ギリシャの今後

ギリシャには29歳の頃だが、1回行ったことがある。ハンガリーのブダペストから飛行機でアテネに向った。3月だった。まだハンガリーは冬の寒さの中にいたが、私は春を待ちきれず、アテネにハンガリーのマレーブ航空で向った。アテネには春が来ていた。アーモンドの花が咲いていた。日本の桃に似た花だ。安宿のアルビヨンホテルに約1週間宿泊し、毎朝パルテノンに上った。またパウロがキリストの福音を伝えたアレオパゴスにも行った。・・・あれから40年。それでも昨日のように思い出すことができるのは不思議だ。

憲法制定広場のベンチに座り、オレンジのたわわに色づいているのを見ながら、私は旅行カバンの中に入れておいた森有正の「バビロンの流れのほとりにて」の森のギリシャ旅行のところを読んだ。アガメムノンの宮殿を見学した時の入場券の半券がそのページに挟んである。10ドラクマだ。歳月は流れ、ギリシャはユーロ圏に加盟し、通貨はドラクマからユーロに変った。現在ではユーロはドイツの一人勝ちという形になっていると言われている。ドイツマルク時代は輸出が増えればドイツマルク高になって輸出にブレーキがかかったが(現在の日本と同じように)、ギリシャ、スペインのような国があるお陰で全体としてユーロの足を引っ張り、ユーロ高にならないような構造になっている。まさに「ユーロマジック」だ。ドイツはドイツの銀行がギリシャ国債などを大量に持っていたため、銀行を守るため政府が肩代わりした。

ある新聞ではギリシャは慢性の糖尿病患者のよう者で直らない、つまりいつまで経っても借金を返せない。借金を棒引きしてもまた借金を繰り返すことになる。ユーロ諸国がギリシャをユーロに加盟させる時、どのような判断があったのだろうか。ドイツ、フランスを中心としたユーロ諸国にとっても、ギリシャにとっても何とも言えない駆け引きが続くことになるだろう。