久しぶりに伊豆長岡そして小田原城見学

弟の検査入院の予約をするために久振りに伊豆長岡の順天堂静岡病院に行った。新宿から小田急線で小田原へ。小田原から東海道線で三島。三島で伊豆箱根鉄道に乗り換えて伊豆長岡。バスで順天堂静岡病院へ。入院予約を取り、会計を済ませたら12時半を回っていた。志木の家を出たのが6時半。医者との5分間の面談のためにこれだけの時間をかけて往復している。それはそれとして、伊豆長岡の駅の近くで昼食を済ませ、三島経由、小田原に出た。そのまま小田急線で帰宅する手もあったが、以前仲間と一緒に訪れた小田原城を見てみたいと思い、城に向った。5年前になるだろうか、当時訪れた時は小田原城の外観を見たが、中には入らなかった。あれから5年。北条氏を主人公のした時代小説「欅風」を書き終えたこともあり、天守閣1階の受付で410円を払って階段を登った。

天守閣の中に北条5代を紹介する展示物が陳列されている。初代早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。一時は群馬県、茨城県まで支配領域を拡大し、まさに関東の雄だった。その思いが秀吉に対する判断を大きく誤らせたのだろう。秀吉の北条氏への宣戦布告状が現代訳と共に掲げられている。北条氏政は秀吉のことを下賎の生まれと見下していた。秀吉が真田と北条の間を裁定した内容を無視する形で名胡桃城を北条が攻め落とした。これが直接のキッカケとなって秀吉の怒りを惹き起こし、小田原攻めが行なわれた。家康と氏政の運命を分けたのは秀吉に対する偏見を持つか持たないか、また秀吉の権力の大きさに対する評価だったと思われる。家康は北条との関係を反故にして秀吉についた。北条は慌てて秀吉に泣きついたが事既に遅かった。本丸の最上階には回廊式の展望スペースがある。海と山が見える。秀吉の一夜城も見えたことだろう。

秀吉は北条の名を惜しんで、現在の大阪狭山市に狭山藩を立てて北条の血脈を残した。たった1万石の藩ではあったが、明治迄存続した。私の時代小説はこの狭山藩をモデルにしている。晴れた明るい日。桜も咲き始めている。

天守閣の下の公園には多くの観光客が木製のテーブルで食事をしたり、歓談したり。外国人らしき観光客も目につく。今日はイベントが開催され、屋台が20軒以上出ている。

常盤木門を通り、二の丸の跡地を横切り、朱塗りの橋、学橋に出た。堀の水に数多くの鯉の姿が見える。お堀端通りに出て小田原駅にむかった。徒歩で5分くらいの距離だった。城という建物は不思議だ。私達をその時代に一瞬にしてタイムスリップさせてくれる。