ユーモアのセンス・まずは駄洒落から
私の仕事上のお付き合いで、ある会社の会長さんがおられる。ライフワークに身銭を切って取り組んでいる。日本の文化を守り、継承していくためにとても貴重な活動をされていると私自身とても尊敬している方だ。会長と立ち話をしていた時、突然こう言われた。「これからは駄洒落の会をつくりたい」。
駄洒落の駄にはくだらないという含意があるのだろうが、たかが駄洒落、されど駄洒落である。
「あの医者が外科? 内科じゃないか」も駄洒落だが、こんな駄洒落もある。
秀吉がある時、主君信長の陪食を仰せつかった時に、運ばれてきた膳部に箸が一本しかなかった。主君の額に青筋が立ちかけた時、秀吉はこんな駄洒落を言って場を治め、処罰者を出さなかった。
「これは吉兆でございます。一本の箸、すなわち片箸は、殿がこれから片っ端から天下をとってゆかれることの予兆でございます」片箸を片っ端にもっていった駄洒落だ。
私も野菜講習会の時、駄洒落をしばしば使う。
「腐葉土を作る時には欅、桜などの落葉を使います。一年後には使えます。しかしイチョウの落葉は発酵分解する迄2年以上かかるので、胃腸障害になります」
「野菜を有機栽培するというのは手間がかかり病害虫対策も大変です。有機栽培には勇気が求められます」
立ち話の会長さんに早速会員になりたいとお伝えした。
「幽霊ではなくて、足のある会員になります」と。
「地に足の着いた活動をしていきましょう」会長の言葉だった。