人口の1/4が高齢者時代に入る

昨晩のテレビ番組「ガイヤの夜明け」は高齢化社会における高齢者の生き甲斐を考える機会となった。千葉県稲毛の高級老人ホーム、スマートコミュニティは、豪華なまるでホテルのロビーのような会員用のクラブがあり、月額9万円で「なだ万」の食事もできる。趣味のプログラムも充実していて、それこそ毎日ホテルでご馳走を食べ、生活しているような「いたれりつくせり」の老人ホームで、「是非あそこに入りたい」と思わせる人気だそうだ。そのため老人ホーム用のマンションの増築工事が現在行なわれている。ところが、入居者の高齢者から、次のような声が漏れ始めた。

1.毎日ご馳走を食べているとご馳走ではなくなってしまう

2.高齢者もボランティアの活動に参加したい

人間とは不思議な存在だ。以前コロンビア大学の白熱教室だと記憶しているが、何が起こるか分からない自由な人生と豪華なホテルで毎日生活できて何の不自由も無いが、一生そこから出られない人生と、どちららかを選ぶか、という質問に対して後者に手を挙げた学生はいなかった。高齢者に同じように聞いたら、手を挙げる人はいるだろう。

一方山口に本部のあるデイケアサービスの会社で常識に挑戦している事例も紹介されていた。代表の説明によると「引算の介護」。今の自分でできることは自分でやってもらう。バリアフリーではなく敢えてバリアアリーにして身体に障害を持った人達に緊張感を持って生活してもらうようにしている。一言で言えば、今できる範囲で「自立的行動、生活」をするような厳しさを介護の基本方針にしている。その結果目覚しい改善が見られ、要介護のレベルが下がっていく。車椅子で半身不随の人が今食堂で立ってお皿拭きをしている。

私たちは優しさという感情から、困っていたら直ぐ助けるという行動に出る。それは一般的には間違った行動ではないが、本人の自立心、能動性、創意工夫を奪ってしまっている場合もあるかもしれない。人は依存と自立の間で揺れている。この辺りのバランス感覚をきちんと持って、相手の状況を良く見て、やさしさと厳しさのどちらのスイッチを押すかを適切に判断する、ということが大事なのだろう。

本当の意味での優しさと本当の意味での厳しさは表裏一体かもしれない。

稲毛のスマートコミュニティから、やはり人間は社会的存在なのだと気付かされる。そして敢えて言うならば、高齢者ほど社会と関わり、社会が支えていく存在なのではないかと思う。また山口のデイケアサービスからは人は困難な環境の中でもそれを乗り越えていこうとする意志と自由を求めてやまない存在でもある。高齢者は人生を1冊の本に例えるなら、最終章を今書いている。今迄の人生の集大成だ。自分の人生を生き切り、自分の人生を完成させる。そこにはどんなに小さくても社会的存在価値があり、自分らしさの輝きがある。私もそんな最終章を書きたいと願っている。