「21世紀の資本論」の著者ピケディのインタビュー記事に寄せて

今朝の日本経済朝刊にトマ・ピケティ氏へのインタビューが載っていた。「21世紀の資本論」は以前経済雑誌で紹介されていたので、関心を持って読んだ記憶がある。ピケティ氏は「過去200年の成長と富の歴史を見ると、資本の収益は一国の成長率を上回る。労働収入より資産からの収入が伸びる状況だ。」「歴史的に高成長は他の国に追いつこうとしているときか、日本や欧州のように戦後の再建時にしか起きない」この記事を読んで思うことがあった。私がサラリーマン生活を始めた時、日本の高度経済成長が始まっていた。当時はサラリーマンは一定の年齢になったら結婚し、できるだけ早い内にマイホームを持つことが当り前だった。ご多分に漏れず私も結婚して2年後、現在の場所にマイホームを建てた。家を建てるには多大な費用がかかるが、自分の家を建てるにはある程度無理をしなければできない、という覚悟で決断し、建てた。新しい家に住むために照明器具などの電気製品を買いに秋葉原に行ったがその時は少なくなっていた手持ち現金を使い切って購入した。会社の住宅融資制度も利用したので、毎月給料から天引きされた。結婚し、家を持って何とか一人前の大人になったような気がした。生活はかなり厳しかったので、手持ち資金で、株とか土地を買って収入を得るということは難しかった。当時の気持ちとしては一生懸命働けば、それなりの、生活には困らない収入が入ってくると素朴に信じていた節がある。高度経済成長は永遠とまでは言わないが、ずっと続くものだと思っていた。ピケティ氏の説によればアメリカに追いつこうとしていた時代だったし、社内でも熱気があった。毎晩11時頃まで仕事をしていた。コンピュータの無い時代だった。入社した頃は全てが手作業だった。さて話は変るが、日本の大企業の中には過去の蓄積を利用して本業以外の不動産の賃貸で収入を挙げているところが少なくない。毎月安定的に家賃として収入があるので、経営の安定化には役に立つだろうが、生産性向上のための設備更新、イノベーションのための開発費が、賃貸物件の購入に回されるとしたら、本業に少なからぬ影響が出てくるのではないか。労働収入より資産からの収入が伸びる状況というのは健全ではないのではないか。資産収入より労働からの収入が伸びるというのが本来のあり方ではないだろうか。