トカトントン

太宰治の短編「トカトントン」は私にとっては何かしている時に、正確に言うならば何かに打ち込もうとしている時に、なぜか思い出される、印象深い小説である。

青森出身の26歳の主人公は、軍隊で、故郷の田舎の郵便局で幻聴のような金槌で打つ音、トカトントンを聞く。何か物事に感激し、奮い立とうとする時、どこからともなくトカトントンという音が聞こえてくると全てが白けてしまって、馬鹿らしくなる、という奇妙な体験を繰り返す。それが益々頻繁に激しくなる。主人公は言う。

「いったい、あの音はなんでしょう。虚無などと簡単にかたづけられそうもないんです。あのトカトントンの幻聴は、虚無さえ打ちこわしてしまうのです」

私自身もそれに近い経験をしてきた。何かに情熱を持って打ち込んで、今度こそ本気になってやってみると思い始め、それに具体的に取り掛かろうとすると、なぜか急に冷めてしまい、それに何の意味があるのかと思い、倦怠感が襲ってくる、という始末になる。なぜ自分はそうなのか。悩み続けた。同じような経験をしている人を私は一人知っている。その人の本を通じてだが。

私の人生はこのトカトントンとの戦いという面を持っていた。それでも幻聴を聞きながらも、やっと冷めても白けないで続けることができることを見つけることができた。なぜ見つけることができたのか。それを一言で説明することはできない。まだ自分自身も良く分っていないことだからでもある。ただ一つ言えることは「自分にはこれしかできない」ということが骨身に沁みて分かったからかもしれない。深い諦観と裏腹の発見でもあった。