「日本的」ビジネスモデルのDNAは何か

私が「日本的」に注目したのには3つのキッカケがある。最初は千代田区立図書館で由利公正の文献を読んだ時、由利の福井藩内の産業振興策は、実は非常に優れたビジネスモデルではないかと思った。由利は財政危機に瀕していた福井藩をヨーロッパに生糸を輸出することによって救った。師である横井小楠の理論的バックアップがあったが、藩内の産業振興と輸出をリンクさせるというビジネスモデルをつくり上げ、実践し、成功させたのは由利だ。2つ目は富山の「置き薬」。これも非常に優れたビジネスモデルで、現在でも置き薬の「顧客データ管理と課金システム」は多方面で活用されている。そして3つ目は磯田道史氏の「無私の日本人」の中の「穀田屋十三郎」仙台藩に金を献上し、毎年利足金を藩から取り、吉岡宿を救ったという当時の社会では考えられないビジネスモデルだった。

江戸時代の人々が理論的なことはともかく、命がけで問題を解決しようと、心血を注いでつくりあげた仕組みに、私は日本的ビジネスモデルのDNAを見る。