「男振」・コンプレックスを生きる力に

カッコいい男。男が男に惚れる。私もあんな男になりたいと思わせるような男。見た感じだけでなく、生き様がそのような男。その生き様がオーラになって周囲を変えるような男。男振りがいい、とはそのような男性のことを言うのだろう。最近はそんな大人の男性が少なくなってきているようだ。いやいるところにはいるのかもしれない。因みに男という字を分解すると田の力。確かに田圃で力仕事に励むイメージが男性にはある。男振、というやや懐かしい言葉に出会ったのは、まさに偶然だった。13日の日曜日、原宿に行く電車の窓の手すりのところに一冊の文庫本があった。誰かが忘れていったのだろう。手にとってみると池波正太郎の小説、男振だった。池波さんの本はあらかた読んだが、この題名の本は知らなかった。いつものように、解説を読み、最後のページを読み、最初のページに戻った。この本の主人公、堀源太郎は越後筒井藩の藩主の血を分けた子だが、結局藩を継ぐことなく一介の市井人(大工の棟梁)として数奇な人生を歩む。15歳の時、突然頭が禿げてしまい、そこから悲劇が始まる。そしてその悲劇が源太郎の人生を狂わすのだが、その悲劇を乗り越えていく源太郎の決然とした思いが感動的だ。人がどのように自分のコンプレックス、運命を乗り越えて、自分の人生というものを創り上げていくか。これは私たちにとっても普遍的テーマでもある。日曜日の電車の中で読み、昨日読み終えた。429ページのちょっと厚めの本だが、さすが池波さん、一気に読ませる文章だ。

源太郎の思いがある。

「私は若くしてこのような奇病に取り憑かれがために、人からさげすまれ、嘲笑われもしたが・・・なれど、また、このような奇病にかかった私を、あわれんでくれる人びとの助けによって、これまで生き抜くことができた・・・」

源太郎にとって大きな転機になったのはモノをつくる職人の仕事振りであった。偶然のきっかけで読んだ池波さんの本だったが、読んだ後の爽快感は格別だった。こんな結末があるんだな。仕事振り、男振り。振りという言葉の江戸的意味合いもこれを機会に考えてみたい。そして源太郎の妻になったお順の人に対する見方も自分の心のどこかに留めておきたい。お順がいたからこそ、源太郎の男振りなのだ。