やる気が出てきた証拠とは・私の場合

 

大器晩成という言葉がある。もともとの意味は大きな器は容易に完成しないように、大人物も完成するまでは相当の期間を要するという意味だが、一方で発達が遅い、ということでもある。ところでここでは器の大きさよりも、晩成というところに注目したい。さて人生において完成とはどのようなことを意味するのだろうか。また人生に完成、ということは何を持って言うのだろうか。殆どの人は完成する前に、途中で向こうの世界に移っていくのではないだろうか。遺された者はその遺志を継ぐということになる。さて私自身60代の後半になってごく最近のことだが、自分でもある日気がついたようなことだが、自分自身2つほど心境の変化が起きている。一つは今迄気が進まず放っておいたこと、後回しにしていたことをすぐにサッとやれるようになってきた。面倒臭いな、という気持が無くなっている。もう一つは真実を求めよう、そこに行くための努力をしたいという気持が俄然強くなってきたことである。以上と関連するかもしれないが、本の読み方も変ってきた。少しは行間を読めるようになってきた。面倒臭がらない、真実に迫ろうという気持になってから、そしてこれが大事なことなのかもしれないが、自分のことを余り考えなくなってから、やる気が、本当のやる気が出てきた。自分なりに真実が見えてきた時、人は完成に一歩近づくのではないだろうか。真実を見る時、人は真の人間になるのかもしれないとスイスの人格心理学者は言っている。どうしたら真実に迫ることができるのだろうか。私は私の内なる声に耳を傾けたい。随分長いこと、内なる声を忘れていた。今年は私なりに小さな実ではあるが実を結ぶ年にしたい。やっと本当のやる気が出てきた。これで自分も少しは使いモノになるだろう。