世界に目を向ける

ソチの冬季オリンピックの入場式を見ながら、今さらながら世界には多くの国があり、多種の民族、多様な文化があることを思わされる。私達は毎日の生活、仕事に向き合っているといつの間にか視野が狭くなり、世界を忘れてしまう。海外で仕事をしている方達は私などと違い、毎日世界を意識していることだろう。私も若い時ハンガリーそしてマレーシアで生活し、仕事をした時、異文化の中で学こと、経験することが多々あったが、その中で一番大きかったことは、外国人が日本人に対して持っているイメージがどのようにして形成されたのか、その事情の一片に触れることができた、ということである。ある程度信頼関係が生まれるまでは、あたりさわりのない会話で終始するが、親しくなってくると率直な話をしてくれるようになる。マレーシアで仕事をしていた時、会社の女性スタッフから「日本人は本当は嫌いだ。私のおじいさんは日本軍の殺された」。電力庁で働いていたインド人スタッフサイド・ムニールさんに招待されてご家庭に伺った時、自分の兄が日本に勉学に行き、病に倒れた時、日本人の家族が看病してくれ、亡くなった後は家族が墓迄立てて墓参りをしてくれている、という話を聞いた。後にこの話は確か福岡のテレビ局で「波濤を越えて」と題されてドキュメンタリーに編集されて放送された。ハンガリーに居た時は、日本は自由の国で可能性に溢れていると通訳者同盟の女性から聞かされた。さてここ日本にいて世界に目を向けるにはどうしたら良いだろうか。今の私にできることは日本にいる外国人、日本に来られる外国人に「May I help you?」の精神で接することだと思う。その国の印象は確かに個人と個人の触れ合いから生まれる。オリンピックの入場式を見ていて、私も世界に出ていき、いろいろな国を旅したいとの思いに駆られる。私は自分の中に「漂泊の魂」が潜んでいることを知っている。足腰が立つうちに、アメリカのプリマス村、ポルトガルはリスボンでファドの酒場、トルコのイスタンブールにまず行ってみたい。つたない英語を思い出しながら。