「臨床宗教家」の時代 岡部 健さんと Café de Monkの活動

 

NHKの「こころの時代」で岡部さんの活動が紹介されていた。岡部さんは東北大学の医

師として臨床宗教家という活動を提唱し、その研修会が東北大学で行なわれている。岡部

さんが昨年亡くなった後、志を継いだ通大寺住職金田諦應さんたちが東日本大震災で被災

された人々を対象に活動を実践している。臨床宗教家は、自分達の教団、教派の教義を相

手に「押し付ける」のではなく、中立的立場で相手の話に耳を傾け、悩み、苦しみ、悲し

みを共有する。こころとこころを繋げ、重ね合わせていく。例えば、研修会で、あるお坊

さんが金田さんにどのように答えたら良いのか質問した。大震災で亡くなった子供の夢を

見るという被災者からの質問を受けた。親はそれで子供が成仏したのか、あるいはできて

いないのかと、心を痛めている。従来のお坊さんの対応では、教義に基づき二者択一的に

答えを返す。お坊さんはそれで役目を果たしたような意識を持つ。しかし、金田さんはそ

れでは本当の役目を果たしたことにはならないと考える。金田さんは宗教とは暗闇の中を、

死と向き合い、悩み、苦しみ、悲しみの渦巻く中を、人間の計らい、人間の思いを超えた

存在を信じて、生きていくことだと考えている。人に寄り添い、傾聴する姿勢が印象的だ。

私自身神を信じる者として、キリスト教徒として、やはり同じような問題を抱えてきた。

伝道ということで人々にキリスト教、特にプロテスタントの教えを伝えてきた。しかしあ

る時期、有る事から問題というか、限界を感じるようになった。それからというもの、

伝道はしないようになった。生きる現場、働く現場で、私も問題を抱え、悩み、苦しむ中

で、教義の色眼鏡ではなく私なりに神様の存在と愛を信じつつ、生きることの真実に向き

合おうとする意識に変わっていった。涙を浮かべつつ、そしてこらえつつ、東日本大震災

の被災者の話をするお坊さん、北村時秀さんの表情が胸を打つ。北村さんは月命日の11

日に、亡くなった方の供養と今そこに住んでいる人々の安心のために行脚を続けている。

お坊さんの生と死を語り合う会、傾聴移動喫茶Café de  Monk。生と死の現場でこそ、

今迄学んできたこと、経験し、考えたことが生きる、そして厳しいことだが本物かどうか

試される。現場の中で新たな気付き、その時点でのベストの解決、課題が見えてくる。私

達は時代の大きな現場の中で生きている。この現場感を持つことがまずスタートになるの

ではないだろうか。