「手作り」の価値

よく手作りのお弁当とか手作りのバッグとか「手作り」をアピールした商品を見かける。何か人間味と言うか暖かさを感じる。一方手作りは一つ一つつくるので数に限りがあったり、不揃いだったり、という問題も出てくる。以前回転寿司の店に入ったところ、そこは機械で寿司を握り、その寿司がベルトコンベヤーに乗って回ってくる。回転寿司価格を維持するために人手を減らし、機械化を進めている、ということなのだろう。しかし客の立場としては目の前に来た寿司を取って食べるだけでまるで作業のようだ。味も普通以下でその店には二度と行かなかった。最近行った他の回転寿司の店では注文はタッチパネル式で画面を見て注文した。家内と一緒だったが、「味は今一」で、また行こうとは思えなかった。余りに価格重視で、ちょっと味を犠牲にしているような感じもした。

手作りから離れて機械化に向う。何が問題なのだろうか。

農業の場合、手作りは小規模の有機農業で、機械化は大規模農業、ということになるだろうか。回転寿司のケースから思わされるのは全てを機械化していくという思想ではなく、本当に手作りが必要な部分は何か、をそれぞれの仕事・業種毎に特定してそれ以外の作業工程は機械化する。つまり手作りと機械化のハイブリッという思想が有機農業についてもこれからは求められるのではないか。そんなことを思っていたある日、近くの回転寿司に行った。そこは寿司職人にその場で欲しいものを注文できる。見てる前で握ってくれる。一方ベルトコンベヤーの上を流れてくるものをピックアップすることもできる。これは一種のハイブリットだろう。少し高めだが味もいい。ということで回転寿司に行く時には「やっぱりH寿司だね」と言うことになった。

有機農業の手作りの良さ、いや正確に言うなら手作りを本当にしなければならないところは徹底的にこだわり、それ以外のところは機械化、システム制御、IOT化することを考える。そんな思想が必要ではないか。