ブログを書きながら思うこと
私の日課の一つは毎日自分と社会にメッセージを書くことだ。作詞家の阿久 悠氏は「作詞入門」の中で「毎日社会にコール(呼びかける)」ことをすることを勧めている。一方日記などは書かなくてもいい、とも。阿久氏は常に時代と向きあいながら、時代の情念を、あるいは未来から吹いてくるかすかな声を自分の感性と理性で受け止めようとしていたのだろうか。私が書いてる日記は、自分が今日どんなことを感じ、何を思ったのか、そしてどんなことをしたのか、記録しながら、現在進行中の人生の、今の立ち位置を自分に確認させるためである。そして今日はどんな日であったのか。日々是好日、一日一日を大切に、この日を生きよ、という言葉が頭の上で点滅するが、終ってみるとどこか成り行き任せの感がいつもつきまとう。充実した一日を持つというのはそう簡単なことではないのだろう。この思いはシニアの年齢になってから特に頻繁に私の気持の上に、雲のように覆いかぶさってくる。毎日日記を書いているのは、そんな日々の積み重ねの中で、いつか、一瞬でも「人生の青空」が見える、至福の時が来ることをどこかで期待しているのかもしれない。
社会にコールするブログは2本、「野菜奮闘記」と「ビジネスモデル徒然草」だ。「野菜奮闘記」は実際に野菜栽培活動のレポートがメインになっている。屋上菜園と私が利用している朝霞の市民農園での農作業を栽培そのものだけではなく、周辺的なことも書いている。「ビジネスモデル徒然草」は日本的ビジネスモデルを巡って、自分なりの見解、読書体験、ビジネスモデルの種蒔きのようなことを書いている。徒然草には社会的コールの性格も確かにあると思う。今日社会の中で生き、活動していて、自分なりの考え、ただ考えるだけでなく、社会と関る自分の行動ベクトルをつくろうとしているのかもしれない。何分「鮮度重視」で思ったこと、感じたこと、考えたことを短時間で書いているので、「粗く、浅い」という感じは免れない。ということで最近は自分が書いたブログを時々読み直し、考えを深めるように心がけている。それにしても書くという行為は大変だが、半面面白い。今迄見えてなかった何かが見えてくるからだ。立ち止まって書くのではなく、歩きながら書く、からだろう。