中小企業のビジネスモデルと江戸時代の藩の十割自治

企業経営はやはり自己責任原則に立つ。その意味では江戸時代の藩経営と共通するところがあるかもしれない。正確に数えてはいないが、約300藩の内80%以上が10万石以下の藩だ。徳川幕府は助けてはくれない。くれないどころか、さまざま課役を押し付けてくる。まさに生かさぬ様、殺さぬ様ではなかったか。また他の藩も助けてはくれない。自分の藩のことで精一杯だったはずだ。藩同士お互い競争相手あるいは見て見ぬ振りだったのだろう。江戸時代とはそういう時代だったのかもしれない。藩主は藩財政が破綻しないように努力もしただろうし、また外部の学者などに指導を仰いだだろう。例えば上杉藩は鷹山の時代、細井平州にこのように依頼している。「世間にありきたりの考証や遊戯にひとしい詩文などの学問ではなく、実地に役立つ学問を藩士に教えて頂きたい」平州はこの依頼に見事に応えたと伝えられる。今日において、小藩を中小企業に例えると、外部の学者はコンサルタントということになるだろうか。ありきたりの経営理論とか流行の経営理論ではなく、その会社に実地に役立つ指導をするのがコンサルタント本来の仕事と言えるだろう。どうしたら実地に役立つ指導ができるだろうか。またコンサルティングが成功するためにはコンサルタントの人間性も重要な要素となってくる。平州は藩士だけではなく、領民たちにも広く、通俗講話を行なった。平州の平易な講話に、学問もなく、読み書きも出来ない領民たちが感涙し、最後は畳に頭をつけてすすり泣いたとのことだ。江戸時代にも現代風に言えばピンからキリまで、コンサルタントが活躍していたのではないか。また経営書も数多く出ていたのではないだろうか。各藩は生き延びるために必死だったことだろう。それは現在の私たちの想像をはるかに超えているかもしれない。中世ドイツの領邦国家が頭に浮かぶが、江戸時代の徳川幕府と各藩による国家体制は当時の世界にあって極めてユニークな政治体制ではなかっただろうか。現代日本の地方再生戦略を考えるにあたって参考になることが何かあるはずだ.