「誰の責任かと何が問題なのか」の大きな違い

私達はよく「済みませんでした」と言う。本来詫びる気持ちから出てくる言葉なのだろうが、最近の傾向としてちょっと使いすぎるのではないかと思う時がある。特に接客業の場合はお客様に対して頻繁に使うのではないだろうか。謝ることによって事態を収拾することもあるし、また一区切りつけることもできる。ところで会社が大きな問題を起こした時の記者会見では責任者が「皆様に多大な御心配と御迷惑をお掛けしました。二度とこのようなことがないように・・・」と文字通り、紋きり型のお詫びをして頭を深く下げる。まるで儀式のようだ。責任者がお詫びしているのだからこれで勘弁して頂きたい、これで幕引きさせて頂きたいという気持ちが透けて見えるようだ。

私達は問題、トラブル、大きなミス、事故が起きると何が問題だったのか、よりも誰の責任か、その責任は自分に波及してこないかと瞬間的、本能的に考える。勿論責任者はいるだろう。しかし一番大事なことは何が問題だったのか、それを考え、解明することだ。例をあげれば福島の原発事故だ。「東電が元凶だ」と言って東電を犯人にしてそれで終りでは、第二、第三の原発事故の発生は避けられない。本当は何が問題だったのか、問題の本質と全体像を私達は見出さなければならないはずだ。私達の仕事の場合でも、何か問題とかミスが発生した時責任者探しをまずするのではなく、何が原因なのか、事実関係の全体的解明が求められる。それを優先事項にしなければならない。そのような社内風土をつくるのも経営者の大事な仕事だろう。