人生に無駄はない?

人生で無駄なことはない、という言葉を聞くことがある。一見無駄なことのように思えても後で必ず何かの役に立つものだ、と言う意味がそこにはこめられているのだろう。ビジネスモデルのデザイン精神は拡散思考と収斂・統合思考をその特徴にしている。収斂の前に拡散がある。突飛なこと、一見馬鹿げたところ迄検討範囲を拡張して、新しい、未知の可能性を探る。絵で見るとデザイン精神のところは大きくこんがらがった糸玉のようだ。それがプロトタイプでは小さな玉になり、そして最後は1本の線になっていく。(「ビジネスモデルジェネレーション」247P)人生も同じなのかもしれない。無駄に見えることは、要は自分の可能性を幅広い視野の中で考え、見つけだすために欠くことのできない左右に広がる「大きなブレ」なのだと考えてみたい。なぜそんなことを考えたかというと、机の周りの片付けをしている時、結局は実現しなかった仕事の書類が次ぎから次へと出てきたからだ。「随分無駄なことをしていたな」というのがその時の気持だった。無駄な時間、無駄な費用を費やしていた、そんな気持に襲われた。やや悄然とした。そして今、そのように無駄なことをしてきたので、現在があり、現在の仕事、屋上菜園ガーデンとビジネスモデルがあるのだとやっと思うことができた。人にはそれぞれ歩かなければならない道があるのだろう。寄り道、迷い道、そして誰も通ってことの無い道なき道。無駄な道は無かった、と思うことにしよう。しかしこれからは無駄なことをしてはならないと思う。なぜなら残されている時間はもう限られているからだ。