今、ここで生きる

「今、ここで生きる」という言葉とは20年以上前に出遭ったが、そのように生きることを願いつつ、なぜかなかなかそれができなかった。過去を振り返っては後悔し、未来を見ては明るい希望が持てず、一日が慌しく終り、空しさに落ち込み、またそのような自分に苛立つ・・・というようなことを繰り返してきた。そして最近になってやっと「今、ここで生きる」ということが、まだ部分的ではあるが、実感できるようになってきた。なぜそのような気持ちになってきたのか、私自身も良く分からない。自分の中の何かが変わってきたことは確かだ。それは自分で分る。昨年亡くなった俳優の米倉斉加年が生前「普通に
演じる、普通に生きる」と「普通」の大切さと難しさを話していた。また師である宇野重吉を座標軸として、自分が自分になることが人生の目標である、とも。この自分が自分になる、あるいは長い人生の旅を終えて自分に還る、ということは20歳台に読んだフランス哲学者森有正の著作からも教えられていたが、本当のところは今に到るまで分らなかった。新しい自分になるのではなく、自分が自分になる、自分に還る。それは自分以外のものになろうとする願望を捨てる、あるいは諦めることであるかもしれない。本当の自分はそれを長いこと待っていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
「今、ここで生きる」ために私は毎日日記を記す。また今日という日に向き合い、考えたことをまとめたブログを毎日2本書く。記憶したことはいつの間にか忘れてしまうが、考えたことは記憶に残る。また農作業をしていると、今やるべきことをやる大切さを教えられる。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」。生来面倒くさがり屋の私も少しづつだが変えられているようだ。
自分が自分になる。そのプロセスは人それぞれだろうが、「今、ここで生きる」という目標は共有できるのではないだろうか。