ブレーキとアクセル
7月4日の日本経済新聞「プロムナード」で柚木麻子さんが「ブレーキを外せ」というエッセイを載せている。あるお菓子の開発にかかわる感想だ。エッセイの中で柚木さんは言う。『こんなことを好きと言ってびっくりされないか』『こういうことを考えるのは世界中で自分だけではないか』という自らのブレーキのせいで我々は考えていることの半分も実行に移せない・・・ブレーキを外せ、自分を貫け、人にどう思われても気にするな、人生は短い」
確かにそうだ、と私も思う。ブレーキについては柚木さんが指摘するような自分の考えの独自性あるは特殊性に対する不安と同時に、かつて自分が経験した失敗もブレーキになる。
要するに「また同じ失敗をするのではないか」という不安が耳元で囁く。失敗から学ぶことは大事だ。また失敗から学ぶこともできる。しかし、そこで一番大きな問題になるのは自分の器の大きさ、特徴、それが壁というか、限界意識になる。
失敗経験の一番キツイところはやり方よりもそのやり方を選んだ自分という人間に不信感を持ってしまうことにある。最終的に自分を信じることができない。そのような自分を他の人も最終的には信じてはくれないだろう。
人間は本質的に能動的存在なのだと思う。つまりアクセルを踏んで前進したいと思うものだ。どのようにして本当の意味で自分を信じられるようになるか。私はその道が2つあると思っている。それを私自身検証している最中だ。
自分を信じることが出来た時からその人の本当の人生が始まるのかもしれない。
人生は短い。アクセルを踏みながら同時にブレーキをかけるのは虚しい疲労しか生まない。
人生はアクセルとブレーキの正しい、相応しい踏み方を学ぶ場でもあるのだ。
人生は短く、一回きり。自分を信じることのできる幸せを感じたい。