「帰り船」

「皆さん 大変ご苦労様でした この船は日本の船です」。戦後の引き揚げ船に乗って多くの日本人が日本に帰ってきた。勿論日本の土を踏むことなく戦地で戦塵に倒れた人も数多くいた。私の子供時代、双葉あき子の「岸壁の母」という歌が流行った。そして「異国の丘」。田端義夫の「帰り船」は外地からの引き揚げ船を歌った歌だ。そして船に乗り込んだ人達に、最初に書いた船内アナスンスが流れたとのことだ。日本に帰る船に乗ることが出来て安堵すると共に、空襲にあった故国のことを考えるといても立ってもいられなかったにちがいない。

「長崎の鐘」「モンテンルパの夜はふけて」のように終戦直後は戦争に敗れた人々の心を癒し、励ます歌が多く歌われた。あれから70年。廃墟になった国土を再建するために日本人はそれこそ必死に働いてきた。大したことは出来なかったが私も精一杯働いてきた。

そして現在、もし「マッサン」の一馬のような若者が日本を見たらどうおもうだろうか。

自分達の死が無駄ではなかった、と果たして思ってくれるだろうか。

国の将来を担う若者を戦争で死なせてはならない。戦争は本当の意味で解決にはならない。

外交の力で戦争を食い止めなければならないと思う。日本は戦後、アメリカの庇護の元に生きてきた。外交もアメリカ依存だったのではないだろうか。

まず外交面で日本が自立すること、国民の生命財産を守るために、政府には賢明で、したたかな外交能力を持ってほしいと切望する。また国民も直情径行に走ることなく、外交の重要性に目を向けていくべきだろう。