シンガポールについて思うこと

30代にマレーシアのクアラルンプールに駐在していた。都合8年間の駐在員勤務となった。家族と一緒に生活だった。ということで、家族で、また仕事で度々シンガポールに行くことがあった。クアラルンプールから飛行機で約45分、直ぐに行くことのできる隣国だった。シンガポールに家族で行く時はオーチャード・ロードから少し入ったところにある中クラスのホテルにいつも泊まっていた。クアラルンプールの仕事上の友人が紹介してくれたホテルだった。家内も子供達もシンガポールに行くのを楽しみにしていた。ニュートンサーカスの屋台で飲茶を楽しんだり、シンガポール伊勢丹、デパートのC・K・TAN、イタリアンレストランのあるイタリアロードに足を伸ばしたりした。当時の首相はリー・クアン・ユー氏。同氏はシンガポール建国の父であり、類稀なリーダーでもあり、シンガポールを繁栄国家に育て上げていた。私が駐在していたマレーシアでは当時のマハティール首相が「ルックイーストポリシー」をスローガンに日本の高度成長に学ぶ政策を推進していたが、リー首相は独自の、小国が生き残るために、もっと先を見た国づくりを構想していたようだ。それが今日のグローバル時代の金融国家だった、ということだろう。

3月24日の日本経済新聞朝刊によれば、3年前、リー首相はインタビューをした日本経済新聞の記者にこのように聞いたとのことだ。「日本はアジアにどのような価値を提供する国になるのですか」と。重い宿題だ。

あれから30年、シンガポールも随分変わっていることだろう。昔のイメージを壊したくないという個人的思いもあり、行ってみたいような、行ってみたくないような、ちょっと複雑な気持ちでいる。

しかし、やはり行ってみなければ、区切りがつかないのかもしれない。