人生も新幹線からローカル線へ

人生を電車に例えるなら、現在の私はローカル線の乗客かもしれない。新幹線に乗っていたという思いはないが、少なくとも準急には乗っていたかもしれない。電車はできるだけ早く自分を職場に運ぶ道具のように思っていた。車窓の風景を楽しむなどという気持ちになることは少なかった。電車は自分の願望を乗せて未来に向って走っていた。仕事中心だった。仕事の幅が生活の、人生の幅とほぼ重なり合い、私の場合生来の不器用もあり、人生を楽しむということは余り無かったように思う。それは家族の歴史にとっても余り良いことではなかったと今になって思う。男性は生涯仕事を持って人生を全うすべきだというのが私の考えだが、齢相応に仕事の量は減らしていきたい。ただ仕事の質という点では齢を重ねても維持、向上を心がけていくつもりだ。そのためにも「ゆっくり」だ。

ローカル線はゆっくり走る。景色の良いところでは徐行したり、場合によっては一時停車したりする。ローカル線の車窓からは山が見え、川の流れが聞こえ、田圃が、畑が、森が見える。それがキッカケになっていろいろなことを思い出したりする。子供の頃、電車の窓から畑とか田圃で仕事をしている人達に手を振った。手を休めて手を振ってくれた人もいた。今迄関東・甲信越で水郡線(福島・郡山―水戸)、葛生線(佐野―葛生)、上毛電鉄(前橋―桐生)、身延線(甲府―富士)、そして伊豆箱根鉄道(三島―修善寺)に乗ったことがある。

これからは人生も、実際の電車もローカル線を楽しんでいきたい。