しぶとい生きかた・安心立命

「失敗していても、負けていても幸せはある」「幸せでなくても喜びはある」「喜びがなくても意味を知ることができる」「絶望と思える時でも自分を知ることができる」

私たちは時に、逆説的な発想をする必要があるのかもしれない。そんな思いを籠めて上記の4つの言葉を挙げてみた。どんな状況にあっても、その状況に対して「イエス」と言うのは簡単ではないが、可能性は常に残されている。

人生は単純ではない。私たちが思っている以上に複雑なのだ。少なくとも人生を諦める権利は私たちの方にはない。それをある人は「しぶとい生き方」と呼んだ。

私たちは未来を輝かしいものとして夢想する。そして過去については否定的思いを抱く傾向がある。しかし、それは喩えていえば、稲を刈った後の切り株を見ていることなのかもしれない。刈り取った稲は脱穀されて倉庫に保管されている。多くの人は過去の人生倉庫にある米を見出だすことができない。それはなぜだろうか。禅問答ではないが、なぜそれができないのか、どうしたら見つけ出すことができるのか、最近考えさせられている。その納得できる回答が分れば、私なりに「安心立命」ができるかもしれない。