「普通人」として生きる(その1)

今日は友人と昼食を一緒に食べながら、人生のライフサイクルの最後に入っているもの同士、人生論的なおしゃべりをした。話のキッカケは以前NHKの「つるべの家族に乾杯」でつるべの質問、「将来何になりたい」に対して男の子が「平凡な人生」と答えたことだった。私も友人もその同じ番組を見ていた。

Tさん「男の子が『平凡な人生』と言うのは残念だな。やはり将来に夢を持って頑張ってほしいね。」

阿部「子供って『野球選手になりたい』とか『サッカーの選手になりたい』とか普通言うよね。今NHKの朝のドラマ「まれ」の主人公の女の子はお父さんの夢を追いかけ、失敗続きの人生を見て、「夢は持たない」をモットーにしている。平凡な人生を望んだ男の子には何かそう言わざるを得ない事情があったのかもしれないね、おそらく」

Tさん「オレも会社に入ってからは偉くなって高給取りになりたいと思って頑張ってきたが、結局課長どまりで定年退職だった」

阿部「夢があるからこそ頑張れたんだろう。でも夢は実現しなかった?」

Tさん「頑張っていたことはいたが、ある時期に自分というものが分ってきた。身の程というのかな。ああ、自分はもうこれ以上は上がれないな、と。その時だよ、自分を見つめなおすということをやってみたのは」

阿部「それでどうなった?」

Tさん「自分を見つめていたら、自分を大切にしてこなかったと気がついた。今のままの自分ではダメなんだといつも自己否定していた。だけど自分はやっぱり自分なんだ。他の人間にはなりようがない。勿論自分を高めていく努力は死ぬまでしなければいけないことは分っている。」

阿部「同感だね。『平凡な人生』というのは自分らしく、普通に生きる、というように考えたらいいんじゃないか」

Tさんは食後に運ばれてきたコーヒーを飲みながら、暫く考え込んでいた。

阿部「どうかした?」

Tさん「普通に生きる、ということで親爺とお袋のことを思い出したんだ。二人とも平凡で普通の人生だった・・・」