シニアの生き方・ミャンマーの上原さん

テレビで「こんなところに日本人」という番組を見ていたら、ミャンマーのピィーというところに住んでいる日本人男性を紹介していた。なぜこの70歳の男性が一人で首都ラングーンから離れた地方都市にいるのか。人にはそれぞれの人生ストーリーがある。その方の名前は上原さん。河畔で日本食のレストラン「横浜」を経営しているが、店のものからは「先生」と呼ばれている。上原さんは地元の人々のために日本語を教えている。日本語学習のテキストを日本から取り寄せ、独学で日本語の教え方を習得されたのだろう。無料で教えている。教え子の中から巣立っていって活躍している人達がいる。上原さんはスーパーでアパレル関係の仕事をした後、独立し、バブル時代には5つの店が経営するまでになったが、バブルがはじけ、会社をたたんだ。その後奥様を亡くされ、海外を旅行されている時にミャンマーを訪問し、気に入ってピィーに来て、そこで仕事をし、生活するようになったとのことだ。

長い人生経験を経て、いろいろなことがあったが、今は外国の地方都市で、食堂を経営しながらミャンマーの若い人達に無料で日本語を教えている。日本語を教える教室にはエアコンが入っている。日本語の生徒達は上原さんを尊敬している。上原さんはミャンマーに住むだけでなく、現地の人々の心に中にも住んでいるようだ。

海外のリゾート地でマンションを買って老後を楽しむ生き方とはどこか違う。

上原さんの住まいと店の前を大河が流れている。上原さんはきっとこの河を毎日眺めていることだろう。