人生の荒野・底冷えの時期をどう考えるか

長い人生では、回り道、停滞の時期、下積みの時期がある。失意、挫折もある。すべて順調に行くということはまずないだろう。またそのような人生を仮に送れたとしてもそのような人生が幸せな人生だとは言い切れないのではないか。さて問題はそのような時期を後でどのように考えるか、ということだ。私自身は会社を畳んでから今まで約15年間、試行錯誤の年月を過ごしてきた。なんとかギリギリで生活はできたが、問題は本当の意味でどのような仕事したら良いのか分らず、紆余曲折していた。自分がやりたい仕事が分らなかった。自分が活かされ、かつモチベーションを持って取り組める仕事が見つからなかった。そんな思いを抱きながら浮き草のように漂っていた。自分が生きている意味さえ感じられなくなった日々もあった。私のことはさておき、人生には荒野を歩かなければならない時がある。大事なことは荒野で何を学ぶかだろう。学んだ内容によってそれからの人生が変わっていく。歴史小説家の火坂雅志氏の言葉がある。「32歳のときに、私は小説の世界に飛び込んだ。・・・自分では自信があるつもりだったが、処女作はまったく売れなかった。その後も鳴かず飛ばずがつづき、どうしたらよいのか悩み抜いた時期があった。・・・

自信と自己否定がせめぎ合う孤独のなかで、必死に歩いてきた」。火坂氏の後年の活躍ぶりは言うまでもないが、荒野の旅は底冷えのするものだったと他の個所で述懐している。

人は荒野を歩いて、本来歩くべき道へと導かれるのかもしれない。

私の場合はささやかではあるが、歩くべき道が見つかった。フロンティア的分野の仕事なので、世間から評価して頂くまでは時間がかかるだろう。