シニアの生き甲斐・「まだ夜は長い」

「オール読物」11月号で乙川優三郎氏が「まだ夜は長い」を書いている。乙川氏の時代小説は殆ど読んでいるが、現代物は初めて読む。題の解説は「老境の男には趣味を持つ旧友や妻が眩しく映る」。自分の境遇と重なるところもあるので、「これは人事ではないな」と距離感を感じずに読むことができた。主人公の角田邦昭は2年前に商社を定年退職し、新しい生き甲斐を探しているがまだ見つかっていない。これからの人生に対する焦りと言い様のない不安の中にいる。3人との会話が書かれている。高校の旧友の木村道夫。銀座の小さな画廊で開催されている彼に絵の個展に足を運び、木村と久振りに話す。邦昭は木村のことを羨ましく思う。「木村はうまくやったな。何かを持っている人間の常で、老けても弱弱しさがなかった」。2人目は奥さんの裕子との会話。彼女は活動的で一日を忙しく過ごしている。邦昭は「愉しみを持っている妻に嫉妬すら覚えた」。最後の3人目はバー「ミモザ」の中年のバーテンダーとの会話。この会話は秀逸だ。「時給五百円で働いたことがありますか、どんなに働いても五百円です、そういうときの人間は二つに分かれます。五百円にしかならないと分かっていても精一杯働く奴と、手を抜いて時間を潰す奴です。結果は同じでしょうか」。五百円しかならないと手を抜いて時間を潰し、結局は五百円以下の人生しか送れない、そのような人生を自分は送っているのではないかと邦昭は、酔いの混濁の中でどうしようもない喪失感に打ちのめされる。「これからどうすればいいのか答えが見つからない」。邦昭の途方に暮れた心境は、価値観の転換が無ければいつまでも続きそうだ。