ビジネスモデルは人を育て、鍛える

 

ビジネスモデルをデザインし、実行に移し、成功させる。もとより簡単なことではない。

今回日本型ビジネスモデル事例研究セミナーを6回に亘って行い、あらためて「ビジネスモデルは人を育て、鍛える」との感を強くした。現代と違って、江戸時代は失敗すれば苛酷な運命が待っていた。上杉藩の竹俣当綱は結局幽閉された。早く結果を出したいというのは人情だが、反動も大きい。「速かならんことを欲すれば、即ち達せず」(『論語』)。「なにごとにおいても、急いではならない。功名心などにはやって、事を急げば、必ず不行届きの事態が生じ、結局は目的達成できない」。吉岡宿の穀田十三郎も菅原屋篤平治も命がけであった。今迄誰もやったことのない、藩から金を取られるから取る、という途方もないことを目指した。二人にとっては胃の痛む日々が続いたことだろう。福井藩の財政改革を担った由利公正も苦労した。藩札を領民に信用してもらい、かつ外国に国内に福井藩の産物を輸出するという、いわば離れ業をやってのけたことになる。平戸から福井迄小判道中という奇跡的な成功を見たが、失敗していれば切腹して責任を取るといいことになったはずだ。江戸時代のビジネスモデルデザイナー兼プロモーターはまさに命をかけていた。だからこそいろいろなアイデアが出たとも言えるだろうが、これはカタチを変えた「合戦」だったのだ。江戸時代のビジネスモデルを研究する際にはこの視点を忘れてはならない、と思う。さて現在に生きる私たちはどのような心構えでビジネスモデルに取り組んだら良いのだろうか。