他の人から関心を特にもたれなくても、助けてもらわなくても生き抜き、そして結果的に人の役に立つ、という生き方です。紫蘇は大きな自然の中にもある大いなる力によって生かされていることを知っているのではないでしょうか。」

藤田さん「紫蘇を見直しました。そうでありながら、結果的に役に立つ、というのはどういうことでしょうか」

伸二「紫蘇にはβ-カロチン、ビタミンE、ビタミンK、カリウム、カルシウムが豊富に含まれています。また紫蘇の実油にはα-リノレン酸が含まれていて、老化防止に効果があると言われています」

藤田さん「紫蘇は薬味的使われ方をすることがほとんどですので、食べるとしても少量ですね。」

伸二「確かにそうですね。ところが最近わが家では紫蘇を沢山食べていますよ。

餃子の具として使ったり、お刺身の魚を紫蘇で巻いて食べたりしています。なかなかイケますよ」

                *

ある満月の夜、北千住のビルの屋上菜園でトマトと紫蘇が会話をしていた。

トマトは今日の午前に屋上菜園に定植されたが泣きべそをかいていた。

「昨日まで普通の畑にいました。それが今日、このビルの屋上菜園に連れてこられて植えられました。こんなに薄い土で、風が強いところでこれから生きていかなければならないと思うと悲しくなります。元の畑に戻りたい。・・・紫蘇さんは前からここにいるんですね。どうしたらこの屋上菜園で生きていけますか?」

紫蘇は答えた。

「私も最初種で播かれた時は土は薄いし、太陽光で土は熱くなるし、おまけに世話をしてくれる人は週1回しかこないし、生きていけるか正直不安でした。トマトさん、トマトさんは人があれこれと世話をしてくれますが、私たちは殆ど世話をしてもらえません。だから人に依存しないで、できる限り自分の力で生きていく、と決めました。そう思い定めるまでちょっと時間がかかりましたが、覚悟ができました。・・・ところがある日飛んできたモンシロチョウさんがこんなことを教えてくれました。

「紫蘇さんは野菜さんたちが屋上を吹く風で傷めつけられないように、野菜さんたちを守るようにして防風林のように並んでいるんですね」

屋上菜園で以前のように地域の子供たち、家族が来て種を播き、苗を植え、収穫する光景がまた見られるようになってほしい。都会の子供たちは野菜が育つ姿を見る機会が少ない。野菜がそれぞれ成長する姿を見て、何かを感じてほしい。野菜に触れ、ブドウに触れて笑顔一杯の子供たち。

紫蘇はあたかも喜ぶかのように夜風の中でゆっくり揺れている。

                              (了)