お花見に思うこと
今日は北千住ルミネの屋上菜園での作業を終えて、御徒町に出て、屋上芝生緑化の施工後2週間後の状態をチェックした。芝生の緑が段々濃くなってきている。順調だ。ということで今日の仕事は早めに終えて、Mさんと一緒に満開の桜を見るために上野公園に行き、お花見をすることにした。途中のコンビニで缶ビールとブラックニッカクリアの小瓶、それにツマミを買った。上野公園に近づくにつれて急に道路一杯の人混みとなる。お花見から帰ってくる人達とこれからお花見に行く人達。2筋の大きな川の流れが飛沫を上げながらぶつかり合うような感じだ。道路を渡り不忍池側から公園に入る。混雑している。このあたりは桜の木は少ないがシートを敷いてお花見をしている人達があちらこちらに見える。私とMさんは不忍池に架かる橋のところを横切り、池沿いに先に行く。丁度枝ぶりのいい大きな桜の木が見つかったので、まだ空いているところに腰を下ろした。不忍池の中央にある御堂が池の彼方に見える。池には枯れた蓮の茎が数え切れないほど立っている。ビールを飲みながら、江戸時代、不忍池の辺にあった食べ物屋は蓮飯を名物としていたことなどを思い出していた。ひょっとしたら自分達が座ってビールを飲んでいる場所にも飯屋があったかもしれない。次から次へと桜の花の下にやってきて写真を撮っている人達がいる。中国人また外国人も多い。ビールの後はウヰスキー。小さな紙コップの少し注いで、嘗めるようにして味わう。
2人で「マッサン」についての感想を述べ合う。やはり人生は出会い。吹いてきた風。花が散り始めている。金色の陽の光の中を、吹雪にように舞いながら池の表に桜が落ちていく。溢れるように重たげに沢山の花をつけ、そして見上げる人々の感嘆の声を聞いた後、桜は散り始め、花の直ぐ側から新緑の柔らかな若葉を伸ばす。冬迄の間に蓄えた養分を、エネルギーを全て花に変えて、春の青空を桜色に染める。私達は桜の何を見ているのだろうか。肉体労働の疲れ、少々のアルコール。穏やかな暖かい日差し。いつの間にか眠くなり15分ぐらいだろうか、ウトウトとした。邯鄲の夢を見たわけではないが、何か人生の夢を見ていたようだ。暫く2人で昭和のナツメロをI-Padの音量を最大にしてユーチューブで聞いた。歌にまつわる思い出。最後に一句。
桜散る 昭和は遠く なりにけり(宵処)