中国共産党大会と一党独裁モデル

 

中国共産党の首脳部が固まり、習近平が総書記となった。軍事委員会主席、国家主席も兼任して、名実共に中国のトップとなる。大会では既に引退したはずの江沢民が胡錦涛の横に座っていたのは今回の世代交代がスムースに行かなかった象徴とも言える。

ところで私が若い頃学んだ社会主義理論では一党独裁はまさにプロレタリアート独裁で、これは資本主義階級の逆襲を抑え込み、社会主義革命を押し進め、共産主義社会を建設するためであった。毛沢東の時代には労働者階級に貧農・下層中農を加えて、中国共産党を組織、発展させ、1949年新中国、中華人民共和国を建国した。その後も整風の名の元に資本主義階級を押さえ込んできたことは記憶に新しい。その最たるものが文化大革命であった。さて、ここで独裁ということについて考えてみたい。現在の中国共産党では資本家も党員になっていると聞く。ということは本来の独裁を行うための対象が無くなっている、ということにはならないか。それでは誰に対して独裁を行っているのか。率直に言えば、一般市民、つまり労働者階級と貧農・下層中農を抑圧し、彼らに対して独裁を行っている。何と言う歴史の皮肉だろうか。更には中国の国境地帯の少数民族、例えばチベット族などに対して独裁を行っている。一党独裁の臨界点がどこまできているか、私には分からないが、その臨界点が上昇していることは間違いないだろう。いずれソ連が崩壊したように中国にも崩壊の時期がくる。混乱は20年以上続くだろう。日本は、恐竜化した中国共産党の上に民衆の怒りと自由への渇望という隕石が落ちて来た時、その影響から免れることはできないだろう。尖閣はまだ小さな問題だ。日本にも米国国防総省の名軍略家アンドリュー・マーシャル氏のような傑物はいないものだろうか。冷徹に長期的に中国の未来を洞察し、対策を打つことのできるような。今は大戦略の時代だ。