「普通人」として生きる(その2)

阿部「普通人として生きるというのは簡単なことではないと思うよ。そして日本人は普通人として生きることに高い価値観を持っている。それをぼくが感じたのは磯田道史氏の「無私の日本人」の中の登場人物の生き方からだ。有名になることを望まない、自分だけがいい目を見ることを考えない人達がそこにいる。穀田屋十三郎、中根東里、太田垣蓮月。普通人は世の中は助けられたり、助けたりの世界だということを頭ではなく心で知っている。」

Tさん「無私の精神か・・・。そんなことを今迄の人生で考えたこと、無かったかもしれない。自分はどこかで親爺のことを馬鹿にしていたかもしれないな。工場勤務でただただ真面目だけがとりえの人だった。あんな平凡な人生は、自分は御免だと心の底で思っていたんだ。だけど、考えてみると高卒で安い給料だったと思うが、親爺は俺を大学迄出してくれた。大変だったと今更に思う。何の贅沢もしない人で趣味と言えば畑仕事と将棋くらいだった。だけど葬式の時はびっくりするくらい大勢の人が来てくれた」

阿部「そういう親爺さんだったんだね。それぞれに人生のストーリーがあり、ドラマがあるんだよ。人には滅多に見せないけど」

Tさん「親爺は突然亡くなった。朝大きな鼾をかいていたが、脳溢血だった。そのまま逝ってしまった。親爺の人生の物語を聞きたかったな。もっとも話してはくれなかっただろうが・・・」

阿部「普通人としての人生を完成する。それがぼくの最新の目標だ。そう思えてやっと自分の人生が落ち着いてきた。今迄何かバタバタ生きてきたように思うよ。一日一日を丁寧に生きるということかな。」

Tさん「何か親爺に申し訳ない気持ちになってきたよ。今晩仕事が終ったら一杯付き合ってくれないか。親爺のことを偲びたいんだ」

阿部「いいよ、付き合うよ」