「男振」続き 父親の姿

事件をしでかした息子、源太郎に対する父親源右衛門の姿、言葉が私の心に残っている。少しも息子を責めることなく、先を見据えている姿が印象的だ。若殿の千代之助の頭を叩くという狼藉を働いて、源右衛門の元に戻ってきた時、父親はこういった。

「・・・ようやったぞ」

「ようやった。大名の世子たるものが、おのが家来の容貌を辱めるなどどは、もってのほかのことじゃ」

「お前の、してのけたことは間違うてはおらぬ。いかに主といえども、ゆるせることとゆるせぬことがある。そもそも武士というものの骨張はそこにあるのだ。(略)お前が若殿を打ちすえたときのことを耳にしたとき、父は、この家を取りつぶされてもよい。切腹を命じられても本望とおもうたのじゃ」

またかつての結婚相手の妙から会いたいとの申し入れがあり、会ったが、自分の頭を見て妙が吹きだすように笑ったことに源太郎が激発し、大刀を抜いて追いかけ、通りかかった宮武合太夫に捕まった。

評定所から家に戻された源太郎に父の源右衛門はこういった。

「こうして、父子ふたり、生きていこうではないか。行先のことは少しも考えぬことにしよう。そして、いざ、死ぬるときが来たならば、共に死のう。父が、この手にかけてくれてもよいぞ」

「世の中の人びとは、みな、おもいようによっては、座敷牢の中に閉じ込められているようなものじゃ。その、お前が入っている三坪の内のほうが、むしろ自由自在といえるやもしれぬ」

「書物を読め。昼寝をいたすがよい。好きな物が食べたければ、遠慮なく申せ」

長い引用になったが、源右衛門は不祥事を起こした息子を一言も責めることがない。そしてこれからの厳しいであろう人生を一緒に生きていこう、と息子を諭し、励ます。源右衛門は武士の本分と覚悟を弁えている。そして連帯責任でがんじがらめになり、自由を失った人々と対照的に「自由」を手にいれた息子に新しい生き方を与えようとしている。

私は「男振」を読んで一番心に残り、残り続けているのは父親の源右衛門の思いと言葉だ。

源太郎が大いなる男、「男振」になることができたのはこの父親あってのことだ。この父親像を描く、池波正太郎さんの人間観の深さに改めて頭が下がる思いだ。