ビジネスモデルと「里山」資本主義

 

現在日本は世界に例を見ない高齢化とグローバル化の荒波に揺さぶられている。日本の将来に対して悲観的な見方も多い。そこで改めて私が考えたいのは、日本という国の差別化要素、もっと有体に言えば、日本を日本人にとっても世界にとっても「希望の国 魔法の国」に変える何かを見つけたい、ということである。それは足元にある、足元を深く掘り下げれば見つかるのではないか、と思っていた矢先、一冊の本が目に留まった。

「2013年世界経済総崩れの年になる!」(高橋乗宣 浜矩子 共著)だ。世界経済が総崩れする中、日本は里山、つまり地域に集積された技術、「埋蔵文化財」を掘り起こし、これからの日本人、世界が必要とする新しいもの、サービスを産み出すことによって切り抜けていくことができる。地域資源を利用する里山資本主義を活性化させていくことが、これからの日本が目指すべき道ではないだろうか、と著者達は言う。里山とは通常都市と自然の間にあって、人が利用してきた(いる)森林、を指すが、人と自然、動物が共存している場とも考えられる。なぜこの本の著者は地域資本主義と言わず、里山資本主義と言うのだろうか、というのがまず私が抱いた素朴な疑問である。里山は薪炭林でもあった。昨年山梨県の南部に行った際、「最近薪ストーブが復活し、薪の注文が増えてきた、ただ価格が安くてね」と土地の人から聞かされた。里山は人が森林に入り、切り開き、森林を整備したり、畑を作ったり、棚田にしたり、あるいは果樹園を作ったりした場所なのだろう。それだけに自然と隣接した特殊な場所なのだと思う。私が里山からイメージすることは山の中腹だ。その意味では資本主義という言葉が山を少し登りすぎているように感じる。やはり地域独自資本主義と定義していただいた方がしっくりする。このような地域独自資本主義はその淵源を縄文時代に持つのかもしれないが、それが完成したのは江戸時代ではなかったかと、私は考えている。日本全国にあった約300藩が十割自治の元、一つの経済圏を持ち、幕府から課せられる経済的負担に耐えながら、生き延びるために地元資源の開発、活用に力を注いできた。この本の提案をキッカケに里山資本主義、地域独自資本主義について更に考えていきたい。ただ一つ、今の段階で言えることはこの里山資本主義、地域独自資本主義の活性化は国民的課題であり、地方の人々だけの仕事ではない、ということだ。少子高齢化時代、若い人達も元気な高齢者も女性も地方、地域に目を向けてほしい。人口の自然なカタチでのシフト、再配置そしてライフスタイルの転換が日本が抱えている問題を解決する原動力になるかもしれない、と思うからだ。