人生の話をしよう

 

「モリー先生との火曜日」という本がある。1998年の出版された本で、その後テレビ映画化された。私は映画を見てから本を探し、読んだ。当時は会社経営に苦労している時期で、精神的に不安定な状態になっていた。どうしてこんな苦労をしなければならないんだ、自己憐憫に陥る日々が続いた。その時、この映画、本に出会った。モリー先生の生き方は私にとってとても有益だった。先生は悲しい時には泣くな、ではなく思い切り泣くことを勧めている。しかし自己憐憫に制限時間を設けている。「ミッチ、私はね、それ以上自分をあわれむことを許さないんだ。毎朝ほんのちょっと。二、三粒涙を流せば、それでおしまい」別のところで、こうも言っている。「ところが、そういった感情に自分を投げ込む・・・。そうすることによって、その感情を十分に、くまなく体験することができる。・・・その時はじめてこう言えるようになるんだ。『よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何たるかがわかった。今度はしばらくそこから離れることが必要だ』」感情に対して意志の力を向き合わせること、これが私がモリー先生から教えられたことだ。それまでは感情に対して感情を向き合わせていた。それから、私はこういう問いも自分に投げかけるようになった。今悩んでいる自分をあなた(もう一人の自分)はどう見ているか、どう思っているか、と。この本はモリー先生と教え子のミッチの人生を巡る対話的授業だ。ミッチは本の最後にこのように書いた。「わが老教授の最後の授業は、週に一度、その自宅で行なわれた。・・・授業は火曜日。本はいらない。テーマは人生の意味。経験をもとに語られる講義だった。それは今でも続いている。」私達は人生の話をしなくなった。プライバシーの問題もあるだろう。しかし、本当は人生の話をしたいと思っているのだ。人生の話をすることは人生をより良く、より深く生きるために欠かすことのできない、貴重な機会だからだ。人生の話はどこかで哲学にも触れていく。なぜなら哲学とは人生の真実を探求する知的な営みであるのだから。経済だけでなく人生の話をしよう。なにも気難しい雰囲気ではなく、普段の雑談の中でしよう、というのが私の願いだ。