モノからコトへ、コトからダイアログ的場へ
私達の意識は目の前の具体的に見えるモノに囚われる。そしてそこで立ち止まってしまう。
しかし、モノが存在するということはそれだけではない。存在しているということは社会
的に存在している、つまり社会的連関の中で存在している、ということだ。社会的連関は
目ではなく、思考の力でしか見ることができない。人はモノに使用価値を求める。例を挙
げて考えてみたい。屋上菜園のモノとは何だろうか。言うまでもなく野菜だ。あるいはハ
ーブだったり、果樹だったりする。従い人は食べて美味しい、健康に良いという使用価値
を認める。そしてそのような使用価値を高めていくことが目的になる。一方社会的連関の
中で考えるということは使用価値だけではなく<意味>を考えるということだ。<意味>
は出来事、つまりふと起こった事柄を産み出す。そこではモノが人と<意味>でふとつな
がっていく。この<ふと>という部分が大事だ。最近の言葉でいうと<創発>。モノと人
が<意味>でつながり、そこに<創発>が加わると<場>ができる。<場>の中でモノと
人、人と人との対話、つまりダイアログが継続的に行なわれるようになる。ダイアログの
重なりの中で、<意味>が常に新しくされ、モノ使用価値に<意味>が付加される。
経済が価格と価値の世界とするならば、場は<意味>の世界となる。そして<意味>が個々
のものの価値を高めていく。この循環も大事だ。屋上菜園を<場>として、<意味の体系
>としてデザインすること、今、それが求められているのではないだろうか。