リーダー待望と新しいリーダー像

組織の大小は別にしてリーダーになるということは大変なことだ。リーダーの役割はどこに向うのか、目標を明確にして、さまざまな問題、予期せぬ障害を乗り越えて集団を率いていくとところにある。現在の北米インディアン、南米インディアンはアジア大陸にいた人々がベーリング海峡を渡って現在のアラスカから、北米アメリカ、南米アメリカに下って、そして広がって行ったと言われている。数千キロに及ぶ旅路を導いたモチベーションは一体何だったのだろうか。この人々の中には「Braveman」(勇敢な戦士)と呼ばれる人々がいた。何が待ち受けているか分からない未踏の地に道をつけ、人々を目標に向って安全に歩かせる役割を持っていた。氷に閉ざされていたアジアからアラスカへの道は困難を極めたことであろう。イスラエル民族をエジプトから脱出させるために海を分けて進ませ、追ってきたエジプトの軍隊を海に沈ませたモーセには神の偉大な力があったが、「Braveman」達は自力で進んでいった。その中には命を落とした者もいたことだろう。

さて最近聞くことだが、若い人達の間でリーダーになりたがらない人が増えているらしい。リーダーには責任が伴うこと、あるいはリーダーになること、リーダーであることのメリットが感じられないなどがその理由のようだ。分るような気がする。

リーダーの条件とは役割について書かれた本を読むと、そこには理想的なリーダー像が描かれていて、一部であれば自分にもあるかもしれない、できるかもしれないと思うが、全ての条件を満たしたリーダーにはとてもなれない、欠点の多い自分にはリーダーの役割はとても果たせないと思わざるをえない。

これからの時代、リーダー像にも大きな転換が求められているように思う。複雑で不透明な時代になっている。先が見えない。どこにどんなリスクが潜んでいるか、分からない。

不安な時代でもある。その意味でこれからのリーダー像を考える上での1つのポイントに触れてみたい。他にもまだポイントはあると思うが一番大事なポイントは以下ではないか。

 

ベストシナリオにこだわりすぎない。ベストシナリオを一つに絞らず、必ずいくつかの選択肢を用意し、状況変化の中でシナリオを修正、発展させていく。

「これがベストシナリオだ」と決めてかかってメンバーを「オレについてこい」という形で従わせるのではなく、複数の選択肢をメンバーと一緒に考え、状況変化を観察する視点も複数持ってメンバーと共有していくリーダーシップが求められているのではないか。そうでないと修正した場合「ブレている」と批判を受けることになるだろう。ベストシナリオ主義は独走、独裁を産み出しかねない。メンバーの多様性を重んじるという意味では非ベストシナリオ主義は「民主的」とも言える。それは同時に効率、スピードから本当の意味での効果・成果、本当の意味での一体感への発想の転換でもある。効率一辺倒ではいずれ壁にぶつかる。スピード重視ではいずれ躓く。

効率重視から価値重視の時代に変ってきている。リーダー像も変っていかざるを得ない。